甲府市観光課スタッフBLOG

甲府市観光課スタッフが市内の観光スポットやイベント情報など、甲府の魅力を発信します!

甲府市観光課スタッフが武田氏館跡の歴史に迫るPart⑤~謎の多い北の曲輪群編~

2020-09-01 16:58:57 | イベント情報

前回は、館の西門から西曲輪編」をお伝えしました。

今回は、武田氏の勢力拡大に伴い増設された曲輪など、館の北側の施設についてです。

それでは、以下の写真の①~④について、ご紹介していきます。

 

ずは『御隠居曲輪』(ごいんきょくるわ)です。

武田信虎公が駿河に追放され隠居した後、信玄公の母である大井夫人が隠居して暮らした場所とされているところです。

現在、この曲輪に建造物はありませんが、曲輪を囲うように堀の跡(現在は水路となっている)や土塁があり、御隠居曲輪の区画は確認することができます。

また、御隠居曲輪の西側には梅の木が植えられています。

実は、当時も館には梅の木が植えられていたようで、和歌を詠むときの題材になったり、梅の花を観賞していたようです。

(初春になるとお庭いっぱいに梅の香りが広がったことでしょう。)

 

砂利道を挟んで御隠居曲輪の反対側には、『馬出』(うまだし)があります。

馬出の位置は、ちょうど主郭の北側にあり、桝形虎口の前にあたります。(枡形虎口については、前回のブログを参照)

馬出とは、虎口と呼ばれる出入口を守るために、堀と土塁で作られた陣地のことです。
当時は、戦の時に兵士や馬がおり、館に攻めてきた敵と戦ったり、虎口から出撃する城兵を敵から隠すために使用されたりしていました。

 

次に、無名曲輪』(むめいくるわ)です。

この曲輪は、①御隠居曲輪と④味噌曲輪の間にあり、記録や古絵図にも正式名称はなく、謎に包まれています。名前がないので無名曲輪と呼ばれているそうです。

 

次に、稲荷曲輪』(いなりくるわ)です。

この階段を上った先に、稲荷曲輪はあります。

こちらの曲輪は、社が一棟あるくらいの比較的小さなスペースで館の鎮守を祀った施設となっています。(甲府市美咲所在の御崎神社古地)

この稲荷曲輪にあった「御崎神社」は、武田氏が滅び、豊臣秀吉の時代になり国主の拠点が甲府城に遷移していく際に、甲府市美咲の場所に移転したそうです。ちなみに「美咲」という地名は、移転してきた「御崎神社」の「みさき」の音が由来となっているそうです!

 

最後に、味噌曲輪』(みそくるわ)です。

味噌曲輪は、食糧・物資の貯蔵施設であったと考えられています。(古絵図などには蔵屋敷や小山城とも記載されています。)

(お味噌汁の「味噌」の字であることから、食糧を貯えるところだったのだと連想しやすいですね。)

こちらは、味噌曲輪の東側の出入口になります。

当時は下の写真のように、味噌曲輪の東側の赤点線付近に木橋がかけられており、敵が侵入してきた時には、橋を壊すなどして敵の侵入を防いだそうです。

 

そして味噌曲輪の南側には、『馬出』(うまだし)があります。

※ 現在、発掘調査中の場所です。何が発見されるか楽しみですね!

この場所は、西曲輪の北側から味噌曲輪に入った場所で、馬出が西曲輪の北枡形虎口をコの字型に囲うようにありました。最初は外部と接していましたが、味噌曲輪の増設に伴い、この馬出は曲輪内に取り込まれていったそうです。

(西曲輪については、前回のブログをご覧ください

 

また、味噌曲輪の北側には、「逍軒屋敷(しょうけんやしき)」と呼ばれる地名が残る、信玄公の弟である武田信廉(のぶかど)公の屋敷がありました。

信廉(のぶかど)公は出家して、逍遙軒信綱(しょうようけんしんこう)と号していたことから、その屋敷跡が「逍軒屋敷」と呼ばれたそうです。

(信廉公は、容貌が信玄公そっくりだったと言われ、信玄公の影武者だったという逸話があります。また、絵を描くことに長けており、父・信虎像や母・大井夫人像を描いており、画家としても活躍したそう。)

 

ここで、要害山のお話。

味噌曲輪からは、武田氏の詰城であった要害山城があった『要害山』を見ることができます。要害山は、躑躅が崎の地に武田氏館が移転した翌年に築城された山城で、今年、築城500年の節目を迎えました。

要害山は、標高780m、登山口から頂上まで30分ほど。また、登山道が整備されており滑落等の危険性が少なく道迷いの心配もないため、初心者でも登りやすい山です興味のある方はぜひ、登頂してみてはいかがでしょうか。

来年は、信玄公生誕500年となりますが、要害山の頂上に着くと、「武田信玄公誕生之地」と刻まれた東郷平八郎の書による信玄誕生の地の石碑があります。登山記念に撮影はいかがでしょうか!

(ちなみに要害山城は続日本100名城の1つとなっており、藤村記念館でスタンプを押すことができます。詳しくは、コチラ。)

 

以上、甲府市観光課スタッフが武田氏館跡の歴史に迫るPart⑤~謎の多い北の曲輪群編~でした。

次は、西曲輪南の出入口と馬骨出土地点です。

現在、信玄ミュージアムにレプリカが展示されている馬骨が出土した地点になります。

それでは、お楽しみに

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



最新の画像もっと見る