江戸時代、オランダ学が盛んだった。
地元のお医者さまで、「蘭学と中津」について精密に研究されてる先生がいて、
先年、シンポジウムまで開催した。
僕には蘭学について述べる能力はないから、今回のオランダ・コラムは、
僕なりのオランダとふるさと中津の関係について書きたいと思う。
それは、「咸臨丸」について。
教科書風にいうと…
咸臨丸は、江戸時代末期に徳川幕府がオランダから10万ドルで購入した軍艦で、
はじめ長崎の海軍伝習所の練習艦としてつかわれたが、
1860年、日米修好通商条約の批准書交換のために渡米した新見正興ら遣米使節の護衛艦となった。
軍艦奉行・木村喜毅、艦長・勝海舟以下日本人90人余に、米測量船のブルック船長以下11名が便乗し、
ブルックの技術にたすけられながらも、約1ヶ月の航海のすえ、
日本軍艦としてはじめて太平洋横断に成功した。
この太平洋横断の咸臨丸に、わが郷土の先哲・若き日の福澤諭吉が乗船していた。
わが咸臨丸のふるさとはオランダ・ゼーラント(Zeeland)州で、
オランダ語の zee は英語の sea だから、海州とでも訳せばいいのだろうか。
その名のとおり、かつてゼーラント州のほとんどは海だった。
〈もっともオランダの国土の4分の1以上が、海抜0メートル以下なのだけど…〉
咸臨丸は、このゼーラント州のライン川河畔の「キンデルダイク」の造船所でつくられ、
川をくだった軍港「ヘルフットスライス」で大砲の搭載などの航海に必要な艤装がなされた。
この「キンデルダイク」(Kinderdike)をむりやり訳すと、
kinder=赤ちゃん、dike=堤だから、「赤ちゃん堤」となり、
生まれたての咸臨丸にふさわしいかわいい印象がある。
一方、「ヘルフットスライス」(Hellevoetsluis)のほうは、
helle=地獄、voest=第一歩、sluis=水門となり、
さしずめ「地獄にむかっての最初の1歩目の水門」とでも訳せばいいのだろうか?
艦船を産みおとす「赤ちゃん堤」は、風車のよく似合う穏やかなオランダ的田園風景で、
今から海にでていく軍港の「地獄にむかっての最初の1歩目の水門」は、海の上は一寸先は闇(地獄)
という語感が感じられておもしろい。
とにかく、オランダとふるさと中津がうすい関係であってもつながりがあることは、
オランダ好きの僕にとっては無上の喜びなんだ。
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