バイデン氏とハリス氏の当確を喜ぶ国民の姿がテレビで流れる。涙を流して喜ぶ人たちの姿が映る。たくさんの若者たちが彼の事を信じて票を投じ、当確の報道を心から喜んでいる。今回票を投じた人の半分以上がバイデン氏に入れているとされる(数字上では)
近い未来に起こるであろうことを思い憂いでいる。
トランプ大統領が明日の月曜日から本格的に法に訴えて出るとのことだ。少なくとも10州、多ければそれ以上、市民レベルでの訴訟は数知れないだろう。
私は、バイデン候補の当確を大手メディア各社が報じ、各国の国家主席がバイデン氏に祝いの言葉を述べた今も、トランプ大統領が再選すると言う思いが揺らがない。
「トランプ氏の身内が負けを認める様説得しているらしい」とか、
「何ら実証のないのに不正があったと事実無根の訴えを起こそうとしている、」とか、
「郵便投票はすべて公平だから100%数えられるべきだ、」とか、
「票を数えなおしたところで、せいぜい500票程度の増加が関の山、1万や2万の票差を覆すのは、ほぼ不可能だ」とか、
「素直に負けを認めない、潔くない」とか言って、事実にそぐわない事をながし、トランプ敗戦ムードを作ろうと躍起になっている。
ほぼ、すべての大手テレビの流すニュースが上のような内容で、「不正があった」と、一国の大統領が、自分の国の国家元首が、公式な記者会見の場で言っている事に対して、最初から悪あがきだと掛かり、どんな不正があったのか、トランプ陣営は何を言っているのか調べもせず、不正選挙だったと内部告発やビデオや録音やそんなのがあるのにも関わらず、その事をリポートしない。バイデン当確で一貫している。
彼らの記者としての誇りはどこに行ってしまったのだろうか、国民をだましている事、少なくとも、国民に非常に偏った情報を流している事に、心の痛むことはないのだろうか。プロフェッショナルの自覚はどこに行ってしまったのだろうか。
トランプさんの支持者は騙されているのがわかっているからいい。
本当の意味で騙されているのは、バイデン氏を指示した純粋な支持者たち、
心から彼の次期大統領当確を信じ喜んでいる、一般の国民たちなのだ。
彼らが後に事実を知って受ける失望、ショックを思うと、心が苦しくなる。
日本でも、広告主に気を使って思うように番組を作れないテレビになっていると言う事が言われて久しい。
アメリカのメディアの腐敗の原因もほぼ、同じような理由によるものが多いはずだ。
広告主の意に反したニュースのコメントなどが流れようものなら、広告主が離れていくことになるからだし、
その反対に、広告主が喜ぶ方向に情報を多少手を加えるなら、広告収入増加に効果があるかもしれない。
トランプサイドの政治家が、不正選挙があったと思うと言うような事を口にするなり、その話を遮ろうとするニュースキャスターは、一体何様のつもりなのだろうか。
テッドクルーズやルディージュリアーニ氏が、「大統領はメディアが決めるのではない」と声をあげる。
情報が限られている。もはやテレビの報道は信じられない。ユーチューブやネットに、マイナーなニュースや団体、個人があげる情報に頼るしかない。地域の政治家が各地で不正選挙の事実証拠を伝え、トランプ支援者が今も各地で街頭演説やラリーを行っているのに、それらの情報をテレビで得る事ができないからだ。怒って静まらない危険なトランプ支持者と言う伝え方だ。潔く負けを認めるがよいと言う姿勢だ。
感が教えるものがある、バイデン氏の当選はどう考えてもありえないと言う肌で感じる感覚だ。ラリーに集まる群衆のすごさやトランプ氏の人気を見るだけで、いくらアンチトランプ派が多いとは言っても、トランプ票が上回ると言うのが国民が感じていたことだ。(メディアは全く反対の事を言ってたけど)
いくら郵便投票がバイデン票が多いだろうと言ったからとしても、3日の夜中のトランプ氏の激戦各州でのリードが、遅く届いた郵送分を数えたからと、数日のうちにほぼすべての激戦州でなくなってしまったと言う事、ありえない。
それに、上院と、下院、双方において共和党の圧倒的な勝利に終わっている。なのに、’大統領は民主党を選んだの?と言う事。
まだある、今回の投票率。具体的な政策はあまりなく、言うのはトランプ批判とコロナの事というバイデン氏の投票前の頼りないスピーチやハンター疑惑、何をとってもアメリカ大統領を任せるに頼りないと思える事ばかりのバイデン氏が、あのオバマ氏よりも多くの票を得たと言う結果、ありえない。
これらの事から、バイデン氏がトランプ氏を上回ったとするなら、相当数の不正があったと考えるのが普通の感覚だ。なので、私は今もバイデン氏が正当な方法で当選したとはこれらの事実から考えてありえないと思っている。
しかし、どんなに法を駆使しても結局は結果を覆すのが難しかったという事になったとするなら、それは、ひとつのプロセスとしてそうなる事を通して、明らかにされるべきことがあるからなんだろうと考える。
真実はそこにある。真実はひとつしかない。