■平成24年8月26日(日)
石巻の帰りにはいつも必ず訪れている仙台空港。
ここから沖縄に帰る予定の方を送るはずでしたが、
ちょうど台風が直撃していて飛行機が欠航…。
でも30人がお昼ご飯を食べるには、仙台空港の規模が頼りです。
食事の後、これまで足を踏み入れたことの無かった名取市閖上地域に入り、
平坦な地域で唯一(であった)小高い築山、日和山へと向かいました。
今、日和山の麓には向日葵が植えられています。
“唯一(であった)”というのは、この閖上地域も津波の被害を受けており、
震災後、日和山の周囲至るところに瓦礫の山が出来上がってしまったからです。
数えるほどの階段を登ると、すぐに日和山の頂上。絶え間なく風が吹き付けていました。
ここにあった社殿は流されてしまい、今では印となる柱と、震災犠牲者の供養塔、
強風に耐えられるように覆いをされた植え樹だけが私たちを迎えてくれました。
周囲は日和山の東方向に海岸があること以外は見渡す限り平坦な土地で、
そこにあったはずのほとんどの建物が津波の被害をうけて失われています。
平坦すぎるこの地域に、津波から逃れる場所は思い当たりません…。
日和山からの光景を見ていて、昨年の夏、被災地の様子が一変したのを思い出しました。
それは、道も、畑も、かつて家が建っていた場所も震災直後は一面の瓦礫で覆われていましたが、
数ヶ月後の夏には、瓦礫を覆い隠すように、たくさんの草が生い茂っていた、あの変化です。
今年、2度目の夏を迎えた被災地を訪れ、新たな変化に気づかされました。
多くの場所で瓦礫がどこかに運ばれて、真っ平らに整地されつつあります。
整地されていない多くの場所でも、昨年以上に草が生い茂っていて、
まるで、自然の恵み豊かな、穏やかな土地であるかのような安穏とした雰囲気からか、
あたかも、復興が進んでいるという気にもなってしまうかもしれません。
けれども、僧侶としてのご縁によって、亡き人のご遺骨やご遺影と向き合いご供養をする機会があったり、
仮設住宅が建ち、そので復興の歩みを進めている多くの人たちと出会い、
支援活動を続けるなかで、その地に住んでいる人、必死に困難と闘っている人の心を感じると
1年半になろうとする今でも、決して解消出来ない悲しみの中で生きている現実に気付かされます。
この悲しみは、どんなに瓦礫が片付けられても、どんなに草が生い茂っても、
それらと歩調を合わせるように解消されるものではありません。
荒涼とした閖上の現状と同じように、その歩みは一朝一夕には成し遂げられないでしょう。
心の復興に歩調を合わせられるのは、寄り添う人の心をおいて他にはありません。
人の心のありかたをよくよく感じながら、これからも携わっていきたいと思います。
日和山の上にいたのは時間にして約30分。
ひとときもも風のやむことはありませんでした。
石巻の帰りにはいつも必ず訪れている仙台空港。
ここから沖縄に帰る予定の方を送るはずでしたが、
ちょうど台風が直撃していて飛行機が欠航…。
でも30人がお昼ご飯を食べるには、仙台空港の規模が頼りです。
食事の後、これまで足を踏み入れたことの無かった名取市閖上地域に入り、
平坦な地域で唯一(であった)小高い築山、日和山へと向かいました。
今、日和山の麓には向日葵が植えられています。
“唯一(であった)”というのは、この閖上地域も津波の被害を受けており、
震災後、日和山の周囲至るところに瓦礫の山が出来上がってしまったからです。
数えるほどの階段を登ると、すぐに日和山の頂上。絶え間なく風が吹き付けていました。
ここにあった社殿は流されてしまい、今では印となる柱と、震災犠牲者の供養塔、
強風に耐えられるように覆いをされた植え樹だけが私たちを迎えてくれました。
周囲は日和山の東方向に海岸があること以外は見渡す限り平坦な土地で、
そこにあったはずのほとんどの建物が津波の被害をうけて失われています。
平坦すぎるこの地域に、津波から逃れる場所は思い当たりません…。
日和山からの光景を見ていて、昨年の夏、被災地の様子が一変したのを思い出しました。
それは、道も、畑も、かつて家が建っていた場所も震災直後は一面の瓦礫で覆われていましたが、
数ヶ月後の夏には、瓦礫を覆い隠すように、たくさんの草が生い茂っていた、あの変化です。
今年、2度目の夏を迎えた被災地を訪れ、新たな変化に気づかされました。
多くの場所で瓦礫がどこかに運ばれて、真っ平らに整地されつつあります。
整地されていない多くの場所でも、昨年以上に草が生い茂っていて、
まるで、自然の恵み豊かな、穏やかな土地であるかのような安穏とした雰囲気からか、
あたかも、復興が進んでいるという気にもなってしまうかもしれません。
けれども、僧侶としてのご縁によって、亡き人のご遺骨やご遺影と向き合いご供養をする機会があったり、
仮設住宅が建ち、そので復興の歩みを進めている多くの人たちと出会い、
支援活動を続けるなかで、その地に住んでいる人、必死に困難と闘っている人の心を感じると
1年半になろうとする今でも、決して解消出来ない悲しみの中で生きている現実に気付かされます。
この悲しみは、どんなに瓦礫が片付けられても、どんなに草が生い茂っても、
それらと歩調を合わせるように解消されるものではありません。
荒涼とした閖上の現状と同じように、その歩みは一朝一夕には成し遂げられないでしょう。
心の復興に歩調を合わせられるのは、寄り添う人の心をおいて他にはありません。
人の心のありかたをよくよく感じながら、これからも携わっていきたいと思います。
日和山の上にいたのは時間にして約30分。
ひとときもも風のやむことはありませんでした。