SIDEWALK TALK

古武士の碑

Matabei久しぶりに山口に出張した。
かつては週イチで訪れていたのだけど、
最近は数ヶ月に1度という程度になっている。


萩市から山陽小野田市のお客さまに向かう途中、
道路脇に「来島又兵衛 生誕之地」という案内板が設置されていて、
以前からずっと気になっていた。
けど、さして広くもない市道だし、駐車場も見当たらないので、
ずっとスルーしていた。


今般、思い立って、立ち寄ってみた。
何の変哲もない。
鳥居があるから、ここは神社なんだろうか?
石碑の横にこぢんまりとしたお堂らしき建物があるのみだった。


幕末史に興味がある人なら、
来島又兵衛は馴染みのある名前だろう。
なんとなく愛嬌を感じる人物だ。
当時の最先進藩の長州にありながら、
戦国絵巻から抜けでてきたようにな猪武者で、
藩内にあって京都進軍を猛烈にアジテートした。


古武士然としていたのはその性格だけじゃなく、
禁門の変では風折烏帽子に先祖伝来の甲冑という
戦国武者さながらの出で立ちで出陣した。
その最期は、銃弾に胸を打ち抜かれ、
敵の手で死ぬことを潔しとしなかったのか、
自ら槍で喉を突いた後、首を刎ねられ絶命した。


高杉らからは敬意とユーモアを込めて
「御老人」などと呼ばれていたようだが、
享年は47歳にしか過ぎない。
若いころ江戸留学なども経験してるから、
単なる田舎侍じゃなかったと思う。
藩の要職も歴任している。


生誕地が山陽小野田市だったとは、意外だった。
藩庁のあった山口にも萩城下にも遠く、
どういう機微で藩に見出されたのだろうか?
何の変哲もない「生誕之地」は、
その素朴さ故に古朴な又兵衛が忍ばれて、
僕はしばし漫然とその場に立ち尽くした。

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