古代の日本の様子を知るための重要な手掛かりに、古墳の周囲に置かれた「はにわ」(埴輪)があります。
次の写真は、『埴輪集成図鑑 第1回』(帝室博物館:編、万葉閣:1931年刊)という本に載っている女性の埴輪で、上野国佐波郡赤堀村(現在の群馬県伊勢崎市)で発掘されたものです。
【女性の埴輪】(帝室博物館:編『埴輪集成図鑑 第1回』より)
これを見ると、この人物は髪をきちんと結い、耳輪や首輪で着飾り、腰には五鈴鏡を下げていて、古代の女性はとてもおしゃれだったことが分かります。(五鈴鏡については、本ブログの「周辺諸国の名称3」を参考にしてください。)
ところで、埴輪の埴(はに)は粘土のことですが、『日本古語大辞典』によると、これは壺を意味する「へ」(瓮)が「は」に転じ、土や石を意味する原語「に」と組み合わされてできた言葉だそうです。
参考までに、齋瓮(いはひべ)という、お酒を神前に供えるために使われた陶器の壺の図をご覧ください。
【齋瓮(いはひべ)】(上田万年・松井簡治:著『大日本国語辞典』より)
つまり、「はに」の「に」は土を意味したわけですが、「に」が石を意味する例としては、次のようなものがあります。
景行天皇の十二年に熊襲が反乱を起こし、天皇自ら九州に出陣した際に、現地の豪族が、榊(さかき)の上枝に八握劒(やつかのつるぎ)、中枝に八咫鏡(やたのかがみ)、下枝に八尺瓊(やさかに)を掛けて天皇の使いを迎えたことが日本紀に書かれています。(『日本紀標註』より)
これは三種の神器を模したものだと考えられますから、最後の八尺瓊は勾玉(まがたま)のことだと思われますが、『日本古語大辞典』によると、これは「いや(弥)さか(栄)に」の約で宝玉を意味するそうですから、「に」が石を意味することは間違いはないでしょう。
また、「に」は「な」に転じ、「座」(すわる場所)を意味する「ゐ」と組み合わされて、地盤を意味する「なゐ」という言葉ができたそうです。
ちなみに、日本紀に初めて地震が記録されたのは允恭天皇の五年で、地盤が震えることからこれを「なゐふる」とよんでいます。(『日本紀標註』より)
そして、この「な」は、現代でも「うぶすな」(生まれた土地)という言葉に残されていますが、これは「産巣な」であり、産巣は産屋(うぶや)、「な」は土(に)の意味だと考えられるそうです。(『日本古語大辞典』より)
さて、ここからは雑学となりますが、日本には社日(しゃにち)という、生まれた土地の神さまをお祀りする日があります。
なぜ「社日」という名称なのかというと、「社」という漢字には「土地の神」という意味があるからです。
また、社日は年によって若干変動がありますが、これは、春分・秋分に最も近い戊(つちのえ=土の兄)の日が社日と定められているからで、例えば2022年なら、3月16日と9月22日が社日となります。
そして、生まれた土地の神さまのことを産土神(うぶすながみ)とよびますが、これは出産後のお宮参りや七五三のお祝いに詣でる神社の神さまです。
【社日の意味】(土屋鳳洲:著『明解漢和大字典』、および『大日本国語辞典』より)
現代では、社日という言葉を知らない人も多いと思いますが、人は誰でも産土神の御守護を受けているそうですから、社日に関わらず、たまには産土神社にお参りしてみてはいかがでしょうか。
次回も、古代の日本語をご紹介します。