かつて、長州藩毛利家の萩城があった場所である。
長州藩は幕末前夜、政局を見据えて、
藩庁を山口にうつした。
第1次長州征伐の敗北により、藩庁は、一時的に萩城にもどされたが、
1年足らずで再び山口へうつされた。
だから維新のころは、萩城は実施的には廃城だった。
長州藩は薩摩藩とならび革命の旗頭だったため、
明治期になると萩城は、他城に先がけて城内の建物が打ちこぼたれた。
長州としてみれば、廃城を壊すことになんの支障もなかった、
というのが本音だろう。
でも、今からすれば、もったいない。
戦禍による消失ならばやむを得ないが、
政局によって破壊されたのは、まことに惜しい。
萩城およびその城下は、石垣や堀の跡のほか、
武家屋敷跡が良好な状態で保存されいて、
今でもじゅうぶん江戸時代の風韻を感じることができる。
もし、これに本丸(廓)や殿舎、政庁がのこっていたら、
萩の魅力は数倍していたと思う。
歴史に「if」はNG。
だから以上は、結果論というより、単なる愚痴にすぎない。
僕らも「現在」という歴史の通過点を生きている。
だから、後世や子孫のために、
まちがったジャッジをしないようにしなければいけない。
これは、史跡に限ったことじゃない。
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