今回は、教科書問題報告「うれうべき教科書の問題」の第一章として、今の教科書がなぜ偏向してここまで問題になっているのか経緯を解説していこうと思います。
目次
第一章「教科書問題の始まり」←今ココ
第一節 戦後教科書は偏向していた
第二節 「うれうべき教科書の問題」
第三節 教科書の是正は一瞬だった
第四節 教科書大誤報事件(教科書誤報事件)
第二章「教科書の過激化と是正の動き」
第一節 検定制度の改悪で「南京大虐殺」「従軍慰安婦」「強制連行」「関東軍731部隊」がフリーパス
第二節 「従軍慰安婦」事件~このままでは日本は滅亡する!「新しい歴史教科書をつくる会」誕生~
第三章「安倍政権による是正」
第一節 教育基本法の改正 自虐隷属史観に歯止め~その裏で進む公民教科書の偏向~
第二節 教科書改革実行プラン断行 自虐隷属史観と反国家思想に染まった反日極左教科書に是正命令
第四章「教科書戦争のラスボス 学び舎」
第六章「教科書に表れている偏向タイプ」(歴史)
第一節 権力者は悪玉、一揆は善玉
第二節 元寇は「遠征」朝鮮出兵は「侵略」
第三節 明治維新も「国民抑圧」の歴史
第四節 塗り替えられた自衛戦争
第五節 抹殺された日本人の英雄たち
第六節 歴史の光は「ロシア革命」
第七節 「30万人説」堅持の願望
第八節 日本は「悪い国」
第九節 北朝鮮は「地上の楽園」
第七章「菅政権・日本維新の会による正常化の試み」
結びに「教科書問題は終わっていない」
第一節 戦後教科書は偏向していた
イ GHQが強要した教育改悪に原因が
戦後に、GHQにより、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(日本の戦争犯罪(日本の戦争犯罪は、すべて事後法に基づいた戦勝国による一方的な断罪であり、日本の戦争犯罪など当然存在しない。)の広報・教育のための計画)に基づき、天皇及び国家の存立に対する脅迫によって、日本国憲法と教育基本法を押し付け、第122代明治天皇の著作物である教育勅語が国会で排除・失効とされ、第122代明治天皇は不当に言論弾圧を受けました。その後、学習指導要領や教科書検定制度も実施され、戦後の教育が始まりました。
戦後教育の特徴は、基本的人権と称した家庭・社会・国家解体のための教育、平和主義と称した大東亜戦争(太平洋戦争)への贖罪意識を植え付け、防衛本能・自衛権を奪うための教育、国民主権と称した国家権力の否定・解体のための教育という三つの特徴があります。
ロ 歴史教科書はまだ正常だった
当時は、戦後まもない時期なので、この特徴が歴史教育に反映されるものは少なく、歴史教科書は神話の数が極端に少ないことを除けばある程度は正常でした。しかし、問題は公民教科書です。
多くの公民教科書では、大東亜戦争を自衛戦争ではなく侵略戦争と決めつけ、大東亜戦争を通じて日本がアジアを侵略したから憲法九条を作ったんだという意味不明な憲法論が語られていました。当然、日本国憲法の不当な成立過程への言及は一切ありません。
ハ 教科書の内容が悪化
昭和20年代後半になると、昭和二十年代前半の公民教科書の主張が歴史教科書に載るようになり、より細かい記述になるにつれて、自虐史観度が急激に上がり、日本人としての自覚と誇りを奪う教科書へと変貌していきました。
当時は、検定制度もまだ不十分であったため、文部省は、このような記述を是正することができませんでした。
第二節 「うれうべき教科書の問題」
イ 教科書の内容が過激化 危険領域に
昭和30年代に入ると、教科書の内容がより過激化し、健全な日本人を育成できるような内容とはとても思えるような内容ではありませんでした。当時まだ日本人全体は戦前・戦時中の教育を受けた世代であり、精神的に骨抜きになる前だったことも影響して、有識者が教科書の記述を問題にし、日本民主党が教科書問題報告を行いました。そして日本民主党は「うれうべき教科書の問題」を発行しました。
うれうべき教科書の問題は、世間で関心を集め、教科書是正の動きが生まれました。文部省もこれに合わせて、検定制度を改善するための教科書法案と地方教育行政法案を作成し、教科書の是正に協力しました。
しかし、言論界・教育界では、既に反日・左翼の勢力が相当の力を得ており、日教組教員に是正命令を出す地方教育行政法案は成立したものの、教科書法案は成立しませんでした。
それでも、文部省は、省令を次々に制定し、教科書法案の内容のうち、相当数は実施されました。教科書調査官が新たに置かれ、行政的な教科書検定制度へと変わっていきました。
ロ 教科書に是正命令
文部省が実施した教科書検定制度の改善は、効果を上げ、アジアへの進出を侵略と決めつけたり、大東亜戦争を侵略戦争と断罪したり、ありもしない日本軍の蛮行を書いたりする教科書には、検定意見が付くようになり、教科書には一定の歯止めがかかりました。公民の教科書でも、「基本的人権を強調し過ぎている」などの検定意見が付き、権利の枠組みを超えた国家破壊の教育にも一定の歯止めがかかりました。
さらに、学習指導要領も改訂され、公民教育では、愛国心が必修化されました。これにより、日本の教育は大幅に是正されたと思ってました。
第三節 教科書の是正は一瞬だった
イ 精神的に骨抜きになった文部省
昭和50年代に入ると、日本では、文部省が是正してこなかった教科書による教育を受けた世代が社会の中枢を担うようになり、文部省の教科書検定を担当する職員もこの世代が中心となりました。その頃から段々と、文部省は日教組に妥協する傾向を示すようになりました。この頃既に文部省は精神的に骨抜きになっていたことが伺えます。GHQのウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(日本の戦争犯罪の広報・教育のための計画)が相当の効果を上げていたのでしょう。
特に、三木内閣で朝日新聞の論説員と日教組の講師を努めた永井道雄氏が文部大臣に任命されて作成し、昭和五十二年に告示された学習指導要領で「天皇についての理解と敬愛の念を深めるようにすること」や「我々の生活や日本の文化、伝統などはすべて歴史的に形成されてきたものであることを理解させ、わが国の歴史や伝統に対する理解と愛情を深め、正しい国民的自覚をもって国家や社会の発展に尽くそうとする態度」を育てる旨の規定が消えたのは、日本人の精神的な破壊を象徴するものです。
以前は「日本の侵略」などの表現には教育的配慮や学習指導要領に従うよう求める検定意見がついていましたが、この頃から野放しにされ、その結果、教科書は加速度的に偏向の度合いを強め、当時の少年非行の急増の原因になりました。
ロ 改善された制度も形骸化
このように、「日本の侵略」に検定意見が付かないばかりか、他の明らかに教科書として適正を欠いた自虐的な記述も、検定意見が一切付けられず、涙ぐましい努力によって改善された教科書検定制度は、形骸化しました。同時期に作られた道徳の時間が形骸化したのもこのからです。
ハ さらに過激化する教科書
日に日に、文部省の検定は緩くなり、どんどん教科書に過激な内容が載るようになりました。一部には、共産党を翼賛する教科書まで現れたほどです。
とはいえ、この時の教科書偏向は、まだ序章に過ぎませんでした。
第四節 教科書大誤報事件(教科書誤報事件)
イ マスゴミの悪質な誤報
昭和五十七年に、文部省が教科書検定で「中国への全面侵略」を「中国への全面進出」(※中国大陸の方の「中国」)に「華北への侵略」を「華北への進出」に書き換えたとする報道がなされました。これにより、反日極左のマスゴミ各社は、これを大々的に報道し、外交問題にまで発展させました。中華人民共和国や韓国の新聞でも、誤報が真実として取り上げられ、内政問題が外交問題に発展し、国家主権の領域にある教育が不当に侵害されそうになりました。
これが、誤報であると分かっても、まともな訂正を行ったのは、比較的まともな産経新聞社のみであり、他の社にはまともな訂正がなく、朝日新聞に至っては、「ことの本質は、文部省の検定の姿勢や検定全体の流れにあるのではないでしょうか」という論点ずらしの最低最悪の書きぶりです。
ロ 誤報で終わらなかった
ここで、誤報であることが判明したので、事態が収まればよかったのですが、宮沢喜一官房長官などという大馬鹿者は、中華人民共和国との会談が円滑に進むよう、安易に謝罪してしまったのです。ありもしない誤報事件をもとに、「政府の責任で教科書の記述を是正する」などというマヌケなことをほざいたのです。
これにより、文部省では、以後約四十年以上にわたって日本を呪縛し続ける悪魔の近隣諸国条項を追加する教科書検定基準の大改悪を行うことになりました。
ハ 近隣諸国条項で教科書の内容が過激化
この近隣諸国条項により、従来の教科書会社は、削れるものなら削ってみろという勢いで、どんどん自虐的・隷属的な記述を強め、条項導入前によりも明らかに過激な内容となりました。それまでは「侵略」表記が極端に過激な場合は教育的配慮などを求める検定意見が付いていましたが、この頃からそれすら付かなくなり、「日本の侵略」と「欧米のアジア進出」「元の日本遠征」などのダブルスタンダードもより顕著になりました。
さらに、明確に近隣諸国条項で修正を迫られた教科書があります。それは明成社です。明成社は、一度検定に合格したものの、中韓からの大反発に遭い、中韓からの反発・抗議に絶えられなくなった文部省は、超法的措置で検定合格後の教科書を書き換えさせました。この教科書の書き換えは、教科書検定になんの権限もないはずの外務省が担当しました。
この頃から、むしろ文部省自身が日本の加害行為を強調するよう検定意見を付けるなど、明らかに、文部省が精神的に完全に解体されているような出来事が多発しました。
ニ 戦後五十年謝罪決議でさらに過激化
戦後五十年目を迎えると、GHQのウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(日本の戦争犯罪の広報・教育のための計画)が達成段階に至ったのか、戦後五十年を謝罪しようという最低最悪の動きが起こりました。
当然まともな日本人もいるので、過激な内容の国会決議は難しいと判断したのか、ある程度内容を和らげだ上で、当時の土井たか子衆議院議長が騙し打ちを行って国会を開き、多くの議員が欠席する中で決議された(国会決議は全会一致が基本)のが戦後五十年謝罪決議です。
このような形になった戦後五十年謝罪決議に到底権威など存在しません。これで終われば、国会の迷走程度で済んでいました。しかし、GHQのウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムは、それを許しませんでした。
村山首相が、歴史認識を政府が決めてはならないという慣例を破って無理やり村山談話を閣議決定しました。当時の閣議決定に関係した人によると、いきなりその場で読み上げられ、なんかおかしいなとは思ったが、反論する暇もなく、サインを迫られたといいます。
こうして、現在も日本を呪縛する村山談話が作られたのです。
その後の教科書は、まさに手が付けられないほどになりました。これは、後に紹介しますが、「従軍慰安婦」「強制連行」「関東軍731部隊(細菌部隊による生体実験)」「南京大虐殺」などの史実に基づかない逸話が事実として取り上げられ、逆に日本の伝統や文化などの良さについて記述している箇所は大幅に減少しました。
戦後五十年謝罪決議で教科書はさらに過激化したのです。
終わりに
今回は、うれうべき教科書の問題の第一章「教科書問題の始まり」を扱いましたが、どうでしたか?
おそらくほとんど人は、現状に危機感を抱いたかと思われます。第二章、第三章と続編を公開していくのでしばらくお待ち下さい。
記事の訂正欄
令和四年十月二十六日
イ 「第一章「教科書問題の始まり」」➡「第一章「教科書問題の始まり」←今ココ」
訂正理由
イについて どこの章か分からないと不便であると判断したため。
令和四年十一月十四日
イ 「第三章「安倍政権による是正」
第一節 教育基本法の改正
第二節 教科書改革(是正)プランを発表
第二節 教科書是正が断行 自虐隷属史観に染まった反日極左教科書に是正命令」
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「第三章「安倍政権による是正」
第一節 教育基本法の改正 自虐隷属史観に歯止め
第二節 教科書改革実行プラン断行 自虐隷属史観に染まった反日極左教科書に是正命令」
ロ 「第二章「教科書の過激化と是正の動き」
第一節 検定制度の改悪で「従軍慰安婦」「強制連行」「関東軍731部隊」がフリーパス」
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「第二章「教科書の過激化と是正の動き」
第一節 検定制度の改悪で「南京大虐殺」「従軍慰安婦」「強制連行」「関東軍731部隊」がフリーパス」
ハ 「第四章「教科書戦争のラスボス 学び舎」
第一節 一度検定不合格になった教科書
第二節 しんぶん赤旗超えの左翼」
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「第四章「教科書戦争のラスボス 学び舎」」
ニ 「第六章「教科書に現れた偏向タイプ」」
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「第六章「教科書に現れている偏向タイプ」」
ホ 「ある公民教科書では、大東亜戦争を通じて日本がアジアを侵略したから憲法九条を作ったんだという意味不明な憲法論が語られていました。」➡「多くの公民教科書では、大東亜戦争を自衛戦争ではなく侵略戦争と決めつけ、大東亜戦争を通じて日本がアジアを侵略したから憲法九条を作ったんだという意味不明な憲法論が語られていました。」
ヘ 「そして、当時まだ日本人全体は戦前・戦時中の教育を受けた世代であり、精神的に骨抜きになる前だったことも影響して、日本民主党が教科書問題報告を行い、「うれうべき教科書の問題」を発行しました。」➡「当時まだ日本人全体は戦前・戦時中の教育を受けた世代であり、精神的に骨抜きになる前だったことも影響して、有識者が教科書の記述を問題にし、日本民主党が教科書問題報告を行いました。そして日本民主党は「うれうべき教科書の問題」を発行しました。」
ト 「文部省が実施した教科書検定制度の改善は、効果を上げ、日本の侵略やありもしない日本軍の蛮行を書いた教科書には、検定意見が付くようになり、教科書には一定の歯止めがかかりました。」➡「文部省が実施した教科書検定制度の改善は、効果を上げ、アジアへの進出を侵略と決めつけたり、大東亜戦争を侵略戦争と断罪したり、ありもしない日本軍の蛮行を書いたりする教科書には、検定意見が付くようになり、教科書には一定の歯止めがかかりました。」
チ 「この頃から、「日本の侵略」に検定意見が付けられなくなり、教科書は加速度的に偏向の度合いを強め、当時の少年非行の急増の原因になりました。」➡「以前は「日本の侵略」などの表現には教育的配慮や学習指導要領に従うよう求める検定意見がついていましたが、この頃から野放しにされ、その結果、教科書は加速度的に偏向の度合いを強め、当時の少年非行の急増の原因になりました。」
リ 「昭和五十七年に、文部省が教科書検定で「侵略」を「進出」に書き換えたとする報道がなされました。」➡「昭和五十七年に、文部省が教科書検定で「中国への全面侵略」を「中国への全面進出」に「華北への侵略」を「華北への進出」に書き換えたとする報道がなされました。」
ヌ 「「日本の侵略」と「欧米のアジア進出」「元の日本遠征」などのダブルスタンダードもより顕著になりました。」➡「それまでは「侵略」表記が極端に過激な場合は教育的配慮などを求める検定意見が付いていましたが、この頃からそれすら付かなくなり、「日本の侵略」と「欧米のアジア進出」「元の日本遠征」などのダブルスタンダードもより顕著になりました。」
訂正理由
イ、ハ及びヘ 誤解するおそれのある表現等を排除するため。
ロ それまでは検定意見が付いていたのに付かなくなったということが分かりやすくするため。
ニ 誤記
ホ より実態を踏まえた記述にするため。
ト より強調することで実態の把握を容易にするため。
チからヌ より踏み込むことで理解を深めるようにするため。
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