月乃和熊(ツキノワグマ)のささやき

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乃木大将100年際(3)

2012-09-22 22:49:01 | 祈願(神社仏閣)
先日、2012年9月13日に乃木神社で開催された乃木大将100年際に奉納された、柔道の古賀の絵燈籠

こんにちは、月乃和熊(ツキノワグマ)です!
  3.11東日本大震災 忘れない!風化させない!!
  
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乃木大将100年際(3)

9月20日の18:00から、管絃祭(剣舞)が開催される聞いていたので見に行きたかったのだが、どうしても仕事で抜け出せず、観覧することができなかった。

しかたがないので、9月13日に参拝した乃木大将100年際の剣舞の写真を掲載

剣舞の奉納が終わって、ものすごく疲れたって顔しているよね・・・

1時間以上続いた儀式が終了して、退場する神官たち


最後に旧乃木邸の厩付近で展示されていた、静子夫人の衣装のUP

懐剣で突いた後は、右わき腹のように見えるけど、本当は胸のほぼ中央を貫いているという

また、懐剣で突いた跡が横に一直線になっているといことは、刃を横に寝かせて突いていることを物語り、乃木大将が突いた懐剣はあばら骨の隙間から、スッとかつ力強く心臓を貫いたに違いなく、静子夫人は即死に近かったのだろう。

日露戦争後、明治帝への忠節によって生きることの意義を見出していた乃木大将は、明治帝が薨去したことで自己の死にざましかみいだすことができなかったのだろう。

乃木大将は腹を十文字に欠き切った後、サラシをまいてシャツを身に着け、軍服で身繕いして死んだと伝わるが、このような壮絶な死にざまを、現代人は自身に置き換えて想像できるだろうか・・・

しかし、明治帝への忠節という重責から解放された乃木大将は、きっと清々しい気持ちで亡くなったに違いない。

次回 乃木大将百年祭(4)につづく~

前の記事 乃木大将百年祭(2)
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<乃木神社の行事>
10月17日 神嘗祭当日祭
10月30日 正松神社祭・祖霊舎祭
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