最近、以下の本を読み漁っている。
マンチュリアン・リポート (講談社文庫) 浅田 次郎 価格:¥ 660(税込) 発売日:2013-04-12 |
「蒼穹の昴」
「珍姫の井戸」
「中原の虹」
「マンチュリアン・リポート」
いずれも清代の中国を舞台とした歴史小説である。
僕は中国の近代史に暗いから、フィクションということを念頭に置きつつも、
新たな発見に驚きを感じながら読み進んでいる。
本のレヴューは他に譲るとして、以前から不思議に思ってたことがある。
これらの小説には、当然ながら科挙の制度や宦官が登場する。
日本は、遙かな古代、律令制や鎮護仏教等、
中国の制度をことごとくコピーするかのように導入した。
なのに中国の代表的な制度、科挙と宦官はどうして採用しなかったのか?
ということについてだ。
中国は当時の東アジア世界の中心で、日本にとっては世界の大半といってもよかった。
中国に朝貢物をささげて通交し、文化的にすぐれた国と印象づけることは、
重要な外交課題だった。
当時の遣隋使(遣唐使)や留学僧にとって、科挙や宦官が奇習であればあるほど、
先進的で魅力的な制度にみえたはずである。
が、導入しなかった。
もちろん、導入しなかったことは大正解だった。
正確には、平安時代に科挙が採用された時期がわずかにあったらしい。
が、何の理由か、すぐに廃れ、また政治的にもほとんど影響を残さなかった。
この悪習の本質を見抜く目を、
歴代の日本の為政者は持ち合わせていたということなのか?
このあたりの機微を簡潔にまとめた本があればと思ってるのだけど、
未だ巡り逢えていない。