今月の8日は花まつり、お釈迦様の誕生日でした。
お釈迦様が説かれた教えは、6世紀中頃には日本に伝来したとされ、その教えを記録するのに使われた言語である梵語(ぼんご=サンスクリット)は日本語に大きな影響を与えました。
そこで今回は、『国語中の梵語の研究』(上田恭輔:著、大同館:1922年刊)という本を参考にして、梵語由来の「ふしだら」という言葉をご紹介します。
「ふしだら」は、漢字で書くと不修多羅で、修多羅(しだら)は、梵語の「スートラ」を漢字で音写したものだそうです。
現在では、「スートラ」は経典を意味し、例えば5世紀頃に編纂されたとされる『ヨーガ・スートラ』は、ヨガの根本的な経典として有名です。
しかし、最初は織物を織る機(はた)に付属する「筬」(をさ)に経糸(たていと)を通して糸を整え、糸目を整然とさせることを意味したそうです。(筬については次図参照)
【手織機の筬】(『新撰機織学 上巻』(工業教育振興会:1932年刊)より)
それが後世には事物の秩序をつけること、次に規則のこととなり、更に今日のようにもっぱら経典を意味するようになったのだそうです。
そして、国語の「しだら」という言葉は、梵語の古い時代の意味を保存していて、主として規律や秩序を意味していますが、この言葉が使われる場合は、必ず語頭に否定の「ふ」(不)をつけて、「ふしだらな女」などと言います。
また、「だらし」も「しだら」から派生したもので、これも必ず「だらしがない」という否定形で使われますが、「ふしだら」とは微妙に意味が異なるのは面白いですね。
そして、この「しだら」が更に転じて自堕落(じだらく)という言葉が誕生したそうです。
なお、修多羅を「しゅだら」と読んで、僧侶の袈裟(けさ)を飾る、色とりどりの紐(ひも)で組んだ装飾品を意味する場合がありますが、これも「スートラ」が語源です。(『大日本国語辞典』より)
梵語由来で、語源を知らずに使っている日本語は「ふしだら」以外にもあるので、『国語中の梵語の研究』に載っているものをいくつかご紹介します。
【悪】(あく)
梵語で善または良を意味する「クサロ」に、否定を意味する「ア」を付けると、不善不良を意味する「アクサロ」となる。仏典翻訳者が、悪という漢字を製造し、「アクサロ」の「アク」を悪の音とした。
【阿弥陀】(あみだ)
阿は否定の意味、弥陀は英語のメジャーと同系統の言葉で「量」(はかる)という意味で、無量寿または無量光と訳す。そして、この哲学的述語を人格化したものが阿弥陀如来である。
したがって、「弥陀の本願」のように阿の字を省略した表現は、実は梵語の本来の意義に矛盾することになる。
なお、阿弥陀籤(あみだくじ)は、紐状の籤の一端を束ねて、他端を数名の者が引っ張ると、阿弥陀如来像の後光のように放射状になることから名付けられた。
【卒塔婆】(そとば)
梵語の「ストゥーパ」を音写した言葉で、塔を意味する。
卒塔婆は、一片の木標に梵字を記した臨時の墓碑であるかのごとく心得ている人が多いが、インドでは仏舎利(ぶっしゃり=お釈迦様の遺骨)を安置する高大な土饅頭型の塔を「ストゥーパ」とよび、これが中国に伝わって、一層堅固で荘厳なものとなった。
【喇叭】(らっぱ)
梵語の「ラヴァ」、すなわち喚叫(かんきょう=わめきさけぶこと)、音響、ならびに動物の咆哮を指した名詞であって、この名詞は、叫ぶ、咆える、音を立てるなどの意味があるラブという動詞から転じて、ラブ、ラヴァとなり更に転じてラッパとなった。
元来、ラッパは角笛が発達したもので、飴屋のラッパないし豆腐屋のラッパの類であった。徳利の口を自分の口にあてて酒を飲むことを「ラッパ飲み」というが、これは古(いにしえ)のラッパを巧みに形容した趣がある。