日本語は同音異義語が多い言語だそうですが、これは外来語である漢字の熟語だけでなく、純然たる大和言葉についても言えることで、例えば、「はな」には花と鼻、「かき」には柿と牡蠣の二種類の意味がそれぞれあります。
同様に、「はし」にも、食事の際に使う箸と河川に掛けられた橋の二種類の意味があり、これらは形も大きさも異なるので、一見すると共通点はなさそうに思えます。
これについて、ミクロネシアの言語や風俗に詳しい言語学者の松岡静雄氏は、『日本古語大辞典』に、ハシのハは椰子(やし)の葉柄(ようへい=葉と幹をつなぐ柄の部分)を意味するポナペ語パと同源で、シはサ(状)に通ずると書いています。
つまり、椰子の葉柄のような細長い棒状のものが「はし」だったということです。
確かに、箸は細長い2本の棒ですし、橋も昔は丸木橋だったはずですから、棒を意味する古語が「はし」だったという説には説得力があるように思われます。
この「はし」という言葉が使われている歌が万葉集にあるので、『万葉集全註釈 七』(武田祐吉:著、改造社:1949年刊)という本を参考にしてご紹介します。
【万葉集第九巻 1804番の歌】(弟が死んでしまったことを悲しむ歌)
原文
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読み
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意味
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父母賀 | ちちははが | 父母が |
成乃任爾 | なしのまにまに | 生みなしたままに |
箸向 | はしむかふ | 食事を共にする |
弟乃命者 | おとのみことは | 弟の君は |
朝露乃 | あさつゆの | 朝露のように |
銷易杵壽 | けやすきいのち | 消えやすい命を |
(以下省略) |
この本では、箸向(はしむかふ)という部分を「食事を共にする」と訳していますが、なぜ箸が向かい合うのかが不明なため、この訳ではどうもしっくりこないように感じます。
一方、松岡氏によると、「はし」は円い材木の意にも転用されて、接尾語ラを付加して「はしら」(柱)とも言ったそうです。
そして、古代においては、座席を標識するために柱を建てるか、もしくは屋内の柱を長幼の順に従って族人の座席に割り当てることが一般的であり、この習俗は今も南方民族間に存在することを指摘して、兄弟の柱は対向していたのであろうと推測しています。
(ちなみに、神や貴人を数える際に「はしら」(柱)という語を使うのも、このことが理由なのだそうです。)
確かに、柱を背にして着座する習慣があったとすれば、兄弟が向かい合わせに座ることは自然ですから、当然ながら兄弟の柱も対向することになるため、「はし(柱)むかふおと(弟)」と表現したことも納得できます。
したがって、「はしむかふ」は「向かい合って座っていた」と訳すのがよいようです。
次に、「はし」から派生した言葉には、箸や橋、柱以外にも次のようなものがあるそうです。
1.はしご(梯=2本の「はし」に横木(こ)を渡したもの)
2.きざはし(階=昇降に用いるため、「はし」に刻(きざ)を設けて足がかりとしたもの)
参考までに、『日本古俗誌』(松岡静雄:著、刀江書院:1926年刊)という本に古代の住居図があって、そこに「きざはし」が描かれているのでご覧ください。(下図右下部分)
【古代の住居図に描かれている「きざはし」】(松岡静雄:著『日本古俗誌』より)
なお、端も「はし」と発音しますが、これは単に「は」とも言い、こちらの方が古い言葉のようなので、これは棒とは無関係な言葉だと思われます。