前回お伝えしました、武田氏館跡の概要編に続き、今回は下記の写真の赤枠の辺り、館跡の正門・大手門編をお送りします
それではスタート
前回、館跡の正門はどこか?とお話しましたが、今回は実際に現地をご紹介します
が、その前に館跡の正門の外側に広がる大手をご説明します
大手とは、当時の正面玄関になる位置です。
大手に入るための一番東側に鍛冶小路と言われる道路があり、その場所がこちらです。
鍛冶小路沿いには、金属を溶かして刀や武具、甲冑、兜などを作る職人さんが住んでおり、作ったものを館に納めていたそう。
(ちなみに、鉄で武具や道具を作っていたのが鍛冶師、貴金属で金具の装飾を扱う職人が細工師です)
現在、大手門東史跡公園となっている東の堀は、一部が蓮池になっています
(7月には池いっぱいに蓮の花が咲くそうですが、今の時期は開花前でした…残念)
蓮池からさらに進むと、4段の階段があります。
この階段は、地形の高低差によって作られました
階段の踏み石の高さや、間隔が違うのは、敵が歩き難くするためという軍事的な工夫によるものだそうです
(階段と言えば、昇り降りしやすく、安全に使用できるよう造られますが、当時のこの階段は、敵が転びやすくするためのものだったんですね)
階段を降りると、土塁の復元があります。
こちらも階段と同じく、敵の侵入を防ぐ土手で、館を守る構造物の1つでした。
今は公園のように整備されていますが、1ヵ所だけ何やら違う場所が見えてきました👀
この場所、何か分かりますか
字は、厩と書きます
↓
↓
↓
正解は・・・ 「うまや」
当時は馬が用意され、ここで待機していたそうです
(丸い模様のようなものは当時の柱の跡!)
いよいよ正門へ
こちらが館跡の正門・大手門のあった場所になります
この場所、見覚えがある方も多いと思います
実はこの場所、毎年12月に開催される「武田の杜トレイルランニングレース」のスタート地点でもあります
多くのランナーの方々が館跡の北側に広がる武田の杜を駆け巡る、武田の杜トレイルランニングレース
(開催の際には、沿道からの熱いご声援をお待ちしております)
以上が正門・大手門のご紹介となります。
次回、武田神社へお越しになる時は、こちらの館跡の東側から入ってみてはいかがでしょうか。
そしてこの場所は、武田信玄公が戦に出発する際、必ず通っていた正門・大手門の東側にある道です。
馬にまたがり、富士山を横目に見ながら戦へと向かう武田信玄公は、当時何を思っていたのでしょうか・・・
まさかあの時が最後の戦になるとは…。
ちょこっと石垣のお話
正門の両脇には立派な石垣があり、戦国時代の石垣が残され、今でも見ることができます👀
(この写真ではお伝えできませんでしたが、正門に架かる橋の北側は石垣が階段状(段々)に積まれており、南側は一直線に積まれています。建設当初は北側と同じように階段状に積まれていましたが、豊臣秀吉の時代に正門前の橋を広げるため、一直線に積み直しをされたと推測されています。そのため、一直線に積まれている方が新しい技術だそう技術の進化を知ることができますね)
一直線に積まれている石垣って…?
と思った方へ。甲府駅東側・舞鶴城公園の石垣をご覧ください
(綺麗に一直線に積まれていますが、これが技術の進化ですね)
今回は、館跡の正門・大手をご紹介しました。
次回は、「神社の中に今でも残されている武田氏の生活のあと」をご紹介します。
なんと戦国時代に実際に使用されていた井戸が登場予定
お楽しみに