イスラエル旅行記

旅行記が完成したので、あとは普通に。、

50. ヨルダン川 A

2006年09月13日 | Weblog
 1992年10月15日(木)、二晩お世話になった最初のホテル、ラマット・キネレットともお別れです。運転手のダビデさんと倉田さんが、荷物を確認してバスのお腹に詰め、泉さんは私たちを数えながら、健康の度合いもチェックしておられるようです。気がつくとバスの中は、いつの間にか指定席のようになっていました。泉さんがアナウンスします。
「みなさん、時々席を交換してくださいね」

 バスはガリラヤ湖に沿って南下し、今でもバプテスマが行われているという、ヨルダン川(写真)へと私たちを運びました。ここはガリラヤ湖とヨルダン川の分岐点、ヤルデニートと呼ばれる、言わば川の出口であり、イエス・キリストがバプテスマを受けた所ではありませんが、見る価値は十分あります。
 この流れが死海まで続いていて、イエス様がバプテスマを受けられたのは、その手前のベタバラという所でした。それを想像しながら、しばし瞑想に耽りたいところですが、カメラマンの私はそんな訳には参りません。

 朝早いせいか、売店が閉まっていて、ヒッソリしています。昨年の8月には、みなさんが売店に群がっている間に、高橋誠一さんと私だけ、ヨルダン川に入ったのを思い出しました。ゆっくりする間もなく、濡れた足にそのままソックスを履いて、エンジンのかかったバスまで走りましたね。
 さすが今回は余裕があるのでしょうか。エジプトを出たイスラエルの民が、ヨシュアに率いられてこの川を渡った時の、物々しい様子が浮かんできました。もちろん、実際はもっと下流の、エリコに近い場所だったのですが・・・。

「こうして民はヨルダン川を渡ろうとして天幕をいで立ち、祭司たちは契約の箱をかき、民に先立って行ったが、箱をかく者がヨルダンに来て、箱をかく祭司たちの足が水ぎわにひたると同時に、・・・・・上から流れくだる水はとどまって、はるか遠くのザレタンのかたわらにある町アダムのあたりで、うず高く立ち、アラバの海すなわち塩の海の方へ流れくだる水は全くせきとめられたので、民はエリコに向かって渡った」(ヨシュア3:14~16)

 まさに、モーセが民を率いて紅海を渡ったのと同じことが、ヨルダン川でも起ったのです。それを常識として知っている人は、あまり多くはないようですが・・・・

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 49.ピリポ・カイザリア B | トップ | 51. ヨルダン川 B »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事