イスラエル旅行記

旅行記が完成したので、あとは普通に。、

59.マサダで960名の自決

2006年09月19日 | Weblog
 場所を移動して、新しく説明を聞きます。

「このマサダが、どうして脚光を浴びるようになったかと言いますと、紀元66年~73年にかけて、ローマ帝国に対する反乱軍の舞台として登場したからなんです。70年にエルサレムの神殿が破壊された後ですね、3年間、967名のユダヤ反乱軍が、ここに立てこもって戦い続けたのです。
 下から上がってくるローマ軍に、石弾を投げて抵抗しましたが、最後にローマ軍は1万人の兵隊でマサダを包囲し、火攻めによる攻撃を開始しました。ただでさえ、食糧が尽きれば逃げるか、死ぬか・・・それしかないユダヤ人にとっては、たまったものではありません。もはや、これまでと最後を決めた指導者のエリエゼル・ベン・ヤイールは、次のように演説したと書かれています。

『私たちはローマの奴隷にはならない。主なる神以外の、誰にも仕えてはならない。捕虜となって辱めを受ける前に死を選ぼう。捕虜となる前に妻たちを、奴隷になる前に子供たちを死なせよう』

 そう言ってですね、960名が自決したのです。しかし、ユダヤ教では自殺も罪だと言われていますので、どういう方法を取ったかといいますと、まずですね、男子が自分の妻を殺し、次に10人を選んで、その10人が他の男たちを殺し、残った10人の中から1人を選んで、その人が自分以外の9人を殺し、そして最後の1人が自殺するという方法で、悲しい最期を遂げました。二人の女性と5人の子供が洞窟に身を隠して、生き残ったそうです」
「・・・・・・・・・」
 日本の白虎隊のような話に、胸がキュ~ンとなって、目頭が熱くなります。
「今、イスラエルでは、このマサダと嘆きの壁で軍隊の入隊式(写真)が行われます。そして全滅を再び繰り返してはならない、という決意をもって、『ノー・モア・マサダ』というスローガンを語り継いできました。入隊式で一人一人銃を渡された後ですね、こう言われるんです。
『これは単なる鉄の塊に過ぎない。これをどう使うかは、皆さんの良心と自由意志にかかっている。使い方によっては善にもなるし悪にもなる』と」
 しばらくの間、「ノー・モア・マサダ! ノー・モア・ヒロシマ!」とこだましていました。戦争は反対です。

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