本来不変なるものが、肉体を持つことで、〈変化なるもの〉を経験する。
肉体を持ち経験する事は、実に楽しい体験学習である。
錯覚・妄想・幻想や忘却をも経験するからである。
真実や自分を見失い、自分が誰か?分からなくなるから面白い!
しかし、こんなつらい事はない。
しかしながら、生きること、死ぬこと、希望を持つこと、捨てること、
敬虔(けいけん)さや傲慢(ごうまん)さも肉体を持つこの世界だから経験できる。
この世は、まことは素晴らしい。上手くできている。
相対価値の世界を経験して、絶対価値の世界を知る。
まさに、右を知る為には、左を知らねばならない。
更に、左右同時存在を知らねばならい。
この世が生きて素晴らしい者には、あの世も素晴らしいものになる。
この世が辛く悲しい者には、あの世も辛く悲しいものになる 。
この世もあの世もヒトツである。ゆえに、この人生をムダに過ごさないことである。
天国や神国が、今ここにあるのに気づかない。人間は、どこにあると思っているのだろか?
〈神〉は明確なのに、人間には不明確なもの、または、無いことになる。
どうして?そうなる?
肉体を持つ副作用の錯覚・妄想・幻想・忘却が、試練(しれん)を生み出す。
楽しみを忘れた試練動物は、唄を忘れたカナリヤで良いのか?
試練も楽しみだと忘れたようだ。
命日の翌日になると、命日までが何になるのかな?
天地を癒す秘密の言霊
アヤナワン・アリンガトワ!
A YA NA WA-n ・ A Linga TA-o WA
あやなわん・ありんがとわ!