近隣諸国条項とは、「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象について国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること」という条項である。
「国際理解」と「国際協調」については、通説的な解釈による場合、ほとんどの人が共感するだろう。「国際理解」と「国際協調」が通説的な解釈に基づいて広く普及するべきことは言うまでもない。
しかし、この条項は、わざわざ「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象」とかなり枠をはめている。なぜだろうか。しかも、学習指導要領の規定に「国際協調の精神を養う」という規定が存在している。
ならば、この近隣諸国条項は不要なのではないだろうか。という疑問が当然湧いてくる。
なぜあるのか、結論から申し上げると、弱腰外交の副産物である。
時は遡ること約40年前、当時、文部省(現在の文部科学省)の高等学校教科書検定結果が公表され、マスコミ各社が調査・報道に当たっていた。
この調査は、マスコミ各社が、それぞれ担当の分野を決めて調査に当たるというものだった。すなわち、一社の担当分野でミスがあった場合、そのミスが残されたまま、全社がその内容を報じるおそれがあるということである。
その懸念が現実のものとなった。歴史の担当が「華北への侵略」という申請本の記述が検定で「華北への進出」に書き換えられたと誤った報告をした。当然、ミスを校正する仕組みがないので、全社一斉にこの内容を報じた。教科書大誤報事件(教科書誤報事件)の発生である。
すると、中華人民共和国や韓国は日本に抗議した。そして、文科省は「華北への侵略」を「華北への進出」に書き換えた例はなく、報道は誤報であると発表した。当然、中華人民共和国や韓国もすぐに抗議を取りやめた。このとき、一斉に文科省の書き換えを報道したマスコミ各社は、産経新聞を除き、欄外で訂正するのみだった。
誤報であることが分かったので何も起こらないはずだった。ところが、宮澤喜一官房長官(当時)は、中華人民共和国や韓国に謝罪し、「政府の責任において教科書を是正する」とする談話を発表した。誤報なのだから、謝罪する理由もなければ、是正する教科書も存在しない。しかし、この「是正」を達成するために、近隣諸国条項が追加された。
従来、「侵略」表記や、「南京大虐殺」などの表現には、小中学校段階などで一定の教育的配慮を求める検定意見が付されていた。が、近隣諸国条項追加と同時に、これらをやめる方針が決定された。それどころか、従来、検定対象としてきた他の多くの記述もフリーパスとする方針が決定された。
この条項の導入により、教科書会社の方は「削れるものなら削ってみろ」という勢いでどんどん自虐的な内容を強め、一気に日本色が薄れ、中華人民共和国や韓国の教科書の香りがしだすのである。教育的配慮を欠いているという点では、世界の例を見ない偏向教科書が登場したといえる。
その後、検定のたびに日本色が薄まり、その補完として中華人民共和国や韓国の教科書に見られるような記述が増加していった。日清・日露戦争から第二次世界大戦まで、全ての近代戦争が日本の「侵略」と記述され、日本の被害は全く記述されず、「加害」のみがことさらに強調されるという状態になった。
平成8年、中学校歴史教科書で全社が一斉に「従軍慰安婦」を記述するという大事件が発生した。「従軍慰安婦」という言葉であるから、少なくとも教科書に載せるべきではないだろう。また、「従軍慰安婦」という戦時の性という極めて特殊な問題を中学段階で扱うことの是非を問う議論が活発化した。当時、「従軍慰安婦の強制連行」という立場を取っていた学者からも「従軍慰安婦」との表現を教科書で用いるのは教育的配慮の見地から問題があると批判された。
これがきっかけとなって「新しい歴史教科書をつくる会」も結成された。
以後、教科書は改善され、近隣諸国条項導入直後程度の内容まで落ち着いた。しかし、そもそも誤報が元となって追加された近隣諸国条項が諸悪の根源である。近隣諸国条項がなければ、「従軍慰安婦」事件も日清・日露戦争までもが「侵略」とされることもなかったのである。
さらに、高校の教科書ではまるで状況が違う。近隣諸国条項導入直後程度にすら戻っていない。近年では、逆に自虐化が進んでいる。
教科書検定基準から「近隣諸国条項」を削除することが、日本の教科書問題を根本的に解決する唯一の方法である。来年は、中学校の教科書検定が行われる。それまでに、教科書検定基準を一部改正し、「近隣諸国条項」を削除されたい。
首相官邸のホームページなどからこの意見を送って欲しい。早期に近隣諸国条項を撤廃することは、日本の政治的・経済的な歪みを解決する手段としても有効だろう。
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