たつのこ半畳記 350

坐禅会情報・四季折々の様子を伝えるときどき日記。
令和3年に開創360年を迎えている起雲山大龍寺のブログです。

★大龍寺こころの旅(石巻・北上) その2

2014年11月29日 | 震災ボランティア
◆平成26年10月21日(火)

女川の朝は雨でした。
NHKの朝イチでは偶然「石巻&女川」特集!





そして旧女川町立病院の高台に立ち寄りました。
この高台はバスで上がるとバックで引き返すしかないので、
念のため崖下から歩いて高台に向かいました。

この高台は標高16メートル。
誰もがここまで津波が来るとはと思い避難していたところを、
17.8メートルの津波が襲い、病院の一階まで浸水したそうです。




海岸から山間部にかけてを見渡すと、津波の高さがうかがえます。
津波が来なかったある高さから上には民家が密集しています。





女川中心部からバスで一本道を南下します。
途中、瓦礫が撤去されただけの集落や、
海岸際の道路だけがかさ上げされた地域を通り抜け、
およそ40分ほどかけて到着したのが、
東北電力女川原発原子力PRセンター
震災発生時には、国家に関わる機密施設であるにもかかわらず
避難してきた住民を受け入れ、避難所としての役割を担っていたそうです。

こちらには、大学の時にお世話になった先輩が赴任中。
通常の業務とは異なり、私たちのために時間を割いて下さいました。
施設の説明と、震災発生時の現場の様子等をお話下さいました。









そして再び同じ道を引き返し、女川町の復興の大きな力となっている
笹かまぼこの高政へ立ち寄りました。

ここは工場が併設された店舗で、笹かまの製造ラインをガラス越しに見ることができます。
地元若者の雇用にも一役買っているとのことです。







そして、2日目の最後の訪問地は大川小学校でした。
これまであった慰霊碑とは異なり、石段で上がる大規模なものとなり、
犠牲となった子供たち全員の名前が刻まれています。
ここで全員揃って般若心経をお唱えし、犠牲者への追善とさせていただきました。

旧校舎は取り壊されること無く、そのままの状態で残されていました。








この日の宿泊先は、北上の山中にひっそり佇む追分温泉。

地元の和尚さんと再会を果たし、
また、拙寺の施食会にてギター演奏をしてくださったこともある
渋谷修治さんと追分温泉館主さんとのコラボ演奏をお聴きしました。

被害に遭った場所を目の当たりにし、縁ある人たちからお話をお聞きしました。
3年半の時を経て、ようやく他人に話すことができることもあるのだそうです。
人との縁を結ぶこと、手と手を携えて同じ思いを共有すること、
そういう基本的なことの大切さを、誰もが心に抱いた1日となりました。




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