あのJR尼崎の事故のあった日の4月25日月曜日の朝からもう一月が経とうとしています。
先日(4月26日付)の日記に書きましたが、あの時「なぜあの現場へ行かなかったのか」と自責の念にかられていましたが、今日のお昼ごろ、JR尼崎駅手前の事故現場付近にある献花台まで出向き、父と弟と三人でお花をお供えさせていただき、御仏前に手を合わせさせていただきました。
献花させていただいて、「ご無念だったでしょうが、安らかにお眠りください。」と仏様に声をかけさせていただき、私自身、少し、心が休まりました。父と弟は、尼崎に住む住人として、仏様に手を合わせたいという事で、一緒に連れて行きました。
今日は、一ヶ月が経つということからか、それとも普段からなのか分かりませんが、たくさんの報道陣がいました。
共同新聞社の記者からインタビューをしたいと声をかけられましたが、ていねいにお断りをさせていただきました。
107名もの尊い命が奪われ、550名近い方々が負傷し、多くの方が、今なお治療に専念され、職場や社会に復帰されていません。
改めて亡くなられた皆様と御遺族の皆様に哀悼のまことを捧げ心より御冥福をお祈り申し上げます。
今なお、怪我をされ、その治療に当たられている皆様の一日も早い、職場復帰、社会復帰が、叶いますよう心からご祈念申し上げます。
先日(4月26日付)の日記に書きましたが、あの時「なぜあの現場へ行かなかったのか」と自責の念にかられていましたが、今日のお昼ごろ、JR尼崎駅手前の事故現場付近にある献花台まで出向き、父と弟と三人でお花をお供えさせていただき、御仏前に手を合わせさせていただきました。
献花させていただいて、「ご無念だったでしょうが、安らかにお眠りください。」と仏様に声をかけさせていただき、私自身、少し、心が休まりました。父と弟は、尼崎に住む住人として、仏様に手を合わせたいという事で、一緒に連れて行きました。
今日は、一ヶ月が経つということからか、それとも普段からなのか分かりませんが、たくさんの報道陣がいました。
共同新聞社の記者からインタビューをしたいと声をかけられましたが、ていねいにお断りをさせていただきました。
107名もの尊い命が奪われ、550名近い方々が負傷し、多くの方が、今なお治療に専念され、職場や社会に復帰されていません。
改めて亡くなられた皆様と御遺族の皆様に哀悼のまことを捧げ心より御冥福をお祈り申し上げます。
今なお、怪我をされ、その治療に当たられている皆様の一日も早い、職場復帰、社会復帰が、叶いますよう心からご祈念申し上げます。