今回からは、漢字の音訳に関する考察です。
古代の日本語について調査する過程で、『日本言語学』(松岡静雄:著、刀江書院:1926年刊)という本にとても興味深いことが書かれているのを発見しました。
それによると、日本語の特質の一つとして、母音が連続しないことが挙げられるそうです。(本文では、「複母韻が存立し得なかった」という表現を用いています。)
これをもう少し詳しく説明すると、古代の日本人が漢字を音訳する際には、次のような特徴があったそうです。
1.水(sui)を「すゐ」(suwi)、類(rui)を「るゐ」(ruwi)などと音訳したこと。
参考までに、『大日本国語辞典』の「すゐ」と「るゐ」の項目をご覧ください。
【「すゐ」と音訳された漢字】(上田万年・松井簡治:著『大日本国語辞典』より)
【「るゐ」と音訳された漢字】(上田万年・松井簡治:著『大日本国語辞典』より)
2.拝(hai)を「hayi」と音訳したこと。
(林(はやし)という地名に拝志または拝師という字があてられていることがその理由。)
3.愛(ai)を「ayi」と音訳したこと。
(愛知(あいち)という地名に吾湯市または年魚池という字があてられていることがその理由。)
4.芭蕉(ばせう)を「ばせを」と書くこと。これは、「う」が「wu」だったことの証拠である。
【芭蕉】(上田万年・松井簡治:著『大日本国語辞典』より)
これらのことから、松岡氏は、古代の日本人が「y」または「w」という父音を加えて母音の重複を回避したのだと考えました。
しかし、本ブログで私が主張しているように、かつて、あ行には「あ」と「お」しか存在しなかったことを理解すれば、これは当然のことだと納得できます。
すなわち、古代の日本人は母音の重複を回避したのではなく、あ行の「い、う、え」が存在しなかったため、代わりにや行の「い」やわ行の「ゐ、う」を使わざるを得なかったのです。
このように、漢字の音訳に古代の五十音図の痕跡が残っていたことは大きな発見でした。
なぜなら、これによってあ行の「い、う、え」が存在しなかった時代が推定できるからです。
古事記には、第十五代応神天皇の時代に和邇吉師(わにきし)が論語十巻と千字文一巻を日本に伝えたことが記されています。
もちろん、それ以前にも漢字の読み書きができる日本人はいたでしょうが、これだけまとまった量の漢字の文献を入手したのはこれが初めてだと思われますから、この時期から漢字の音訳作業が国家事業として開始されのではないでしょうか?
これは、卑弥呼の時代よりもずっと後のことになりますから、当然ながら三世紀においても、あ行の「い、う、え」は存在しなかったという結論が得られます。
そう考えると、本ブログで、伊都国の伊をあ行の「い」と考え、三世紀にはあ行の「い」とや行の「い」が共存していたと論じましたが、実は伊都国の伊も、三世紀にはや行の「い」だったのではないかと思われるのです。
次回も漢字の音訳に関する考察です。
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【記事の訂正】 2023年9月24日
水・類の音訳については、その後の研究で「すい・るい」であったことが明らかになったそうなので、この部分の記述を削除させていただきます。
参考:「漢字の音訳に関する訂正」