空海、源義経、世阿弥、この3人だ。
いつかこの3人の天才性ついての投稿をしたいと思ってるんだけど、
生来の不精者だから、なかなか勉強までこぎつけられない。
以下、義経について、
検証なしで思いつくまま語ってみたい。
画家や詩人、学問の才能は必ずしも希少ではない。
けれど軍事的天才というのは、それを持たない民族のほうがむしろ多い。
かつて司馬遼太郎さんが、エッセイか何かで軍事的天才について、
「日本史をみて、千数百年のあいだに3人ほどがやっと選びうる」
と、述べていた。
その3人が誰を指すのかはわからないが、
おそらく義経は入っているにちがいない。
義経の用兵は、後の世でいう騎兵だった。
義経は騎兵団を編成し、それを集団として運用した史上最初の人なのだ。
騎兵のもつ集団としての機動性、奇襲能力、突破力に日本史上はじめて着目し、
その戦術を創造し、それを成功させた。
むろん、それまでも馬をつかった戦闘はあった。
板東武者は、乗馬に習熟し、騎射にも優れ、馬上での格闘にも長けていた。
だが、それは馬術という個人競技であり、
騎馬隊を用兵として戦術として集団で使用するという思想もなかった。
また、騎兵による奇襲は、天才が運用してはじめて成功するともいわれている。
世界史を見回しても、その成功例は極めて少ない。
板東武者の新田義貞も、騎馬隊で鳴らした武田信玄も、これを用いず、
織田信長が桶狭間の戦いで使用したくらいだ。
その信長でさえも、それ以後、騎兵を用いた戦闘をおこなっていない。
義経は、一ノ谷で、屋島で、騎兵隊を率いてことごとく奇襲を成功させている。
どういう着想で義経が騎兵という戦術を発明したのかは、僕にはわからない。
義経は、政治的には幼児のように無邪気で無知だった。
後白河法皇に翻弄され、最後は兄 頼朝に追捕され命を落としてしまう。
歴史に「if」は禁忌だが、
もし義経が凡将だったら、あの悲劇的な最後は避けられたにちがいない。
軍事的天才は、その天才性ゆえに、非業の最期を遂げてしまうのだろう。
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