昔話(中華は遠い国にして 其のⅢ)

2009年01月23日 | 雑記

昨夜も脱線
こう毎夜の度に脱線してたんじゃ話が先に進まんわ ^^;

急きょ決まった”家族で横浜中華街本場の中華を食べに行こうツアー”
別名『金曜の夜出発の日曜夜までは是が非でも帰ってくるツアー』
出発は毎度おきまりの夜十時。
当時乗ってたこいつ

セカンド・サードシートを平らにし布団を敷く。ちょっと窮屈だが床にも敷き並べりゃ上下二段の立派な寝台車である。

時間調整しつつ朝焼けの首都高から子供たちに都内見学させ(って言っても子供たちもちょっとした用事で毎月東京には出てきていたのだから、純然たるお上りさんはかあちゃんだけ)

レインボー・ベイブリッジと遠回りしても姉の家に着くのは朝食前。

 

「おじいちゃんは私らがみます」の姉夫婦の言葉に甘えて私らは子ども連れての別行動。

遊覧船で港見物の後山下公園へ上陸、そこから中華街へ。
さぁーて美味しいもん食べるぞ♪

ところがでる、中華街の入り口で土産買いながら順番待ちしてたら急に長女のねえちゃんが帰ると言い出した。
なんせこの当時のねえちゃん、今と正反対で人混み嫌い。人の多さに恐れなして帰る帰るの一点張り。
あれやこれやとなだめすかしても聞かず結局根負け帰宅と相成った。
帰りの電車の中ではご想像通り、一触即発状態で誰も口きかぬ。

たどり着いた姉の家はもぬけのから、預かった鍵でドアをあけ、途中で買ったカップ麺で遅い昼食。

疲れ果てみんなで寝てると姉夫婦にじいちゃんが帰ってきた。そして開口一番「あらっ早かったのね、中華 美味しかった? 私らは鎌倉の懐石料理♪ 高かったけど美味しかったわぁ~♪」

 

かあちゃんと弟たちには「また来よう、その時はたらふく食べような」と約束したが、未だ食べてない。
子供は部活が忙しくなり家族での遠出がなくなり親とも出掛けぬ様になった。
また来よう
実行されぬままの言葉
横浜は遠い
中華の国はまだ遠い・・・

 

 

先日チヌ師宅の会話で思い出した昔の話でした