LIFE IS GOOD! うろうろ人生旅日記

20代はいろんな国を歩き30代はサラリーマン。40で早期退職に手を挙げた。現在訪問69か国+1。只今バンコクで生活中。

移動は続くよ、どこまでも。

1998年02月15日 | その他アジア日記
2月15日 (日) -ペカンバル- (船中泊)

インドネシア人は人なつっこい。英語がしゃべれない人も一生懸命自国語で話しかけてくる。通じないことが分かっていてもだ。周りの人たちも話し掛けるタイミングを探っていて少しでも英語の分かる奴が輪の中に入ってくる。笑い声も豪快だ。今日もSITAMIANGから唯一の外人だったが寂しさはまったく感じなかった。

5:35AM額を蚊にやられた。
6:15AMだんだん明るくなってきた。
8時半ペカンバル出発。煙る大地の中バスは走り
12:30PM船着場ブータン到着。

このバスはこれまた結構きつかった。とんでもないボロバスで坂は登れない、床からはエンジンの熱が上がってきて靴底を通して暑さが伝わってきた。ブータンはこれぞインドネシアという灼熱の暑さ。昼食はミーゴレン(2500rp)、コーラ2本(2500rpx2)をとり午後2時の船が出るのを待っていたのだが、太陽にあたると溶けてなくなるかというほどのもので汗ががんがん流れ落ちた。ここですごいオカマを見た。

2時半船出航。エアコンの前にここ迄のバスで会ったワーホリ帰りの日本人と陣取る。よかったのは最初の20分だけ。あとは寒すぎてカンバンにあがったり戻ったりする。

途中立ち寄ったところで事故はおきた。エンジン故障!いつまでたっても動き出しそうにない。情報もまったく入らずいらいらする。クーラーもまったく効かなくなり本来もうついてるはずのシンガポールでの食事のことなど考えてみる。たまたま隣にきたバタン島に仕事をもっている24歳の男の人が、もし今夜シンガポールにつかなければ家に泊まっていい、といってくれとりあえず気が楽になる。しかし理解できないのはインドネシア人だ。誰もこうなったところで文句ひとつ言わない。気が長いのか、何も考えていないのか、人がいいのか、ただのあほか、皆くさいガラムのタバコを吸っている。

29歳の誕生日はきつい移動日

1998年02月14日 | その他アジア日記
2月14日 (土) 29歳のきっつーい誕生日 サモシール- (宿無し)

6時過ぎ起床。
とても眠たくもう一泊したいと思った。が、チェックアウトしメダンにいくというアメリカ人のジョンと一緒に船に乗りパラパに。コーヒー会社で働いていてインドネシアに出張。明日アメリカに飛ぶとのこと。サッカー好きらしくこの前アメリカが1-0でブラジルに勝ったことを伝えるととても喜んでいた。

ミニバスに乗りラグンドリツアーズというところに行きペカンバル行きのバスを待っていたが、そこの親父がSITAMIANG経由でいけというので乗った。途中寄った食堂では静岡に1年いたという親父に会った。

午後2時半、くねくねの道を走りSITAMIANGに到着。待合所で今こうやって日記を書いていると外人が珍しいのか周りを囲まれている。冷えたコーラをわざわざ他の店から持ってきてくれた。2時50分再度バスに乗る。ローカルスーパーボロバス。ローカルバスに乗せられるとは思いもしなかった。止まりまくりの地獄系バス。ラオスを思い出す。窓から風が入ってくるときはいいが少しでもともると汗が滲み出てくる。蒸し暑さ、インドネシア人の体臭、インドネシアタバコ独特のくささ。壊れる寸前のボロバスはどうにか一回のタイヤ交換で我慢してくれた。

バスに乗り合わせた人たちはみな優しかった。笑う表情がいい。彼らの表情は狂いそうになる状態をギリギリでとめてくれた。バスはゆっくりゆっくりどうにか走り続け夜中3時ペカンバルに到着。降りたところのチケット屋でバタン島までの切符(バス&船45000RS)を買う。

待合所ではマージャンのようなゲームでみな遊んでいる。とてもあほそうな奴らだ)蚊がブンブンうなるなかチケット屋の椅子の上で寝ていたが起こされバスが出るところまで移動。トイレにホースがあったので裸になり夜中の水浴び。ここのチケット屋の兄ちゃんがコーヒーをおごってくれた。みな、えー奴らや。

インドネシアで一番大きな湖・トバ湖着

1998年02月13日 | その他アジア日記
2月13日 (金) メダン-トバ湖サモシール (HOTEL CALOLINE)

名前を呼ぶ声で7時半起こされる。
8時ピックアップと聞いていたのでゆっくりしようと思っていたのだが7時半に迎えにきたのであった。とにかく荷物を詰め込みぼさぼさの頭のままバスに飛び乗った。1度バスのオフィスで乗り換え8時過ぎ出発。外人が私とドイツ人二人、その他が現地人。

11時の30分休憩ではたまたま近くにケンタッキーがあったので駆け込んだ。12時半パラパ到着。1時半の船でトゥクトゥクへ。以前呼んだガイドブックでホテルカロラインがいいとかかれていたのでそこを目指した。すごくいいところだった。一つ一つが独立していてインドネシア風の建物でできていた。これが2ドル足らずで泊れるなんて信じられない。すぐシャワー、さっぱりしたところで散歩。

JICAでここに派遣されている人に苦労話をいろいろしてもらいながら一緒にご飯(酢豚)を食べた。トバ湖はすこし霧がかかっていて空が白く濁り今ひとつの景色だった。久々に悪い天気だそうだ。トバ湖はかなり涼しい。パラパへ登っていくバスの中で次第に涼しくなっていくのがよく分かった。日本に国際電話。1分5700rpぐらいで他国に比べて安かった。

夜はJICAの人、学生カップルの4人で時間をつぶした。夜はやっぱり大富豪大会。4連敗でドリンクおごりのルールだったが誰も4連敗せず。午後11時過ぎレストランクローズで終了。部屋に戻りシャワー。蚊がブンブンいっているので蚊取り線香2本だき。学生カップルはペナンで私を見てたらしい。「汚らしい」かったそうである。

こっちの時間で午後10時、29歳を迎えた。どう考えてもいい年になるとしか思えない。はがき5枚一気に書いた。ベッドはやわらかく寝心地もいい。

インドネシアへ船で入国

1998年02月12日 | その他アジア日記
2月12日 (木) MARAYSIA-INDONESIA ペナン-メダン (ZAKIA HOTEL)

12時を過ぎて日付も変わって12日。
今日午前10時の便でインドネシアに行くがここからいけるとはまったく知らなかった。クアラルンプールからマラッカに抜けて渡ろうと思っていたのだが、そのルートはビザが必要とのこと。ペナンからは必要ない。なにぶんガイドブックも地図もないので出たとこ勝負なのだ。さー、あと2週間(今月中には帰国するつもりである。今のところ)どこに行こうか!

午前8:15起床。シャワーを浴びてチェックアウト。あしやがんのすけそっくりの宿の親父に別れを告げ歩いて船着場へ。港には、オー-すげえ立派な船だ!こんなすごい船に乗るのは初めてだ。チケット高いだけの事はある。(3500円程度だが)写真とっとこ。と思ったらその隣に隠れたように駐留されていた立派じゃないほうの船だった。やっぱり。

船の中で出国のスタンプを押された。10時出発予定だったが11時30分当然のように遅れた。さすがだ。エアコンの効いた船室は快適で4人分の座席を使って横になり数時間寝た。船は5時間半かかってマラッカ海峡を横切り午後5時(時差1時間)メダン到着。

入国手続きをおえバスに乗って30分メダンの町についた。ガイドブックがないのでここがどこなのか、どこに宿があるのかまったく分からない。バスがついたとき客引きが群がってきたが「触るな、触るな!」と叫びながら降りた。

大勢の中から20歳くらいのやつについて行くことにした。宿はまあまあよかったのでここに泊まることにし先ほどの奴の案内で両替(宿に来る前に入ったところでは1ドル7000rpだったが再度行くと閉まっていた)を少し悪いレート6850rpで50ドル変えた。そのあとバス会社へ行きトバ湖近くのパラパ間でのチケット(15000rp)を買った。

宿の前はモスク、その奥にデパート、マクドがあったので直行。デパート1,2階は衣料品、化粧品3階スーパーマーケット(蚊取り線香等購入)4階は遊園地。マクドでは今日最初で最後の食事。ダブルチーズバーガー2個、フィレオフィッシュ1個、コーラ、ティーと食べまくった。

一度シャワーを浴びに宿に戻り船も同じで宿でもばったり会いシェアすることになった42歳の人とジュースを飲みに行く。水を買って帰ってきて今これを書いている。インドネシアはマレーシアより南にあるためもっと暑いと思っていたがペナンほどではない。(が、十分暑い)街もずいぶん近代化されていてデパートもとても立派だった。物価もめちゃくちゃ安い。最近ルピアがかなり戻してきていてもこの安さだから1ドル10000rp以上だった頃に来てれば、それはもうすごかったに違いない。夜は同室のおっさんに借りた「鬼の都」という本を夜中3時頃まで読んでいた。

お祭り「トペコン」

1998年02月11日 | その他アジア日記
2月11日 (水) ペナン ジョージタウン (杭州旅社)

11時前起床。エアコン効いて快適だったが何故かなかなか寝付けず。12時、歩いてコーンウォリス要塞近くのペナンツーリストアソシエーションに行きインドネシア、メダン行きの船のチケット(96rm)を買う。行く途中両替をしようと4,5件銀行、両替所を回ってみたがどこも軒並みドルが下がっていた。昨日の朝1ドル3.7rn以上だったのが夕方には3.5rm、そして今日3.3rmまで落ちていた。(50$=165rm)

コーンウォリスはたいしたことなさそうだったので入場せず。セントジョージ教会の横を通りペナン通りを歩いてコムタまでやって来た。かわいらしいパイナップルの絵が入った切手を買ってはがきを出したあとケンタッキー、マクドナルド(ビッグマックセット6.18rm)と立て続けに入る。

ペナン島の街の雰囲気、太陽の日差しのきつさはどことなくゴールドコーストを思い出させる。街の造りは違うのだが何か似ているような気がした。

コムタの中は学生で大賑わいである。ペナン島がこんなに近代的なところとはまったく想像していなかった。コムタのとなりに、ガマスーパーマーケットというのがあったので立ち寄るとなんとそこに紀伊国屋書店があったので1時間ほど立ち読み、新聞もちょっとめくったら円は125円、金メダル1個スピードスケートで獲得、とのこと。少し活字に飢えていたので週刊朝日(15.45rm)をカードで買った。

8時。宿前のチュリア通りから隣のペナン通りのほうへ。12年に一度の中国系のお祭り「トペコン」を見ることができた。神様を乗せた電飾ギラギラの車と人がパレードしていき(たぶん商売系の)神様が目の前を通るたびに人々は合わせた手を前後に震わせるスタイルでお祈りをしていた。部屋に上がると上からお祭りを見渡すことができた。パレードが終わって入った食堂で食べたラーメン(3rm)は日本と変わらない味でおいしかった。果物入り、氷入りジュース(1.7rm)もなかなかであった。

お祭り「タイプーソン」

1998年02月10日 | その他アジア日記
2月10日 (火) ペナン (杭州旅社)←最高

暑すぎる。日本のように蒸し暑い。昨夜4,5回は水を浴びたがさらさらしているのはほんの10分ぐらいでファンを回していても、じとーっと汗が出てくる。下のカラオケバーの暴力的騒音がようやく止まったのは午前3時をまわったころであった。音が止んでも寝付くことができず5時半頃まで起きていた。どうにか眠りにつき起きたら10時半だった。部屋にはまったく窓がなく監獄状態で真っ暗で何時くらいなのかまったくわからず。起床したときにはよく眠れていたようだった同室の学生はすでにチェックアウトしていなかった。

シャワーを浴び(バケツの水をかぶるだけ)、チェックアウトし、他のエアコン付の宿を探しに出る。チュリア通りを歩き、まずホテルスイス(エアコンなし)、そして杭州旅社につきエアコンつきに3ベッドルームを35マレーシアドルで借りた。一人でこの部屋はいい。すぐエアコンのスイッチを入れタバコを吸い、コーラ(1.3rm)を飲みながらながら久々に落ち着いたひと時をすごしている。(12:10pm)

昨夜調子に乗って屋台のオレンジジュースまで飲んでしまったからか、腹の調子が少しおかしい。今久々、というより今回の旅初のマクドナルドでビッグマックセット(6.18rm)を食べている。ああ夢にまでみたマクドのハンバーガー。しかし夢にまで見た割にはうまくない。

居心地のいいクーラーの効いた部屋を1時前いやいやながら出て祭り(というらしい)を見に行こうと動き出す。しかしどこでみれるのか何人かのマレー人に聞いてみるが的を得ない。日本人が路上でご飯を食べていたので、祭りについて聞くとこれから現地の人と一緒に行くという。いろんな国でその現地の人と一緒に付き合ってる日本人の女を見てるが、もうはっきり言ってうんざりだ。下心丸見えの奴らとそれを本当の親切だと思っているのか?子供丸出しの女たち。結局現地人はしかとして3人でバス7番でいくことにしたが1台見逃した後、1時間以上待ってもこないので歩いていくことにした。昨夜同室の学生からもらった地球の歩き方の地図に丸印をつけてもらったところまで歩いていく、がそれらしきものは見当たらず。たまたま外人4人を見かけたので聞いてみると、これから行くところだというのでなんていうグッドタイミング!ご一緒させてもらった。

イギリス人4人、日本人3人でワゴン車に乗りボタニカルガーデンへ。結構な人手ではあったが想像よりは少なかった。頬を串刺しにし、背中を大きい釣り針のようなもので引っ掛けてたりで、見ただけで痛々しかった。このお祭り、小さい頃テレビかなんかで見た記憶がある。フリーフード、フリードリンクと聞いていたが、フードのほうは見た限り1軒。人が大勢並んでいたので諦めた。ドリンクは塩辛い水、オレンジジュースなどを飲んだ。ヒンドゥー教の祭りなのでサリーを身にまとったインド系の人間が多く訪れていた。ブースは企業が出展しているようだった。

バスに乗ってコムター(イギリス人曰くコミュニケーションタワーの略らしい)に戻り2人とはお別れ。マクドに行ったあと昨夜の宿へ。2泊するつもりで払った20ドルのうちの10ドルを取り戻しにいったが太ったアメリカ人が「ボスは週末にしかいないのでそのときに」といわれ諦めた。

さてナイスな宿に戻りシャワー室で気合の洗濯。体も1月23日以来のホットシャワーを浴びた。別に暑いのでホットじゃなくてもよいのだが。午後8時半、今夜もやっぱりナシゴレン(3.3rm)。宿の1回のレストランで食べた。やっぱりうまかった。コーラを買って部屋に上がる。この宿は最高だ。エアコン様様である。カオサンで買ったシャンプー(パンテーン青)は髪がさらさらになっていい。その前に使っていたネパールのロレアルエルセーブはどうもベトベト感が残っていた。背中と鼻の頭の皮がむけてきた。痛みはもうほとんどなくなってきている。愛用のスウォッチの盤に水滴がついている。

ペナンの宿は史上最悪だった

1998年02月09日 | その他アジア日記
THAILAND-MALAYSIA
2月9日 (月) ピーピー島-ペナン島(GT GUEST HOUSE)←最悪
目覚ましで8時過ぎ起床。
もう一泊しようか、どうしようかと思いながらもこれ以上焼くと体に悪いしもうやることがないと思いすぐ荷物をまとめ昨日までの2人にバイバイも言えず、ボートタクシー(30B)に乗り船着場へ。すぐにクラビ行の船に乗る。

船は11時前にクラビにつき、とりあえずクアラルンプール行のバスチケット(750B)を買った。タイの国境近くの町まで車(バン)の前の座席に座ることができ美しい景色を楽しめた。

午後5時半、難なく国境を超えマレーシアへ。9時前、バタワースから船に乗りペナン島到着。KL行バスがペナン経由だとはまったく知らなかった。体がベトベトだったし、とても疲れてもいたのでペナン、ジョージタウンで泊ることを考えた。しかしチケットはKLまで買っていたのでリファンドされなければ損することになる。KL行は11時発だ。バスのオフィスで聞くとやっぱり返金されないとのことなのでKLまで行くことにしようとジュースを飲みながら待った。

待っている間にバス停にやってきたNZのカップルと話す機会があり、その時「明日は大きなお祭りがあり、飲み食いただだ」と聞かされ一転滞在することを決意。彼らの泊っていた宿を教えてもらいそこでチェックイン。最初シングルの部屋に入ったがすぐにドミトリー(10R)に移った。そこにたまたま日本人学生がいて、一緒に屋台に行きナシゴレン(3R)、ミーゴレン(2R)のダブルでマレーシアを味わった。めちゃめちゃうまかった。

マレーシアはタイより暑い。湿気が高いような気がする。取ったベッドは2回にあるが、1階はカラオケバーだ。下からは下手などさまわり歌手とこれまたド下手な客のデュエットが大音量で響いてきて鉄のパイプベッドがキーキーいっている。暑いわ、うるさいわで、寝られるわけねーだろ!こんなところで!発狂寸前!

ピーピーでタイビング

1998年02月08日 | タイ日記
2月8日 (日) ピーピー島 (バンガロー)

8時半起床。本日ももちろんバカ暑快晴。
コーラを飲みながら集合場所へ。デンマーク人のキャスパー(映画のキャスパーとスペルも同じだといってた。サッカー好き)、サン(韓国人の彼女を持つ。カールスバーグのドライバーを辞めて旅行中。職業病の腰痛を持つ)、ティナ(韓国人だがデンマーク生まれ、韓国語も全く喋れない)の3人もすぐ現れた。

小さいボートで出発して約10分後1回目のダイブポイント到着。ピーピーだしダイビング絶好のこのシーズン一体どれぐらいすごいんだ!とわくわくしながら入った。透明度が今ひとつ。それでも久々のダイビング(約40分間)は楽しかった。巨大たこもいた。お昼ご飯は景色のいい島に上陸してFRIED RICE。サンも日焼けが怖いらしいので2人で岩の陰に隠れて喋った。彼とティナはこれからマレーシア、インドネシアの方へ南下していくとのこと。またどこかで会えるかもしれない。

2回目のダイブは当初予定していたポイントを変更してもぐった。内容は1回目とほとんど変わらず。とても人のよかったタイ人インストラクターによると今日の透明度はあまりよくないとのこと。午後2時前ロングビーチに戻ってきた。焼けるのが怖いのでレストランで時間をつぶした。夜は隣のロッジのレストランで映画「ダブルチーム」をみた。視力が弱いのであまり見えていなかったが。

学生の中山君は昼に隣のロッジに引越ししていてシャワーがなんと真水だった。夜2回ほど存分に体を洗わせてもらった。またまた久々に体がきれいになった。そういえばここにはサンドフライがいない。

ピーピー島到着

1998年02月07日 | タイ日記
2月7日 (土) コ・ピーピー (ロングビーチのバンガロー)

7時前、以前サムイにいった時と同じところでワゴン車に乗り換え9:30クラビの船着き場前に到着。10時発のボートに乗り11時40分ピーピー島に到着。

船着場近くで宿をとろうと探したが高すぎてあきらめ小さい船に乗りロングビーチへ。ここでぼろぼろのバンガローを100Bで見つけた。ピーピーは地理的にマレーシアに近いので中国系のジジババが大勢いたがロングビーチは貧乏人用ビーチなので全く見かけない。荷物を置いてすぐビーチに出る。日差しが強烈で見る見るうちに肌が赤くなっていく。カオサンで買ったサンタンローションを塗りたくった。

泊まっているロッジは海水シャワーなので浴びてもしょうがない。体はべとべとのままだ。ロッジのレストランでは今夜の映画「ザ・ロック」をみた。この映画はもう何回も見ているので完璧に理解できた。今日1日でかなり焼けた。まだ寝られないほど痛くはないが明日の夜あたりはかなり危険だ。隣の席では明日一緒に潜るデンマーク人3人がおしゃべりしている。

ロッジは電気もなく山側にあるので蚊もすごいはずで(蚊帳はあったが)体もベトベトでロッジに戻って横になろうとは思えない。これならタオ島の方が設備は数段いい。夜中2時まで3人でインド、パキに続く第3回大富豪大会を開催し120B巻き上げた。

久々のカオサン

1998年02月06日 | タイ日記
2月6日 (金) バンコク (夜行バス)

扇風機をまわしたまま寝て、汗べっとりになっておきたのは9時過ぎであった。シャワーを浴びてカオサンに行きストア用のバッグを買いに行く。

ピーピー行きのバスチケット(380B)も買い一度宿に戻り荷物を分けて11時半チェックアウト。とにかく暑い。すでに今日2回もシャワーを浴びている。

ただいま12:45pm。極暑。水分をとってもすぐ汗になる。旅行会社めぐりをして航空券の値段を調べにまわる。シンガポール(2400B)へ飛びバンコクへあがってくるか、中東(高かった)か?カンボジアにアンコールワットを見に行くか?ネパールへのチケットを買ったところにも行き(しかしここの店は他と比べて高い。ネパールのチケットはまけさせた)そこの親父にも再会した。

にぎわうカオサンを久々にぶらぶらし、実家に電話したあと宿に戻りシャワーを浴びさせてもらい(このとき買ったばかりのシャンプー38Bを置き忘れて紛失)バックパックを引き取り午後6時旅行会社前に集合。少し離れた所まで歩き大型バスに乗る(7時半)。隣に座ってきた日本人のおっさん、酒臭い息をさせながら「タイを甘く見ちゃだめ」などと言ってくるので暗におまえより旅慣れていることを伝えてやったら何も喋ってこなくなった。こっちはすこしむかついていたので足とかがぶつかるたびに舌打ちしたりして徹底的にしかとした。

インド、パキのような一晩中うるさい音楽とかはなく、結構乗り心地はよかったがほとんど眠れなかった。買ったテープを繰り返し繰り返し聞いていた。