3月3日定例坐禅会のお知らせは、こちらです。
大龍寺では、毎年2月15日お釈迦さまのご命日に、
涅槃会法要と共に、檀信徒得度式を営んでいます。
現在、お戒名はご葬儀などで受けることがほとんどですが、
生きているうちにお戒名を受けていただこうという思いから
当山の檀信徒を対象に「生前授戒」を勧めております。
今年も例年同様、2月15日に涅槃会法要・檀信徒得度式を修行しました。
今回の得度式では、5名が「新戒さん」としてお戒名とお袈裟(絡子)を受けられ、
昨年までにお戒名を受けられている方には後見人としてお集まりいただきました。
今回の新戒さん5名は、昨年10月の永平寺東京別院で法脈会に参加された方です。
法要開始1時間前、久しぶりに集まった5人で得度式の式次第を確認し、
合掌、礼拝、お焼香、五体投地の三拝といった基本的な所作進退を練習しました。
お焼香ひとつ取っても、身についていれば大したことではありませんが、
合掌、低頭、右手で抹香をつまみ取り、額前に捧げ持って念じ、炭にくべ、
更に再び右手で抹香をつまみ取り、今度は額前で念ぜず、炭にくべ、合掌、低頭。
このように、言葉で説明すると途端に難しい物のようになってしまいます。
一通りのレクチャーの後、私は式を始める準備にとりかかりましたが、
5人の新戒さんたちは、その身に刻み込むかのように、
何度も何度も、お焼香と三拝の練習を続けられていました。
式が始まりました。
実は、今回の得度式では、新命住職が授業師(戒師)を勤めました。
初めての戒師ではありましたが、これまで師匠の傍らで得度式に携わり、
今回のために事前のイメージトレーニングも重ねてはきました。
でも、何かが足りない…。
何かが、違う…。
手に届くところで気付いたのは、基本であるはずのお焼香。
新戒さんに差し上げる「血脈」「絡子」を手渡す前に、
まずはお焼香をし、立ち上る香煙でこれを薫じるわけですが、
お釈迦様以来連綿と受け継がれてきた法の神聖さ?
これまで受け継がれてきた道のりを醸し出す荘厳さ?
最近の俗っぽい言い方をすれば、ヤバさ?
所作進退の更にその先にあるであろう何かが物足りない。
思いだしたのは、ついさきほど得度式前の5人の新戒さんの姿でした。
5人は、必死になってお焼香の練習をしていました。
目線、手の形、注意すべきことなど、一つ一つを声に出して、
緊張感と真剣さを隠すことなく、何度も何度もお焼香を繰り返していました。
私にはまだ、前住職が兼ね備えていた神聖さ、荘厳さといった何かを
周囲の人に感じてもらうには、まだまだ何かが足りないのです。
いや、もしかすると逆に、余計な何かが多いのかもしれません。
1人の僧として、お焼香の作法一つを大切にしないといけないなと感じた法要でした。
約1時間にわたる檀信徒得度式の後、
涅槃図(お亡くなりになったときの様子を描いた掛け軸の絵)を祀っている
本堂東側の広間に席を移し、涅槃会法要を営みました。
お釈迦さまがお亡くなりになる際に最後にお説きになった教えが、
『仏垂般涅槃略説教誡経』という経典として纏められています。
この涅槃会に臨んで今一度お釈迦様最後の教えに触れようと、
参列者一同、声を合わせて読経供養をしました。
読遺教経
2つの法要をあわせると1時間半にもなりましたが、
無事、相務めることが出来ました。ありがとうございます。
お疲れさまでした。
檀信徒得度式差定
七下鐘戒師上殿
上香普同三拝
浄道場
新戒焼香
授安名
授安陀衣
搭袈裟
懺悔文
洒水灌頂
三帰戒文
三聚浄戒
十重禁戒
十六条戒
授血脈
處世界梵
読経『摩訶般若波羅蜜多心経』
回向文
略三寶
普同三拝
涅槃会法要
上香普同三拝
読経『仏垂般涅槃略説教誡経』
読経中焼香
回向
略三宝
普同三拝
私の教えは、常に聞き、常に考え、
常に修めて捨ててはならない。
教えの要は、心を治めることである。
心は人を仏にし、また、鬼にもする。
心に従わず、心の主となれ。
お釈迦さまは最期にこう言い残されて、
静かに息を引き取られました。
弟子たちが天を仰ぐと、
満月は煌々と光り輝き、
月明かりを受けた沙羅の花は、
ひときわ真白く咲いていたそうです。
大龍寺では、毎年2月15日お釈迦さまのご命日に、
涅槃会法要と共に、檀信徒得度式を営んでいます。
現在、お戒名はご葬儀などで受けることがほとんどですが、
生きているうちにお戒名を受けていただこうという思いから
当山の檀信徒を対象に「生前授戒」を勧めております。
今年も例年同様、2月15日に涅槃会法要・檀信徒得度式を修行しました。
今回の得度式では、5名が「新戒さん」としてお戒名とお袈裟(絡子)を受けられ、
昨年までにお戒名を受けられている方には後見人としてお集まりいただきました。
今回の新戒さん5名は、昨年10月の永平寺東京別院で法脈会に参加された方です。
法要開始1時間前、久しぶりに集まった5人で得度式の式次第を確認し、
合掌、礼拝、お焼香、五体投地の三拝といった基本的な所作進退を練習しました。
お焼香ひとつ取っても、身についていれば大したことではありませんが、
合掌、低頭、右手で抹香をつまみ取り、額前に捧げ持って念じ、炭にくべ、
更に再び右手で抹香をつまみ取り、今度は額前で念ぜず、炭にくべ、合掌、低頭。
このように、言葉で説明すると途端に難しい物のようになってしまいます。
一通りのレクチャーの後、私は式を始める準備にとりかかりましたが、
5人の新戒さんたちは、その身に刻み込むかのように、
何度も何度も、お焼香と三拝の練習を続けられていました。
式が始まりました。
実は、今回の得度式では、新命住職が授業師(戒師)を勤めました。
初めての戒師ではありましたが、これまで師匠の傍らで得度式に携わり、
今回のために事前のイメージトレーニングも重ねてはきました。
でも、何かが足りない…。
何かが、違う…。
手に届くところで気付いたのは、基本であるはずのお焼香。
新戒さんに差し上げる「血脈」「絡子」を手渡す前に、
まずはお焼香をし、立ち上る香煙でこれを薫じるわけですが、
お釈迦様以来連綿と受け継がれてきた法の神聖さ?
これまで受け継がれてきた道のりを醸し出す荘厳さ?
最近の俗っぽい言い方をすれば、ヤバさ?
所作進退の更にその先にあるであろう何かが物足りない。
思いだしたのは、ついさきほど得度式前の5人の新戒さんの姿でした。
5人は、必死になってお焼香の練習をしていました。
目線、手の形、注意すべきことなど、一つ一つを声に出して、
緊張感と真剣さを隠すことなく、何度も何度もお焼香を繰り返していました。
私にはまだ、前住職が兼ね備えていた神聖さ、荘厳さといった何かを
周囲の人に感じてもらうには、まだまだ何かが足りないのです。
いや、もしかすると逆に、余計な何かが多いのかもしれません。
1人の僧として、お焼香の作法一つを大切にしないといけないなと感じた法要でした。
約1時間にわたる檀信徒得度式の後、
涅槃図(お亡くなりになったときの様子を描いた掛け軸の絵)を祀っている
本堂東側の広間に席を移し、涅槃会法要を営みました。
お釈迦さまがお亡くなりになる際に最後にお説きになった教えが、
『仏垂般涅槃略説教誡経』という経典として纏められています。
この涅槃会に臨んで今一度お釈迦様最後の教えに触れようと、
参列者一同、声を合わせて読経供養をしました。
読遺教経
2つの法要をあわせると1時間半にもなりましたが、
無事、相務めることが出来ました。ありがとうございます。
お疲れさまでした。
檀信徒得度式差定
七下鐘戒師上殿
上香普同三拝
浄道場
新戒焼香
授安名
授安陀衣
搭袈裟
懺悔文
洒水灌頂
三帰戒文
三聚浄戒
十重禁戒
十六条戒
授血脈
處世界梵
読経『摩訶般若波羅蜜多心経』
回向文
略三寶
普同三拝
涅槃会法要
上香普同三拝
読経『仏垂般涅槃略説教誡経』
読経中焼香
回向
略三宝
普同三拝
私の教えは、常に聞き、常に考え、
常に修めて捨ててはならない。
教えの要は、心を治めることである。
心は人を仏にし、また、鬼にもする。
心に従わず、心の主となれ。
お釈迦さまは最期にこう言い残されて、
静かに息を引き取られました。
弟子たちが天を仰ぐと、
満月は煌々と光り輝き、
月明かりを受けた沙羅の花は、
ひときわ真白く咲いていたそうです。