毎年母の日恒例の山門施食会(さんもんせじきえ)を
9日正午より、内献(ないけん)でお勤めしました。
内献というのは、檀信徒さま方の参列や、
近隣の寺院さま方のお手伝いをお願いせず、
お寺の内々で簡略にお勤めする法要の形式を言います。
今年は庫裏・書院建設の真っ最中のため
100名前後が集まる山門施食会を開催することは難しく
やむなく内献ということでのお勤めとなったのです。
内献なので、仮設の施食棚も用意せず、
ご本尊さまを祀っている須弥壇を施食棚に見立てました。
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ところが《母の日は大龍寺へ》という呼びかけをしてきたためか、
お檀家さんの中には、母の日の墓参が習慣となっている方もおり、
「法要は無くても、母の日にはお参りがしたいんだよ」
と言ってお寺に来られる方が何人もおりました。
決められたことを、決められたように。
当たり前のことを、当たり前のように。
1つのことを、全く同じように継続して行っていくこと。
これが自分だけのことでなく、親、子、孫、曾孫…と
何世代にも渡って行い往く行事は、「行持」となっていきます。
今年限りの内献という法要となったことによって
1つのことに気がつきました。
これまで毎年お勤めしてきた施食会が、
お寺が案内を出して檀信徒さま方に応じてもらうのではなく、
お寺と檀信徒が手を携えて行持していたんだということです。
これからの様々な法要で、
心しておかなくてはならないことを学びました。
9日正午より、内献(ないけん)でお勤めしました。
内献というのは、檀信徒さま方の参列や、
近隣の寺院さま方のお手伝いをお願いせず、
お寺の内々で簡略にお勤めする法要の形式を言います。
今年は庫裏・書院建設の真っ最中のため
100名前後が集まる山門施食会を開催することは難しく
やむなく内献ということでのお勤めとなったのです。
内献なので、仮設の施食棚も用意せず、
ご本尊さまを祀っている須弥壇を施食棚に見立てました。
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ところが《母の日は大龍寺へ》という呼びかけをしてきたためか、
お檀家さんの中には、母の日の墓参が習慣となっている方もおり、
「法要は無くても、母の日にはお参りがしたいんだよ」
と言ってお寺に来られる方が何人もおりました。
決められたことを、決められたように。
当たり前のことを、当たり前のように。
1つのことを、全く同じように継続して行っていくこと。
これが自分だけのことでなく、親、子、孫、曾孫…と
何世代にも渡って行い往く行事は、「行持」となっていきます。
今年限りの内献という法要となったことによって
1つのことに気がつきました。
これまで毎年お勤めしてきた施食会が、
お寺が案内を出して檀信徒さま方に応じてもらうのではなく、
お寺と檀信徒が手を携えて行持していたんだということです。
これからの様々な法要で、
心しておかなくてはならないことを学びました。
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