イスラエル旅行記

旅行記が完成したので、あとは普通に。、

51. ヨルダン川 B

2006年09月14日 | Weblog
*ただ単純に信じることの大切さ

 ふと、一つの疑問が生じました。川幅がずいぶん狭いけど、当時もこんなものだったのだろうか。ナイル川やガンジス川のイメージで来た人は、え? と驚くに違いありません。この程度の川なら、何も紅海のように水をせき止められなくても、渡れそうなものをと・・・。
 帰国してからも、なかなか納得できず、ヨシュア3~4章を繰り返し読んでは、思いを巡らしていました。ハッと閃いたのは通勤電車の中です。川幅だけにこだわっていた自分に気がついたのです。
『狭くても、相当な深さだったら・・・、もしそうだったら、神の箱が水に浸かってしまう。それに、女、子供もいることだし・・・』
 それで、もう納得したのでした。

 またヨルダン川といえば、ライ病のナアマンのことも思い出します。助けを求めて予言者エリシャの所に来たけれども、ヨルダン川で7回身を洗えば、もとの身体になると、あまりにも簡単なことを言われたので、怒って帰ってしまったのです。彼は癒しの儀式を期待していたのでした。しかし、彼のしもべたちが説得します。

「わが父よ、預言者があなたに、何か大きなことをせよと命じても、あなたはそれをなさらなかったでしょうか。まして彼はあなたに『身を洗って清くなれ』というだけではありませんか」(列下五:1~14参照)

 そこで、ナアマンが預言者エリシャの言うとおりにしたところ、確かに癒されたのでした。ただ単純に信じることの大切さ、理屈をこねず、指導者に素直に従うことの大切さを、実際ヨルダン川の岸辺に立って深く感じることが出来たのは、3度目にして得た祝福でした。もし売店が開いていたら、買い物に夢中になって、こんなことまで思う余裕がなかったかも知れません。

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