1月21日 (水) ラーワルピンディー (POPULAR INN)
11時前何もする事が無い私はそれまでそれほど行きたいと思っていなかったタキシラに行く事を発作的に決定し、バス停を探しに南に歩き出す。人づてにバス停を探し出し、出発。タキシラまでのバス代(8rs)はバス停を探していた時聞いた親父がたまたま隣に座り、何とおごってくれた。バスをおろされた所はまだまだ博物館からかなり離れていたので、スズキ(と呼ばれる乗合の車)に乗って近くまで行き歩いた。
客は私ひとり、博物館(4rs)の展示品はまあ、何と言うか、こんなもんだろ、という程度。仏像のアタマばかりが並んでいた。小部屋に行くと係員が寄ってきて「写真を撮れ、撮れ」とささやいてきたが、いざ撮ったら「金を出せ」と言い出すのは目に見えていたので無視した。カイロ考古学博物館でやられた経験あり。10分ほどで外に出て割と近いシルカップの遺跡くらいは歩いていけるかと思い歩き出すと待ち構えていた親父が馬車をひいて追いかけてきた。後ろには荷台には日本に4年間いたという片言の日本語を喋る親父が乗っていた。200rsの言い値をまだ高いな、と思いながらも120rsにして4カ所まわる事にした。
馬使いの親父がくれた親父のくれたオレンジをかじりながらジョーリアンへ。あと小さいのを2つ見た後シルカップを見学。頭の中は「ドナドナ」とゴダイゴの「ガンダーラ」がずっと流れていた。この間ずっと日本語を喋る親父が一緒についてきていた。すこしうっとうしいのだが、遺跡にもっとうっとうしいガイドなどがいると逆に相手してくれたりしていて「ガイドには金を出すな」とか味方してくれてるようなのでまあそれなりにこちらも笑顔で対応した。
馬車に引かれながら何人もの住民とすれ違い、挨拶を交わす。みんな笑顔で返してくれる。旅をしていて本当嬉しく思うのはこういう時だ。心が温かく満たされていく。4時ごろ見終わり帰る事にし親父と一緒にピンディーに戻ってきた。寒い中「仕事帰りの車に乗せてもらおう」と言い出し、巻いていた布を長い間取らされて(奴曰く、破れたズボンはモスリム社会では良くない。外人が布を体に巻いていると中でナイフとかを持っている危ないイメージとのこと)立つ破目になった。
最初の1台だけただで乗せてもらえたものの、大きな通りに出てからはバス。しかし宿までのバス代を出してくれた。この親父最後まで何物か分からなかった。ただ単に人がいいのか、(日本人大好き、日本女性と結婚したいとかぬかしてた。いい加減にしろ)裏があるのか、(明日も会おう、何時に宿に戻ってくるんだとしつこく聞いていた)とにかく暇で寂しいのか、(独身で無職)5:50pm宿の隣でチャイを飲んでサヨナラした。
6時半、よくよく考えてみると今日1日オレンジ1個しか口にしていない。とにかく今日はうまいものを食べたいとドミの3人で熱く協議した結果、なんとイスラマの偽デニーズ(DENY‘S)まで行く事に。
バスを乗り継ぎ(この時1人あたり3円をぼろうとした兄ちゃんに切れた北村君、奴を平手打ちにしていた)3キロ以上歩いてレストランへ。ここは私が19日に見つけた所だ。日本語、写真付メニューを手にした瞬間3人は興奮した。散々悩みぬいた挙げ句牛丼を注文。出てくるまでの時間のなんと長く感じた事か。おー、神様、待望の牛丼登場!なんでトマトがのってんの?気を取り直し、他人にトマトは譲渡し肉を口に運ぶ。え?なにこれ?甘く味付けされた牛肉、マサラのきいた米、何でこんなもの入ってんの?の梅干し2個。食えない事はなかったが、これで135rsは高すぎる。まあとにかく久々の肉だし、お腹もいっぱいになったのでピンディーに戻ることにする。また夜道を2,3キロ歩いてゼロポイントまで行き乗合バスにぎゅうぎゅう詰めになりながら11時頃宿到着。疲れた大ディナーであった。この部屋は工事の埃もあってか、非常に汚い。荷物が埃まみれだ。夜はいつもの夜だった。
11時前何もする事が無い私はそれまでそれほど行きたいと思っていなかったタキシラに行く事を発作的に決定し、バス停を探しに南に歩き出す。人づてにバス停を探し出し、出発。タキシラまでのバス代(8rs)はバス停を探していた時聞いた親父がたまたま隣に座り、何とおごってくれた。バスをおろされた所はまだまだ博物館からかなり離れていたので、スズキ(と呼ばれる乗合の車)に乗って近くまで行き歩いた。
客は私ひとり、博物館(4rs)の展示品はまあ、何と言うか、こんなもんだろ、という程度。仏像のアタマばかりが並んでいた。小部屋に行くと係員が寄ってきて「写真を撮れ、撮れ」とささやいてきたが、いざ撮ったら「金を出せ」と言い出すのは目に見えていたので無視した。カイロ考古学博物館でやられた経験あり。10分ほどで外に出て割と近いシルカップの遺跡くらいは歩いていけるかと思い歩き出すと待ち構えていた親父が馬車をひいて追いかけてきた。後ろには荷台には日本に4年間いたという片言の日本語を喋る親父が乗っていた。200rsの言い値をまだ高いな、と思いながらも120rsにして4カ所まわる事にした。
馬使いの親父がくれた親父のくれたオレンジをかじりながらジョーリアンへ。あと小さいのを2つ見た後シルカップを見学。頭の中は「ドナドナ」とゴダイゴの「ガンダーラ」がずっと流れていた。この間ずっと日本語を喋る親父が一緒についてきていた。すこしうっとうしいのだが、遺跡にもっとうっとうしいガイドなどがいると逆に相手してくれたりしていて「ガイドには金を出すな」とか味方してくれてるようなのでまあそれなりにこちらも笑顔で対応した。
馬車に引かれながら何人もの住民とすれ違い、挨拶を交わす。みんな笑顔で返してくれる。旅をしていて本当嬉しく思うのはこういう時だ。心が温かく満たされていく。4時ごろ見終わり帰る事にし親父と一緒にピンディーに戻ってきた。寒い中「仕事帰りの車に乗せてもらおう」と言い出し、巻いていた布を長い間取らされて(奴曰く、破れたズボンはモスリム社会では良くない。外人が布を体に巻いていると中でナイフとかを持っている危ないイメージとのこと)立つ破目になった。
最初の1台だけただで乗せてもらえたものの、大きな通りに出てからはバス。しかし宿までのバス代を出してくれた。この親父最後まで何物か分からなかった。ただ単に人がいいのか、(日本人大好き、日本女性と結婚したいとかぬかしてた。いい加減にしろ)裏があるのか、(明日も会おう、何時に宿に戻ってくるんだとしつこく聞いていた)とにかく暇で寂しいのか、(独身で無職)5:50pm宿の隣でチャイを飲んでサヨナラした。
6時半、よくよく考えてみると今日1日オレンジ1個しか口にしていない。とにかく今日はうまいものを食べたいとドミの3人で熱く協議した結果、なんとイスラマの偽デニーズ(DENY‘S)まで行く事に。
バスを乗り継ぎ(この時1人あたり3円をぼろうとした兄ちゃんに切れた北村君、奴を平手打ちにしていた)3キロ以上歩いてレストランへ。ここは私が19日に見つけた所だ。日本語、写真付メニューを手にした瞬間3人は興奮した。散々悩みぬいた挙げ句牛丼を注文。出てくるまでの時間のなんと長く感じた事か。おー、神様、待望の牛丼登場!なんでトマトがのってんの?気を取り直し、他人にトマトは譲渡し肉を口に運ぶ。え?なにこれ?甘く味付けされた牛肉、マサラのきいた米、何でこんなもの入ってんの?の梅干し2個。食えない事はなかったが、これで135rsは高すぎる。まあとにかく久々の肉だし、お腹もいっぱいになったのでピンディーに戻ることにする。また夜道を2,3キロ歩いてゼロポイントまで行き乗合バスにぎゅうぎゅう詰めになりながら11時頃宿到着。疲れた大ディナーであった。この部屋は工事の埃もあってか、非常に汚い。荷物が埃まみれだ。夜はいつもの夜だった。