命にも勝りて惜しくあるものは見果てぬ夢の覚むるなりけり 壬生忠岑
これは痛い歌である。
作者は自分のことを詠っているわけではない。
人間を見ながら詠んでいるのだ。
見果てぬ夢から覚めてしまったら、生きていても意味のない人生が広がるのである。
ではその夢とは何だというのか。
金か権力か女か、はたまたそれ以外の物か。自分がいいと思っているものを一生追いかけるのが人間だが。
こひせどもかひなき花を恨みつつ花なき里に落つる人はも 揺之
チャールズ・ハリー・イートン(1880-1889)、アメリカ。
静かな水路に一層の小さなボートが浮かんでいる。おそらく運河だろう。流れのない静かな水面が鏡のようだ。
家並みの中にかすかにうごめく人の暮らしを感じる。
運河はさまざまな生の文様を人間社会に投げかける。
どこかに悲しみがつきまとうのはなぜだろう。
神が創ったものではない川には、時々悲しいものが泳いでいるのだ。
このかはを折りて伸ばせば君が屋のちひさき窓に舟もとどかむ 揺之
中原中也に興味を持ってみた。
秋の夜は、はるかの彼方に、
小石ばかりの、河原があって、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射しているのでありました。
陽といっても、まるで硅石か何かのようで、
非常な個体の粉末のようで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもいるのでした。
さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでいてくっきりとした
影を落としているのでした。
やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄流れてもいなかった川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れているのでありました……
現象を観察する作者の心が切ない
光を粉末だと感じる感性は痛い
二度とない経験をはがれて失踪した何かを
永遠に追いかけている幼児のような心だ
かきたてられる
石くれに光は照りて幻想の花咲き出でてこてふはよりぬ 揺之
いづれをか花とは分かむふるさとの春日の原にまだ消えぬ雪 凡河内躬恒
新古今からとった。
なんでも次に出るものは前のものよりは発展している。
古今の気分の上澄みをとって発展させたかのような歌である。
躬恒はこきみよい作家だ。
うまい。
雪と見て花を踏まむもかたなきと風もはばみし春の野をゆく 揺之
貧しさを自負する言葉に乱れゆくその卑しさも耐えゆかんとす 秋村功
作者が見えない。
おそらく本人は何もやってはいない。
歌の意はそれなりだが、本人の情感がついていってないからだ。
歌というものは、その意味だけでなるものではない。
歌に作者の情感があってこそ、生きるのである。
貧乏は自慢するほどよくはなし晴れてなりたやよき金持ちに 揺之
死は女性名詞なるべしあざやかにひとつふたつと宿されていく 小佐野彈
事実を語るだけで読者に発想を強いる歌はよくない。
高いことを詠っているふりをして思想など何もない歌ができる。
をなごとは死すべきものを産むものかこらしめかともおもふ苦をたへ 揺之
夏は来ぬ相模の海の南風にわが瞳燃ゆわがこころ燃ゆ 吉井勇
稚拙である。若いものの歌のようだ。
夏の季節にはつらつとした気分になることはよくあるが、歌として上等に読みたいなら、こう工夫のない表現をするのは好ましくない。
短い定型詩の中で、うなるようなひねりを出さねばならない。
夏は来て躍る心は南風をちぎりつらぬく燕の焦り 揺之