イスラエル旅行記

旅行記が完成したので、あとは普通に。、

75.石を売る子供

2006年10月05日 | Weblog
 休憩所で、頂上から戻ってくる仲間を待って、また一緒に下山します。日が上るにつれて、ジャンパーを脱ぐ人が増え、腰に巻いたり、肩にかけたりしながら、ほとんど無口で歩いています。100人? 200人? みなそれぞれに万難を排して、長年の夢を叶えたに違いありません。木もなく草もないシナイの山々に、喜びと満足に浸っている人々の行列が続きます。カラフルに、パワフルに・・・。

「xxxxxx!」
 地元の子供が寄ってきました。8歳か9歳ぐらいで痩せ細っています。手に石を持っていて、どうやら買ってくれと言っているらしいのです。夜中に、休憩所でお父さんと売店で働いていた子たち。兄弟なのか、二人で声をかけています。しかし、こんなところでお金を出そうものなら、クセになって次の旅行客に迷惑だろうと思い、
「ごめんね、お金持ってないのよ。アイハヴ ノー マネー」
と首を振りながら、プライドを傷つけないように優しく言いました。でも彼らが話しているのは英語じゃない。
「xxxxxx!」
と言って、今度は首から下げている私の懐中電灯を突きます。
「え? これと取り替えてもいいって?」
「xxx」
「だめよ、これは買ったばかりなのよ」
 歩きだそうとすると、今度は私のジャンパーを遠慮がちにつまんで、
「xxxxxx!」
と哀願するような目で訴えています。でも、これはこの日のために友人からいただいたものだから、手放すことはできません。一生懸命な姿に弱い私は、懐中電灯を手放すことにしました。あの子達のホッとしたような顔・・・。聞くところによれば、彼らは何か自分で稼がなければ、食事をさせてもらえないのだとか。
「ありがとう。サンキューね」
「xxxx、xxxx」

 何事も無かったように再び歩きましたが、心は日本晴れ、いやシナイ山晴れとでも言いましょうか。やはり旅の味わいは、現地人との心の触れ合いにこそあると実感しました。食うために働かざるを得ない、あの子たちを今でも時々思い出します。
 さて、みなそれぞれに体力の限界にチャレンジしながら、私たちはとうとうモーセの山にも登りました。今後、様々な試練にあう時、この経験が必ず役に立つことでしょう。お金も時間も体も使って得た、大切な宝です。結局、人は犠牲を払った分だけ、何かを得るのかも知れません。

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