きょうは、商用で山口県へ。
帰路、壇之浦 S.A で昼飯を食べた。
この壇之浦 S.A は、関門橋の橋脚の真下に位置していて、
海峡を眺めるのにはうってつけのスポットだ。
ところで、関門橋。
わが九州と本州の間にある関門海峡のもっとも狭い部分である
早鞆ノ瀬戸にかかる大吊り橋である。
教科書ふうにいうと…
中国自動車道の終点である下関と九州自動車道の起点である門司をむすぶ
6車線の自動車専用道路橋で、1968年に着工し、73年に完成した。
現在のメインストリートは関門橋だけど、それ以前は関門トンネルだった。
そのことは、どっちでもいい。
関門橋着工の約100年前に、
この海峡にトンネル、もしくは橋を架けるべきだと断言した男がいた。
後藤新平である。
彼の発想は、当時としてはスケールが大きすぎて、時代の尺度につねにあわず、
「大風呂敷」と揶揄された。
しかし実際は、そのニックネームと相反して、
その実務能力は堅実そのもので、人びとの生活に密着したものだった。
特筆すべきは、台湾総督となった兒玉源太郎に抜擢された
台湾総督府民政長官時代の政策だと思う。
当時、欧米が搾取の対象としかみていなかった植民地にたいして、
後藤は、本国以上に徹底した調査事業をいおこなって現地の状況を知悉した上で、
経済改革とインフラ建設を進めた。
こういった手法を、後藤は自ら「生物学の原則」に則ったものであると説明している。
それは、社会の習慣や制度は、生物と同様で相応の理由と必要性から発生したものであり、
無理に変更すれば当然大きな反発を招く。
よって、現地を知悉し、状況に合わせた施政をおこなっていくべきであるというものであった。
もちろん、これは植民地支配された側からみれば、泥棒の論理といえばそれまでだが、
当時の世界情勢を鑑みれば、単純に四捨五入すべき感性じゃないと思う。
話が、すこし脇にしれた。
この関門橋、もしくはこれ以前の関門トンネルが、
九州の経済にどれほど寄与したかは計り知れない。
今でも、決して豊かとはいえない九州経済だが、
数字の上では、オランダとほぼ同じ人口と GDP を誇っている。
明治時代に、この海峡を一瞥しただけで、
橋を架けるべきだといいきった後藤の発想は評価すべきだと思う。
僕たち九州人は、今でも台湾の知識層が感謝してる後藤の魂〈SOUL〉に、
せめて同じレベルのオマージュを捧げるべきだと思う。
それにしても、壇之浦 S.A のラーメンはマズイ。
九州エリアで、ここまでラーメンがマズイのもめずらしい。
帰路、壇之浦 S.A で昼飯を食べた。
この壇之浦 S.A は、関門橋の橋脚の真下に位置していて、
海峡を眺めるのにはうってつけのスポットだ。
ところで、関門橋。
わが九州と本州の間にある関門海峡のもっとも狭い部分である
早鞆ノ瀬戸にかかる大吊り橋である。
教科書ふうにいうと…
中国自動車道の終点である下関と九州自動車道の起点である門司をむすぶ
6車線の自動車専用道路橋で、1968年に着工し、73年に完成した。
現在のメインストリートは関門橋だけど、それ以前は関門トンネルだった。
そのことは、どっちでもいい。
関門橋着工の約100年前に、
この海峡にトンネル、もしくは橋を架けるべきだと断言した男がいた。
後藤新平である。
彼の発想は、当時としてはスケールが大きすぎて、時代の尺度につねにあわず、
「大風呂敷」と揶揄された。
しかし実際は、そのニックネームと相反して、
その実務能力は堅実そのもので、人びとの生活に密着したものだった。
特筆すべきは、台湾総督となった兒玉源太郎に抜擢された
台湾総督府民政長官時代の政策だと思う。
当時、欧米が搾取の対象としかみていなかった植民地にたいして、
後藤は、本国以上に徹底した調査事業をいおこなって現地の状況を知悉した上で、
経済改革とインフラ建設を進めた。
こういった手法を、後藤は自ら「生物学の原則」に則ったものであると説明している。
それは、社会の習慣や制度は、生物と同様で相応の理由と必要性から発生したものであり、
無理に変更すれば当然大きな反発を招く。
よって、現地を知悉し、状況に合わせた施政をおこなっていくべきであるというものであった。
もちろん、これは植民地支配された側からみれば、泥棒の論理といえばそれまでだが、
当時の世界情勢を鑑みれば、単純に四捨五入すべき感性じゃないと思う。
話が、すこし脇にしれた。
この関門橋、もしくはこれ以前の関門トンネルが、
九州の経済にどれほど寄与したかは計り知れない。
今でも、決して豊かとはいえない九州経済だが、
数字の上では、オランダとほぼ同じ人口と GDP を誇っている。
明治時代に、この海峡を一瞥しただけで、
橋を架けるべきだといいきった後藤の発想は評価すべきだと思う。
僕たち九州人は、今でも台湾の知識層が感謝してる後藤の魂〈SOUL〉に、
せめて同じレベルのオマージュを捧げるべきだと思う。
それにしても、壇之浦 S.A のラーメンはマズイ。
九州エリアで、ここまでラーメンがマズイのもめずらしい。
わが家の玄関カウンターには、ステンドグラス・ランプを置いてる。
このランプはオフクロの友だちの手作りで、
世の中にはホント器用なひとがいるもんだと感心させられる。
ステンドグラスについての知識は皆無だけど、
紀元前3000年だったか、前2000年だったか、
エジプトやメソポタミアにはすでに色ガラスの技術があったらしい。
西洋の教会などにある、いわゆる絵画的なステンドグラスは、
フランク王国を支配した9世紀のカロリング朝の時代までさかのぼるといわれてるけど、
その真偽のほどはわからない。
こういう説があるからには、いくつかの傍証があるんだろうけど、
この手の美術史はまったく僕の可視範囲じゃない。
だから、気の利いたコメントはできないんで、きょうのブログはの辺でやめておかないとボロがでちゃう。
遥か古代にエジプトやメソポタミアでおこった技術が、
現代ではオフクロの友だち、いわばふつうのオバチャンに継承され、
趣味としてランプを作るまでになっている。
人間の歴史って、オモシロい。
このランプはオフクロの友だちの手作りで、
世の中にはホント器用なひとがいるもんだと感心させられる。
ステンドグラスについての知識は皆無だけど、
紀元前3000年だったか、前2000年だったか、
エジプトやメソポタミアにはすでに色ガラスの技術があったらしい。
西洋の教会などにある、いわゆる絵画的なステンドグラスは、
フランク王国を支配した9世紀のカロリング朝の時代までさかのぼるといわれてるけど、
その真偽のほどはわからない。
こういう説があるからには、いくつかの傍証があるんだろうけど、
この手の美術史はまったく僕の可視範囲じゃない。
だから、気の利いたコメントはできないんで、きょうのブログはの辺でやめておかないとボロがでちゃう。
遥か古代にエジプトやメソポタミアでおこった技術が、
現代ではオフクロの友だち、いわばふつうのオバチャンに継承され、
趣味としてランプを作るまでになっている。
人間の歴史って、オモシロい。
ここんとこ毎週、佐賀県唐津にいっている。
きょうも、唐津にいってきた。
九州のハンバーガーでは 最近 佐世保バーガーが全国的に知名度があがってるけど、
わが唐津には、知る人ぞ知る名物、からつバーガーがある。
お昼ちかく、虹ノ松原で車を走らせてると、からつバーガーのバスを見かけた。
こんなコラムを書いてるくせに、僕はからつバーガーを食べたことがない。
きょうも、そのからつバーガーのバスを尻目に、昼飯は鏡山山麓のモスバーガーへ。
きょうも、唐津にいってきた。
九州のハンバーガーでは 最近 佐世保バーガーが全国的に知名度があがってるけど、
わが唐津には、知る人ぞ知る名物、からつバーガーがある。
お昼ちかく、虹ノ松原で車を走らせてると、からつバーガーのバスを見かけた。
こんなコラムを書いてるくせに、僕はからつバーガーを食べたことがない。
きょうも、そのからつバーガーのバスを尻目に、昼飯は鏡山山麓のモスバーガーへ。
きょうのメニューは、スパイシーモスチーズバーガーのオニポテセット。
ひさしぶりに食べた。
「ハンバーガーは、モスが好き」
というひとが多いけど、この見解はフェアじゃない。
モスは、ファストフードというには、あまりにも時間がかるからだ。
だから、マックやロッテリアとは、べつにカテゴライズされるべきだと思う。
大学時代、下宿への帰り道にモスがあった。
酔ってると満腹中枢がいかれて、
さんざん食ったのにもかかわらず、さらにカネがないのにもかかわらず、真夜中に3個ぐらい食べてた。
きょう、ひさしぶりに1個食べたけど、これで十分。
もう、歳かな?
映画『デジャヴ』、観ました。
この作品は、
スゴ腕プロデューサーとして名高いジェリー・ブラッカイマーが製作を担当、
オスカー俳優のデンゼル・ワシントンが主演。
だから、オモシロいに決まってる。
タイトルや予告から想像すると、オカルトやミステリー的要素が強い作品かと思ってたけど、
意外にも SF チックなストーリーだった。
くわえて、ハリケーン「カトリーヌ」による甚大な被害にあった
ニューオリンズへのエールというエッセンスもあった。
中盤からモロ SF 的な荒唐無稽な設定になるんだけど、
「あぁ、タイムマシンか」と白けさせないのはサスガ。
先の読めないスリリングなプロットのお陰なのか、キャストの演技力の賜なのか、
とにかくハリウッド・マジックとしかいいようがない。
ヘタすれば茶番になっちゃう設定にもかかわらず、観客を厭きさせることはない。
僕的には、ヴァル・キルマーがいい味をだしてたと思う。
それにしても、この手の作品は、ぜったい変えちゃいけない過去を変えてしまう。
いいんでしょうか?いいんですよね、映画だもん。
オススメです!
この作品は、
スゴ腕プロデューサーとして名高いジェリー・ブラッカイマーが製作を担当、
オスカー俳優のデンゼル・ワシントンが主演。
だから、オモシロいに決まってる。
タイトルや予告から想像すると、オカルトやミステリー的要素が強い作品かと思ってたけど、
意外にも SF チックなストーリーだった。
くわえて、ハリケーン「カトリーヌ」による甚大な被害にあった
ニューオリンズへのエールというエッセンスもあった。
中盤からモロ SF 的な荒唐無稽な設定になるんだけど、
「あぁ、タイムマシンか」と白けさせないのはサスガ。
先の読めないスリリングなプロットのお陰なのか、キャストの演技力の賜なのか、
とにかくハリウッド・マジックとしかいいようがない。
ヘタすれば茶番になっちゃう設定にもかかわらず、観客を厭きさせることはない。
僕的には、ヴァル・キルマーがいい味をだしてたと思う。
それにしても、この手の作品は、ぜったい変えちゃいけない過去を変えてしまう。
いいんでしょうか?いいんですよね、映画だもん。
オススメです!
きょう3月25日で、「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」、
いわゆる「家族会」の結成から丸10年になる。
先般、家族会代表の横田滋さんは、
結成以来務めつづけてきた代表を退任する意向を表明した。
74歳という高齢に加え、一昨年には血液の難病に冒されたらしく、
娘さんを必ず取り返すという不撓の精神とは裏腹に、
肉体的には限界を超えていたんでしょう。
今でこそ北朝鮮による拉致の事実は全世界共通の認識になっているが、
家族会結成当時は世間(僕をふくめて)から白い目で見られていた。
「拉致なんて、本当にあるのか?」
「単なる妄想狂じゃないのか?」
など、心ない言葉が飛び交う中、活動を続けてこられたその鋼鉄のような信念には本当に頭が下がる。
今では、世間やマスコミ、政府も家族会にたいする理解が深まったが、
肝心の愛娘めぐみさんは安否すらもハッキリしない。
「十年一昔」なんていうけど、
横田さんをはじめとする家族会の皆さんには、そんな感慨は皆無だろう。
横田夫妻の闘いは、10年前にはじまったわけじゃない。
めぐみさんが連れ去られたのは、1977年(昭和52)11月15日の夕方。
30年も前のことだ。
5人の拉致被害者とその家族の帰国は果たしたものの、基本的にはなんにもかわっていない。
家族会の皆さんの年齢を考えると、一刻も早い解決を願うばかりだ。
いわゆる「家族会」の結成から丸10年になる。
先般、家族会代表の横田滋さんは、
結成以来務めつづけてきた代表を退任する意向を表明した。
74歳という高齢に加え、一昨年には血液の難病に冒されたらしく、
娘さんを必ず取り返すという不撓の精神とは裏腹に、
肉体的には限界を超えていたんでしょう。
今でこそ北朝鮮による拉致の事実は全世界共通の認識になっているが、
家族会結成当時は世間(僕をふくめて)から白い目で見られていた。
「拉致なんて、本当にあるのか?」
「単なる妄想狂じゃないのか?」
など、心ない言葉が飛び交う中、活動を続けてこられたその鋼鉄のような信念には本当に頭が下がる。
今では、世間やマスコミ、政府も家族会にたいする理解が深まったが、
肝心の愛娘めぐみさんは安否すらもハッキリしない。
「十年一昔」なんていうけど、
横田さんをはじめとする家族会の皆さんには、そんな感慨は皆無だろう。
横田夫妻の闘いは、10年前にはじまったわけじゃない。
めぐみさんが連れ去られたのは、1977年(昭和52)11月15日の夕方。
30年も前のことだ。
5人の拉致被害者とその家族の帰国は果たしたものの、基本的にはなんにもかわっていない。
家族会の皆さんの年齢を考えると、一刻も早い解決を願うばかりだ。
昨夜、加藤登紀子さんのコンサートに出かけた。
登紀子さんは、音楽シーンのジェネレーション的には、
僕より二世代くらい上(失礼!)のシンガー。
コンサートが開催されることは知ってたけど、行くつもりはなかった。
そんな折、JC の先輩がこのイベントに協賛しているらしく、
前から3列目という、いわゆるかぶりつき席のチケットをプレゼントしてくれた。
会場は1000人ほどを収容できるホールだけど、登紀子さんの人柄からか、
ホール・コンサートというよりライヴハウス(ブルーノートというべきか?)的な雰囲気。
ステージが身近に感じられ、さしてファンでもない僕でも、スナオに感情移入ができた。
登紀子さんのシンガーとしての立ち位置を敢えてカテゴライズすると、
「シャンソン」や「フォーク」ということになるのだろうか。
実際みた僕の印象は、意外にもポップで、そして情熱的だった。
フォークソングではアルペジオ系の演奏が多かったけど、
決して暗くはなく、自信に溢れたオトナの音楽がそこにはあった。
そして登紀子さんが歌うシャンソンは、ジメジメした愛の歌というより、
ラテンの要素が濃く、カッコよかった。
バンドは、登紀子さんを入れてスリーピース編成(ギター・ピアノ・キーボード)。
バッキング・ミュージシャンのお二人は相当な実力者で、
ラテン系の裏をとるビートを確実に刻むピアノには舌を巻いた(あんなのできないよぉ)。
印象的だったのは、
「この歳になって、ようやくオトナの女性になれた」
という MC 。
若いころ、歌っていてなんとなくギャップを感じていた歌が、ようやく堂々と歌えるようになった
とのこと。
「どう、いいでしょ。聴いてよ」、てカンジらしい。
なんとなく行ったコンサートだったけど、
世代や国家、イデオロギー、宗教…etc
そういった七面倒くさいものをこえる何ごとかが音楽(ラヴソング)にはある。
そんなことを再認識させられたコンサートだったし、加藤登紀子さんだった。
登紀子さんは、音楽シーンのジェネレーション的には、
僕より二世代くらい上(失礼!)のシンガー。
コンサートが開催されることは知ってたけど、行くつもりはなかった。
そんな折、JC の先輩がこのイベントに協賛しているらしく、
前から3列目という、いわゆるかぶりつき席のチケットをプレゼントしてくれた。
会場は1000人ほどを収容できるホールだけど、登紀子さんの人柄からか、
ホール・コンサートというよりライヴハウス(ブルーノートというべきか?)的な雰囲気。
ステージが身近に感じられ、さしてファンでもない僕でも、スナオに感情移入ができた。
登紀子さんのシンガーとしての立ち位置を敢えてカテゴライズすると、
「シャンソン」や「フォーク」ということになるのだろうか。
実際みた僕の印象は、意外にもポップで、そして情熱的だった。
フォークソングではアルペジオ系の演奏が多かったけど、
決して暗くはなく、自信に溢れたオトナの音楽がそこにはあった。
そして登紀子さんが歌うシャンソンは、ジメジメした愛の歌というより、
ラテンの要素が濃く、カッコよかった。
バンドは、登紀子さんを入れてスリーピース編成(ギター・ピアノ・キーボード)。
バッキング・ミュージシャンのお二人は相当な実力者で、
ラテン系の裏をとるビートを確実に刻むピアノには舌を巻いた(あんなのできないよぉ)。
印象的だったのは、
「この歳になって、ようやくオトナの女性になれた」
という MC 。
若いころ、歌っていてなんとなくギャップを感じていた歌が、ようやく堂々と歌えるようになった
とのこと。
「どう、いいでしょ。聴いてよ」、てカンジらしい。
なんとなく行ったコンサートだったけど、
世代や国家、イデオロギー、宗教…etc
そういった七面倒くさいものをこえる何ごとかが音楽(ラヴソング)にはある。
そんなことを再認識させられたコンサートだったし、加藤登紀子さんだった。
僕は、チョー食べ物保守主義で、得体の知れないモノは口にしない。
それどころか、今や完全に珍味のカテゴリーをこえてスタンダードになっている、
たとえばスッポンやイノシシ、カエルなども毛嫌いしている。
言い訳がましいけど、僕はこれらの料理にたいして不味いといったことはなく、
自分が苦手なだけだということで、お茶を濁している。
先日、かなり年長の先輩(父親世代)に山間部でご馳走になったとき、
そのお店の名物の「鹿の刺身」をオーダーしてくださった。
僕はコノテの食べ物は苦手ということを素直に告げたんですが、先輩は聞く耳を持たない。
失礼ということを十分承知の上で、
「鹿のお肉って臭みがあるんじゃないすか?」
ときくと、先輩&店主が、
「この刺身は、子鹿だからダイジョウブ」、と。
「子鹿って?バンビじゃないですか!」
と、ビッグサプライズ。
「バンビは無理です」
と、ますます腰が引けた僕だった。
それどころか、今や完全に珍味のカテゴリーをこえてスタンダードになっている、
たとえばスッポンやイノシシ、カエルなども毛嫌いしている。
言い訳がましいけど、僕はこれらの料理にたいして不味いといったことはなく、
自分が苦手なだけだということで、お茶を濁している。
先日、かなり年長の先輩(父親世代)に山間部でご馳走になったとき、
そのお店の名物の「鹿の刺身」をオーダーしてくださった。
僕はコノテの食べ物は苦手ということを素直に告げたんですが、先輩は聞く耳を持たない。
失礼ということを十分承知の上で、
「鹿のお肉って臭みがあるんじゃないすか?」
ときくと、先輩&店主が、
「この刺身は、子鹿だからダイジョウブ」、と。
「子鹿って?バンビじゃないですか!」
と、ビッグサプライズ。
「バンビは無理です」
と、ますます腰が引けた僕だった。
わが家の掃除機は、「ヘンリー君」(Henry)っていう UK 製のそれ。
僕は、自分では掃除機をかけたりしないので、そのポテンシャルを知る由もないけど、
このダウンサイジングが常識の世の中に逆行して、ガタイがやたらデカイ。
だから置き場所がなく、寝室をでたとこの廊下に、コイツはいつも居座ってる。
さらに面倒なのが、その収納。
「ヘンリー君のお家」(Henry House)っていう専用のグッズ(別売り)があり、
その上に収納するわけだけど、これがまたメンドイ。
ホースを Henry House の中に通さなきゃいけないんだけど、
ヘンリー君が重いため、これがなかなかの難作業。
カワイイ顔して、手がかかるヤツなんです。
しかもこのヘンリー・ハウス、中はまったくの空洞で、
付属品を収納する等の便利機能は一切なし。
それでも(クドイですけど)別売り、有料です。
いま TV で、F1 オーストラリア・グランプリをやってるけど、
F1 マシンのコックピットの掃除に、ヘンリー君を使っているチームがあるそうだ。
やっぱり英国のチームなんだろうか?
ウィリアムズとか、マクラーレンあたりかな?
僕は、自分では掃除機をかけたりしないので、そのポテンシャルを知る由もないけど、
このダウンサイジングが常識の世の中に逆行して、ガタイがやたらデカイ。
だから置き場所がなく、寝室をでたとこの廊下に、コイツはいつも居座ってる。
さらに面倒なのが、その収納。
「ヘンリー君のお家」(Henry House)っていう専用のグッズ(別売り)があり、
その上に収納するわけだけど、これがまたメンドイ。
ホースを Henry House の中に通さなきゃいけないんだけど、
ヘンリー君が重いため、これがなかなかの難作業。
カワイイ顔して、手がかかるヤツなんです。
しかもこのヘンリー・ハウス、中はまったくの空洞で、
付属品を収納する等の便利機能は一切なし。
それでも(クドイですけど)別売り、有料です。
いま TV で、F1 オーストラリア・グランプリをやってるけど、
F1 マシンのコックピットの掃除に、ヘンリー君を使っているチームがあるそうだ。
やっぱり英国のチームなんだろうか?
ウィリアムズとか、マクラーレンあたりかな?