創建は、朱鳥元(686)年、道明上人(どうみょうしょうにん)が天武天皇のために銅板法華説相図(どうばんほっけせっそうず/千仏多宝仏塔、国宝)を西の岡に安置したことが始まり。
奈良時代の神亀4(727)年、道明上人の弟子である徳道上人(とくどうしょうにん)が聖武天皇の勅願により、東の岡に十一面観世音菩薩を造立しました。
徳道上人は、近畿と岐阜県に点在する33か所の観音霊場を巡拝する、西国三十三所観音霊場巡礼を始めたといわれ、長谷寺は観音信仰の発祥であり、また聖地として発展してきました。
門をくぐると現れるのが、屋根付きの階段「登廊(のぼりろう)」。
平安時代の長暦3(1039)年に、奈良の春日大社の宮司・中臣信清が我が子の病気平癒を長谷寺に祈願したところ無事に回復したことから、その御礼に登廊を寄進したのだそうです。 重要文化財に指定されている登廊(下廊)。形に特徴のある長谷型の灯籠が吊るされています。中登廊・下登廊は明治27(1894)年に再建されました
長いこの階段は上登廊・中登廊・下登廊と3廊に分かれていて、総数は399段!
下廊は写真からもわかるように1段の段差が低く、中登廊、上登廊と続くほどに段差が高くなっています。
奈良時代の神亀4(727)年、道明上人の弟子である徳道上人(とくどうしょうにん)が聖武天皇の勅願により、東の岡に十一面観世音菩薩を造立しました。
徳道上人は、近畿と岐阜県に点在する33か所の観音霊場を巡拝する、西国三十三所観音霊場巡礼を始めたといわれ、長谷寺は観音信仰の発祥であり、また聖地として発展してきました。
門をくぐると現れるのが、屋根付きの階段「登廊(のぼりろう)」。
平安時代の長暦3(1039)年に、奈良の春日大社の宮司・中臣信清が我が子の病気平癒を長谷寺に祈願したところ無事に回復したことから、その御礼に登廊を寄進したのだそうです。 重要文化財に指定されている登廊(下廊)。形に特徴のある長谷型の灯籠が吊るされています。中登廊・下登廊は明治27(1894)年に再建されました
長いこの階段は上登廊・中登廊・下登廊と3廊に分かれていて、総数は399段!
下廊は写真からもわかるように1段の段差が低く、中登廊、上登廊と続くほどに段差が高くなっています。