6年前に78歳で長い闘病生活から天国へ召されて行った。死後の色々な手続きを終えてほっとした。そのあと私に脚の痛みで歩くのが困難になった。その後2年間痛みに耐えながら、病院巡りをしていた。結局大学病院へ駆け込んだ。大きな手術に耐えて4年が過ぎた。母親を40年、夫が20年ほぼ一人で介護の生活を送った。それなのに私へのご褒美は不自由な身体となった。せめてもう少し歩けるような身体になりたかった。
夫の死因はインフルエンザだった。当時は隔離されて病院の治療費は無料だった、もしもコロナが蔓延していたら、面会も出来ずどうなっていたのか?今考えるにぞっとする。最近2階に置いてある洋服ダンスから夫の礼服が2着出て来た。ほとんど片づけは済んでいるつもりだった、夏冬合わせて3着あったようだ。捨てるのはどうも気が進まない、かと言って私に時間はない、息子たちにはサイズが合わない。忘れた頃に夫の持ち物が出て来る、我が家に戻りたいのだろうか?そんなことを考えてしまった。
ご主人にお目にかかったのは川越が最後かしら。だから健康で穏やかな仲間という感覚しかないんです。もう6年になりますか。若い仲間たちとハイキングに行ったり、歌声喫茶に出掛けたりという楽しい仲間でした。
それにしても菜の花さん大変な道を通ってきたんですね。お互い残りちょっぴりの人生、平和で穏やかに生きたいですね。息子さんがそばにいてくれるだけで幸せですよ。
姑が夫に買ってくれた大島の着物、着方があまりに乱暴で、もったいないからとしばらくしまったままです。考えてみたら子供達にはサイズが合わない。お母さんの望むままに最後の衣装に使おうかな、なんてひとりかんがえています。
3月1日病院でMRIを受けて、その結果が今後の夫の治療に関係するらしく、結果が良ければ1か月に一度の通院で済むらしいです。
自分の身体が付いていけるかなとちょっと心配なきょうこのごろです。
私の人生は「いつも一人」そんな生き様でした、頑張って3人の子供を…子育てが下手でした、夫婦が上手くいかないと無理ですね。
私は母親に買ってあげた少し高価な訪問着を棺の中の身体に掛けてあげました。夫は施設も絡んでいてそれなりでした。
MRIの結果が良いといいですね。少しでも本人の気持ちが楽になれば周りの人も嬉しいですから、良い方に行きますようにお祈りしています。