たつのこ半畳記 350

坐禅会情報・四季折々の様子を伝えるときどき日記。
令和3年に開創360年を迎えている起雲山大龍寺のブログです。

★変わりゆく被災地で、必ずすること。

2012年09月01日 | 震災ボランティア
■平成24年8月25日(土)



●爽やかな朝を迎えました

さんさん館に冷房はありませんでしたがそれで充分。
連日熱帯夜の東京では考えられない涼しさ~





(は)はきはきはなす

(や)やさしくする

(し)しぜんとふれあう

(ぎ)ぎりぎりまでがんばる

(わ)わたしのかんがえをもつ


ギリギリまで頑張る!

  スロースターターな私には、とても身近な言葉です。
  一刻の猶予も無いということに気づくのは、たいてい締め切りの直前です(^^;)





これぞ、いわゆる学校の階段ですね。





昨晩の到着時には真っ暗でしたが、まさに学校の雰囲気ですね。





朝食。アルマイトの食器では出てきませんでした。








●被害の現場を巡拝して、石巻市内の法山寺を目指します





南三陸町の防災庁舎。ごく近所の志津川病院は解体されましたが、この防災庁舎は残されていました。
この日も、多くの人たちが礼拝に訪れていました。







志津川のモアイ像(複製)

チリ地震('60)で起きた津波がこの南三陸町にも到達し、被害が発生しました。
それがきっかけとなって、チリからモアイ像が送られたとのこと。
今回撮影することができたのは、その複製。津波の被害を受けています。







津波の引き潮に、本堂をそっくりそのまま流されてしまった白浜の西蔵寺さま。
敷地内はきれいに整地されて慰霊塔が建てられ、お参りをしました。

草が深く生い茂っていますが、津波以前は、建物が軒を連ね集落があったそうです。
集落の集団移転が決定しており、それについては行政からの支援もあるようですが、
寺院を移転させる際の費用負担は、補助はゼロ。自費で移転させなければならないとのこと。
これまでお寺を支えてきた檀信徒さんも被災されている方たちばかりという状況で、
今後、お寺の移転、復興を成し遂げるのは、容易なことではありません。









すっかり整地されたこの場所は、もともと石巻市北上総合支所がありました。
指定避難所にもかかわらず津波に襲われ、57人のうち54人が亡くなったという場所です。
当時の建物は今年3月に解体・整地され、遺品類がまとめられた焼香所でのお参りとなりました。









北上川の南側にある大川小学校です。
たくさんの向日葵で飾られた礼拝所でのお参りとなりました。







大川小学校から上流方向にあるお寺です。

一帯が水没してしまった長面地区にあるお寺は本堂も墓地も全て流されてしまったとのこと。
そのお寺のご縁で、このお寺さんは全てのご遺骨を預かり、日々ご供養を続けてこられているとのこと。

改めて、たくさんのご遺骨・ご遺影の前でお参りをさせていただきました。
児童74名が犠牲・行方不明になった大川小学校の児童のことを思うと、
74名一括りではなく、一人一人が負った悲しさ、つらさが胸に迫ってきます。


ご住職様のお許しを得て、副住職様と共に、法要をあげさせていただきました。









私たちは、心にずしりと重いものを抱きながら、
石巻市内の法山寺さまを目指し進んでいきました。
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