夢というものは不思議なもので、現代でも夢を解釈する本が多数出版されていますが、古代の人たちも夢にはとても関心があったようで、古事記や日本紀には夢で神の啓示を得た話などが書かれています。
そして、こういった古典を読むと、古代の人は夢を「いめ」と発音していたことが分かりますが、『日本古語大辞典』によると、これは夢の古語が「よめ」だったからで、夜間すなわち就眠中物を見るという意味で「夜目」といい、これが転じて「いめ」または「ゆめ」となったのだそうです。
したがって、「いめ」の「い」はや行の「い」だったことになりますが、これは本ブログの「かつて「い」はや行にあった」でご紹介した内容と整合するものです。
なお、古事記や日本紀の歌謡には夢という言葉が登場する歌はありませんが、万葉集には、夢という漢字がそのまま使われている歌が多数あります。
また、夢が伊目(490番)、伊昧(807番)、伊米(809番、852番、3471番、3639番、3647番、3714番、3735番、3929番、3977番、4013番)、由美(4394番)という漢字で表記されている場合もあります。
最後の由美に関しては、弓と解釈する人もいるので、まずは夢と解釈する例を『有由縁歌と防人歌(続万葉集論究)』(松岡静雄:著、瑞穂書院:1935年刊)という本を参考にしてご説明します。(漢字の表記は、『万葉集 下』(塚本哲三:編、有朋堂書店:1926年刊)を参照しました。)
【万葉集第二十巻 4394番の歌】
原文
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読み
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意味
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於保伎美能 | おほきみの | 大君(天皇)の |
美己等加之古美 | みことかしこみ | 勅命を恐れ多いと思い |
由美乃美仁 | ゆみのみに | 夢だけに |
佐尼加和多良牟 | さねかわたらむ | (妻と)寝て過ごそうか |
奈賀氣己乃用乎 | ながきこのよを | 長いこの夜を |
これは防人歌の一つで、『勤皇秀歌 万葉時代篇』(武田祐吉:著、聖紀書房:1942年刊)という本によると、万葉集の第二十巻には、天平勝寳七歳(西暦755年)に大伴家持が選んだ84首の防人歌が収録されているそうです。
また、防人(さきもり)とは、対馬、壱岐、および九州北岸を警備するために、主に東国から徴用された人のことで、この歌の作者も、下総国相馬郡(現在の千葉県北西部、あるいは東京都東部)出身だったそうです。
そして、『勤皇秀歌 万葉時代篇』では、「由美乃美仁」の最後の文字が「他」となっている写本が存在することを根拠に、「由美」は「弓」、「乃美他」は「の+むた」の方言で「と共に」という意味だと解釈し、これを「弓と共に」と訳しています。
【むた】(上田万年・松井簡治:著『大日本国語辞典』より)
確かに、「由美」が「弓」を意味する歌は他に何首もあり、また、防人歌には東国の方言が数多く見受けられるので、このような解釈も成立するでしょう。
しかし、防人歌はほとんどが故郷に残した家族を思いやる歌ですから、個人的には、夢のなかだけでも妻と一緒にいたいと思う気持ちを歌に詠んだと考えるのが自然な感じがします。
次回も、古代の日本語をご紹介します。