電脳古代文化研究所2022 序(goo blog ver.)

折々の雑感、研究テーマを写真付きできままに綴るブログ

大和古寺巡礼その2 長谷寺

2019-08-01 17:23:00 | ノンジャンル
 創建は、朱鳥元(686)年、道明上人(どうみょうしょうにん)が天武天皇のために銅板法華説相図(どうばんほっけせっそうず/千仏多宝仏塔、国宝)を西の岡に安置したことが始まり。
 奈良時代の神亀4(727)年、道明上人の弟子である徳道上人(とくどうしょうにん)が聖武天皇の勅願により、東の岡に十一面観世音菩薩を造立しました。
 徳道上人は、近畿と岐阜県に点在する33か所の観音霊場を巡拝する、西国三十三所観音霊場巡礼を始めたといわれ、長谷寺は観音信仰の発祥であり、また聖地として発展してきました。
門をくぐると現れるのが、屋根付きの階段「登廊(のぼりろう)」。
 平安時代の長暦3(1039)年に、奈良の春日大社の宮司・中臣信清が我が子の病気平癒を長谷寺に祈願したところ無事に回復したことから、その御礼に登廊を寄進したのだそうです。 重要文化財に指定されている登廊(下廊)。形に特徴のある長谷型の灯籠が吊るされています。中登廊・下登廊は明治27(1894)年に再建されました
 長いこの階段は上登廊・中登廊・下登廊と3廊に分かれていて、総数は399段!
 下廊は写真からもわかるように1段の段差が低く、中登廊、上登廊と続くほどに段差が高くなっています。




大和古寺巡礼

2019-08-01 14:30:00 | ノンジャンル
第1日。 室生寺。 
 大和平野の東方、奥深い山と渓谷の続く室生のあたりの一帯は、太古の火山活動によって形成された幽邃な場所で、その中心が室生山です。室生は室・牟漏とも書いていずれもムロと読ませ、土地の人もムロと言いますが、ムロとはミムロという神の坐ます山のことで、大和で最も知られたミムロの山に美しい円錐形の三輪山があります。

 室生山は三輪山よりやや切り立った円錐形の神山で、ここに奈良時代の末期、皇太子の山部親王(後の桓武天皇)の病気平癒の祈願のため、行いの正しい五人の僧がこの聖なる山中で祈祷をして優れた効果がありました。そうしたことから国家の為に建立したのが室生寺です。伽藍の造営に当たったのは興福寺の高僧修円で、この人は空海や最澄に並んで平安時代初頭の仏教界を指導する高名な学僧でありました。

 以後室生寺は、興福寺の法相宗を始め天台・真言・律宗などの高僧を迎え、山林で修行するかたわら各宗を勉学する道場として、仏教界に大きな役割を果たします。しかしその一方では、谷を走る清流や、龍が住むという山中の龍穴などから龍神の信仰が生まれ、これに雨乞いの祈願をするため、平安前期以来度々朝廷から勅使が派遣されて、龍神の室生の名は広く世に知られるようになりました。

 また奥深い深山という室生寺の環境は、密教の道場にふさわしいことなどから、次第に密教的色彩を強め、鎌倉期には真言密教の最も重要な儀式を行う灌頂堂と、弘法大師を祀る御影堂を奥の院に建立します。しかし真言密教の根本道場である高野山が、厳しく女人を禁制したのに対し、室生寺は女人にも開かれた道場『女人高野』として広く親しまれるようになりました。
国宝 十一面観音立像(現在は東国に出張中)
 装飾的で女性的な優しさの漂うこの像の作風は、本尊に近い室生寺様。本尊の本来の脇侍として造られたものと考えられている。
 八重蓮華座と呼ばれるこの台座は、後世の補作の部分はあるものの、平安前期の様式を良く伝えて美しい。
 写真は上から五重塔、本堂。