SIDEWALK TALK

尾崎ハウス

Ozaki_yutakaきのう、仕事で車を走らせていると、
カーラジオから
「尾崎ハウス」取り壊しのニュースが流れてきた。
僕は、この「尾崎ハウス」なるものを知らなかった。


尾崎ハウスは、ただの民家らしい。
19年前のその日、
庭先で倒れている尾崎豊をこの家の所有者の妻が発見。
オザキはその日に亡くなった。
以来、訪れるファンのために1階の6畳間を開放し、
「尾崎ハウス」と呼ばれるようになったという。


僕はオザキと同年だから、リアルタイムで彼の音楽に触れた。
佐野元春や浜田省吾をルーツとする真っ直ぐな彼のロックンロールには、
同じ音楽をきいて育った同世代として、
シンパシー以上の何ごとかを感じていた。
けど僕は、オザキを「カリスマ」とか「教祖」などと崇めたことはない。
むしろ、狂信的に、盲目的に、
彼に熱狂する当時のファンを苦々しくみていた。


オザキは、校舎の窓ガラスを壊してまわったりしてないし、
盗んだバイクで走り出したこともない。
これらのリリックは、オザキの、
詩人としての、ストーリーテラーとしての、
理由なき若い焦燥感を伝えるための卓越した表現法に他ならない。
これは、彼が優れたソングライターだったことを意味する。
僕は、純粋にオザキのソングライターとしての、
パフォーマーとしての才能を愛した。


生前、オザキの悩みは、
「結局、俺はファースト・アルバムを超える作品をつくることができない」
というものだった。
その若い晩年、彼が酒やドラッグに溺れるようになったのは、
この葛藤と無縁ではない。


きのう、尾崎ハウス取り壊しのニュースによせて流れた曲は、
「OH MY LITTLE GIRL」であり、他の番組では「I LOVE YOU」だった。
皮肉なことに、どちらも『十七歳の地図』という
彼のデビュー・アルバムに収められている。


そして、僕のフェイバリットは「僕が僕であるために」というミディアム曲。
この曲もまた、彼の最初のアルバムのラストにセットされている。
このことを、泉下のオザキはどう思っているんだろうか?

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コメント一覧

mf >> 存在する音楽さん
http://www.kiribako.net/
僕も、尾崎の曲には好き嫌いがけっこうありますね。
サウンド的には、浜省の盟友 町支寛二が主にプロデュースしてましたし、
西本明さんもけっこう携わっていましたよね。
あの「 I LOVE YOU 」のセンチメンタルなイントロは、明さんのアレンジです。
The Heartland の演奏でレコーディングされた曲も、初期のころには数曲ありました。


冷たいことをいうようですが、
尾崎は存命していても、ミュージシャンとしては生きていけなかったんじゃないでしょうか。
「それでも生きてる方が素晴らしい」というのが、前述の岡林信康さんの主張です。
mf >> ina さん
http://www.kiribako.net/
尾崎のライヴには、代々木だったかな?
1度しかいったことありません。
文中にも触れてるように、ラリッたように叫んでいるファンに違和感を覚えて、
足が遠のきました。
アルバムはずっと追いかけていましたけど。


「僕が僕であるために」は、カラオケ(めったに行かないですが)で歌ったりもしますし、
学生時代にはギターの弾き語りをしてました。
あの曲を10代で書いたんですから、やはりただ者じゃないかと...
mf >> ノラ猫さん
http://www.kiribako.net/
ノラ猫さん、いつもコメントありがとうございます。
「ネオコン」については、僕は明確な定義があるわけじゃありません。
サッチャー時代の英国のネオコン、
ブッシュ Jr. やラムズフェルドに代表されるイラク戦争のころの米国のそれ、
日本では中曽根首相もネオコンと呼ばれることもあるようです。
ブッシュとかは、僕も嫌ですね。


尾崎は、ある意味、マジメすぎたんでしょう。
教祖に祭りあげられて、そのことがプレッシャーになったかと思われます。
サリンジャーみたいな生き方もあったんじゃないかと思います。


岡林信康に「ジェームス・ディーンにはなれなかったけれど」という曲があって、
これは尾崎に捧げた歌です。
岡林は、もし自分が尾崎みたいに夭折してたら伝説になったのだけど、
生きながらえている今の方がはるかに素晴らしいといった内容だったと思います。
もし今、尾崎が生きてたとしても、シーンにはいなかったと思いますね。
存在する音楽
mfさんと同じく、尾崎豊が「佐野元春や浜田省吾を聴いてきた」と語っていたことに頷くものの、彼のファンにぞっとしていました。尾崎の曲全てが良いとも思えず、冷めた目で見ていました。「卒業」とか嫌いでした。(笑)
でもデビュー・アルバムは素晴らしく、「スクラップ・アレイ」とか好きな曲もいくつかあるので、好き嫌いが揺れる歌手という感じでした。
「尾崎ハウス」を今、ここで初めて知りましたが、彼が死んだ時の何とも言えない寂しさは、ロックン・ローラーが成長して生きていて欲しかったのに壁にぶち当たったまま亡くなったことへの悔しさだったかもしれません。

個人的には坂本龍一との対談が忘れられません。
ina
「僕が僕であるために」にイイ曲ですよね。
あ~久しぶりに尾崎を聴きたくなった♪
代々木体育館と有明コロシアムのライブは観ました。
好きだったな~。
ノラ猫
こんにちは。
こんにちは。

前回、ネオコン?を調べて、理解が追いつかず、まだ本当には、わかっていません。笑

尾崎豊さんは、歌詞が長いなぁ、音符が足りないじゃんと、恥ずかしい感覚で聴いたことがあります。

亡くなった時の事を、関係者が、ほっとした、と言っていました。

苦しみ過ぎていて、誰にもどうすることも出来なかったようで、若いだけに周りの大人も、その悲惨に苦しんだようでした。

他の歌い手さんなんかも、そういった壁にはぶつかるのでしょうか?
浜田さんや佐野さんも?

芥川賞を取った作家さんなんかも、そういうことがあるみたいですね。

身を削るように創作してゆくと思うと、なんとも…

若い時が素晴らしいのは、創作者だけではないけれど。

ツイッターの若い子の弾むような、輝くような、初々しい喜びや苦しみに、圧倒されています。その美しさと危うさを、応援せずにはおれません。
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