大きな渋滞もなく実家のある米子に墓参り。昔話の続編を語る気はないが、その昔
米子の寺町はお彼岸、盆となれば車2台が時折、交互通行になるメインストリートは
人で溢れていた。今は一方通行に規制されている。
13日は盆の入り、私たちは午前中の涼しい内に墓参りに出かけた。いつもは午前中
に実家到着、一休み、昼食後の暑い時をめがけた様な墓参りをしていた。
今年の猛暑、一歳とったからか実家到着後、涼しい内になんて弱気になり理路整然
とした理屈で出かける。ところが、寺町のメインストリートに着いても人影は平日の疎ら
な状況と何ら変わりない。暑い々と言いながらお寺に入っても人影は見えない。妻の
両親の菩提寺に足を延ばすが全く同じ光景でしかない。
昼間は暑い、人々は猛暑を避けそうした時間帯に行動しない知恵がついているから、
こうした状況でも、昔と大きく変わったのかもしれない。墓の在る無しは別として、自分
には必ず祖先はいるのだから、先に逝った人々を直接的に知らなくても、敬う心は忘
れてはならない、私はそう考えている。古くから伝統として伝えられたことは全て正しい
ものではない、女性の人権を当たり前として扱うべきと変えられたことは、その一例で
あろう。変わってはならないのに、変わっていくもの、変えなければならないのに変わ
らないもの複雑の心境だ。墓参りに出かけ、人の動きをみての爺のツイート。
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