食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『人のいない飯館村』

2014年04月30日 16時53分24秒 | 旅行

 

東電原発はメルトダウン、水素爆発により膨大な放射線物質を大気にまき散らした。核物質は灰のようなもので風

が吹けばそれに乘って何処へでも飛んでいく。風向き次第だから蒔き散らかされた時に吹いていた方向と風の強さ

で落ちる場所が決まる。不幸にしてその場所が飯館村だった。原発よりもっと近いのに頭ごなしに通り過ぎてしま

い難を逃れた地域は沢山ある。

飯館村は一番遠い所では原発から50km近く離れているのにこうした被害に遭っているのに、国の規定では原発か

ら30km圏内の数字が独り歩きしている。勿論、複合的な条件によって変わるから一律の数値で表せないにしても、

国は安全性を前面に出したいから飯館村の事は参考にしたくないのであろう。

私は飯館村が汚染されて大変だとは知っていたが避難の具合だとか居住制限区域に指定され、どのような制限を受

けながら暮らしておられるのかは知らなかった。地図で見ると私たちが向かった南相馬市と隣り合わせで自動車道

を降りてから真横に走り飯館村を横断するのに何の規制もなく行けるから『大変だったろうな』と過去形の思いだ

った。川俣町から飯館村に入り田舎町を感じさせる。開けた谷間のような所に来ると黒い袋に詰められた除染土の

山が見えた。幾つかの山には青いビニールシートが掛けられている。昨年、相馬市に行った時には何処の除染袋に

もビニールシートを掛けられることない黒い袋の山だった。

雨ざらしのままだと袋の劣化が早くなるから青いビニールシートが掛け、行き先が決まるまで長い年月に耐えられ

るようにしたのだろう。遠くには作業員らしい人たちが重機を使って除染作業と呼ばれる、土を10cmくらい剥ぎ

取ったり、手で何かを袋に詰め込んだりの作業をしている。村の中心地と思われる処には道路の両側に店屋や郵便

局が並んでいる。

飯舘村を通り南相馬方面に向かう車は信号で一塊になりやがてばらける、対抗車の量は左程多くはないが時折すれ

違う。順調に通り過ぎていくが人影は見えない。店によっては駐車場のような所にロープが張られているから、な

んでだろうかな、としか思わなかった。信号もありちゃんと動作している。小さな自動車工場のような所は、人は

見ななかったが明らかに仕事をしている様子が見て取れる。JAにも通勤者と思われる車が止まっており室内には

照明が点けられている。しかし周辺を歩いている人も家の周りで何かをしている人も見かけない。

南相馬市からの帰りにやっと気付いた。『この村には人が住んでいない』

家の玄関、カーテンは閉められたまま、雨戸も、障子も・・・・・

しかし家の周辺に草が生えているのではなく綺麗に手入れされ続けているように見える。

どこかの大臣がこうした風景を『ゴーストタウン』と表現して辞任させられた。

私は飯館村に人が住んでいない事を知らなかった。本当に人が住んでいないのか確認するため道から奥の方にある

家の方に向かってみたが、だれもいないゴーストタウンだ。

家々は手入れされているのに誰も住めない。道路には車が走り社会インフラは震災前と何一つ変わっていないよう

に見えるのに、人は住めないようだ。そう知ってから急に悲しいやら空しいやら何とも言えない気分に襲われた。

改めて一言でいうなら悲しいに尽きる。こんな時、東電の糞野郎とか政府や政治家の馬鹿とか、普段なら口汚く罵

る私の思考回路は遮断されてしまい、そんなものは何一つとして浮かんでこない。悲しい・・・・・

そして往路で見た小学校の児童たちは、復路の川俣市の避難校舎で元気よく遊んでいる姿を見ることが出来た。彼

らの将来はどの様な絵図面が描かれるのだろうか、と思うと再び先程の悲しさが甦って来た。

本当はこんなことではいけないことを知っているのに・・・・・・・

みんな、げっぱろー !

                               村の幹線道路、車は走っているが人の気配なし

                              除染作業中の人

 

                    除染中の重機

                   色の白い所は除染した所、右は未だ?

                                                          隣りの市に避難中の小学校

                        誰にも見捨てられた蕗の薹は花に・・・・ 


『写真のマナー』

2014年04月29日 17時00分00秒 | 旅行

有名な観光地ではどこでも記念写真や自分のベストショットを撮るためにカメラマン、俄カメラマンが同じような

位置に群がる。誰もが記録として残しておきたいから当然のことだと思う。

またカメラのデジタル化はカメラ人口を何倍にも増やした。カメラやビデオはデジタル化によって誰でも簡単に記

録できることに加え高価なフィルム代が不要となれば、その裾野が広がらない訳はない。以前はカメラを担当する

のは男性でしかも常にベストショットとなり得るような場所で限定的な撮影をしていた。ビデオに至っては8mm

が前身でフィルム、現像共に高価で僅か3分しか撮れなかった。

滝桜がライトアップされる随分前からカメラ親父たちは3脚を立て桜から離れた場所に陣取っていた。未だその時

間には早いが私たちもその隙間に入れて貰い待つことにした。桜の正面の人は減ってきたがその前で記念写真を撮

る人がいた。私が妻に『ライトアップされたら流石にあの場所には行けないだろうな』と言うと、すかさず隣にい

た女の人が『そうではないですよ。ほら、あそこに座っている人、皆がこうして後ろに並んでいるのに後から来て

平気で場所取りをしているんです。人のことなんか全く気にしていないでしょう』

そう言われた場所を見ると一人の男性が低い姿勢でカメラを持ち座っていた。誰もが良い場所で人の姿が入らない

写真を撮りたいのだと思う。カメラマンならずともカメラを構える人なら、今自分が居る場所はどんな場所くらい

かは分かるはずだ。あくまでも『はず』・・・こうした期待をしてはいけないようだ。こうしてその人のことを心

中で誹謗しながら『こうした観光地では観光協会の人か誰かが数分のシャッタータイムを作ってくれればいいのに

なー』と勝手な事を考えていた。そうすれば誰もが有名な地で人が映らないベストショットを私でも撮ることがで

きる。常識的な行動をとれば、このような事は必要はないのだが、どうも常識を守るべき又は規範を示すべき人生

の先輩方の多くが守っていないようだから、余計示しがつかない。

ライトアップされ少しずつ暗くなりかけた時、その非常識な親父以外に子供が2人だけになった。幸いな事におっ

さんは暗がりに紛れる格好となり桜と子供の写真を撮ることが出来た。子供たちはいつの世もどこでも少々のこと

は許されてしまう。『子供と桜はいいもんだな』と私が言う。『子供たちと一緒の桜ならいい』と妻。

こうしたチョイ悪親父はいるが観光地には親切な人も多い。セルフで写真を撮ろうとすると『撮りましょうか』と

声を掛けて下さる。美しい風景も優しい心で撮らないといい思い出も添えられなくなり旅をつまらなくしてしまう。

三春滝桜は念願が叶ったもの、ここの人たちの『おもてなし』も一緒に撮って帰ろう。

 


『見参、滝桜』

2014年04月28日 16時42分05秒 | 旅行

南相馬市、飯館村を通り東北自動車道の福島松川インターに戻り、磐越自動車道の船引三春を目指す。前日の下見

で現地の様子は分かっているから慌てる必要はないし、桜に足が生えて逃げることもないから余裕を持ちながら車

を走らせる。自動車道は70km~100kmまでの速度で走る。普段は余り走ることのない私でも暫く走っているとス

ピード感覚が鈍くなることに加え、周囲の車のスピードに同調してしまう。頻(しき)りにスピードメーターを見て

いないと思わぬスピードに冷や汗ものになることがある。

東北自動車道は幹線だから交通量は多いし速度制限も100kmだから運転するのに忙しい、磐越道に乗り換えると

対面有り70kmとのんびりローカルの色合いが濃くなる。三春に近づくと観光バスが桜を目指しているのか先を急

いでいる様子。午後になってからは快晴の天気となり桜を観るのに最高となっている。

昨日チェックしておいた駐車場に向かうと平日の夕方近くということもあり、車を止めるスペースは十分にあるし

観光バスの方も同様だった。車を降り受付のある場所で観桜料300円を支払い屋台、出店のあるゾーンに向かう。

雨と風で寒さばかりだった昨日と大違い、傘は要らないし周りをゆっくりと眺めながら坂を上っていく。人出は少

ない方で込み合うこともなくマイペースで歩くことが出来る。視界が開けると青空の下、滝桜が明るく出迎えてく

れた。昨日は雨模様の桜だったが、桜は晴れた日が似合う。大きな混雑はなくセルフタイマーでも記念写真を撮る

ことができる。

近くに寄って見ると木を見て森を見ずのようになってしまうから、離れた所から全体を眺めるのが良さそうだ。ど

のアングルが一番いいのか木の周りを大きく回ってみた。正面はパンフレットや観光写真で紹介されている姿でポ

ピュラーな感じ、右側からだと見降ろすようになり桜の背景が雑で今一、真上後ろからだと植えられている黄色の

花との組み合わせで良さそうに見えるが肝心の桜は頭の部分しか見えない。

ぐるり周り左側に降りると、私はここが一番いいと思う。背景は青空、枝垂れは滝のように流れ、しかも全体の姿

を捉える事ができる。

滝桜は桜が滝のように流れる様を言うのではなく滝地区にある桜が由来だ。しかし滝桜を左から眺めると地区の名

前からではなく、その姿からつけられたと言ってもいい。遥々1000kmもの道のりを駆け抜けてやってきた甲斐は

ある。

近くではお婆ちゃんたち手作り品々を売っており、好物の干し柿があったので購入の際、妻が『こんなに綺麗に粉

がふかない』と言うと、お婆ちゃんが説明してくれたが土地訛りの言葉は半分くらいしか聞き取れなかった。

三春町は今の時期が書き入れ時だから農産加工品、桜の苗、名物油揚げの焼き物などを小さなグループが販売して

いた。これらの人は本格的な商売人ではないから夕餉になれば自宅の準備で帰るから、大半の店は5時位でclose

してしまう。これから陽が落ちてライトアップされるまで2時間ほど頑張ろうと近くの出店でコーヒーを頂くこと

にした。幾ら好きな桜の前とは言えすることもなく2時間もジッと待つのは辛いから、未だ残っている店を覗いた

り、車に戻り休憩したりして落陽を心待ちにする。

再び桜の前に戻って来て暫くするとライトアップが始まった。周りは未だ明るくライトアップが始まっても桜の姿

に何の変化はなく、ライトアップより落陽をお願いしたい。

西日本と東日本の日の出日の入りの違いは就職で米子から横浜に行った時にすごく感じた。朝は早く日の入りも早

く、その差は1時間以上違うように感じた。だから陽が落ち時間はもっと早いと思っていたのに以外にも粘り腰で、

中々暗くならない。ジワリと暗くなると同時にジワリと冷えてき始めた。体感条件は悪くなるが観桜条件はよくな

る、我慢比べだ。

ライトアップが始まる2時間以上も前には少し離れた場所から立派な3脚を立てて写真を撮ろうとする人たちがい

た。私たちは記念写真用のみすぼらしい3脚で仲間入り。そもそも一眼レフを使いこなせないのに持ち歩いている

が、バカチョンカメラと同じことしかしていないから、まともな写真は残らない。

一寸だけ勉強した知識で撮りかけるが実践が伴っていないから、大きく手ぶれになったり、露出過多で絵にならな

い等の体たらく状態。段々と暗くなり桜がぼんやりと浮き出る姿を目に焼き付けて滝桜と別れることにした。

三春町の滝桜


『南相馬市へ』

2014年04月27日 18時11分59秒 | 旅行

本来のざっくりとした予定では夜になってから遅れ気味ながら鶴ヶ城の夜桜を見に行こうかと思っていた。生憎の

雨は小休止の様子もなしの為、ホテル内のレストランで食事を摂り翌日に備えることにした。

レストランから遠くにライトアップされた鶴ヶ城を見ながら冷えた体に熱燗を注ぎ込む。明日天気になーれ。

天に祈りが通じたのか翌日には雨は上がり天気予報もしり上がりの回復を確約している。朝食を摂りながら桜見物

はライトアップされる前と後が見られ時間にして、それまでは津波被害、原発風評被害に遭っている南相馬市に行

ってエールを送ることにした。

会津若松からだと磐越自動車道に乗り郡山で東北自動車道に乗り換え、福島松川インターで下り地道を南相馬市ま

で行くルートがいいと聞いた。福島松川はスマートインターと呼ばれるものでETC車だけが自動車道の出入りが

出来るもので私たちは初めて利用した。インターとは名ばかりで工事中の現場に迷い込んだような所だった。

地道をのんびりと走るが桜前線は確実に私たちの住む処とは違っており、まだ花見に耐えられる花がついている。

幸いに混雑もなく飯館村に入って来た。道路沿いには『除染中』の旗が立てられており、測定器を手にしている人

も見られた。重機を使い地面を10cmくらい剥ぎ取って例の黒い袋に詰め込んでいるようだ。広い畑のような所で

は除染された土地とそうでない土地は色が違ってモザイク模様になっている。

畑か谷間か分からない所には『仮置き場』という名前を貰っているが恐らく半永久的に置いたままになるかもしれ

ない黒い袋が山のように積まれている。黒い袋はこれからも量産され続け、ここが一杯になったら次の場所に置か

れ続けることになる。そうした中を走っていくと村立なのか小学校や高校の校舎が見えるが生徒たちがいるのか、

いないのか遠目には分からない。

相馬市へは昨年出かけ献花をしてきたから、今回は南相馬市の道の駅に出かけ少しだが福島県産のものを買って帰

ろうと出かけたものだ。全く知らない道中は長く感じるものだが南相馬市への道のりは、それを全く感じさせなか

った。というのは、相馬市へは霊山という大きな山を越して行ったから、そのイメージが強く残っていて大変な道

中を覚悟していたからだ。東日本大震災と南相馬市と言えば津波被害に直結するが、海岸から離れた市内はそうし

た印象とは別世界。道の駅周辺も表面上は震災以前と何一つ変わっていないような表情をしていると思う。

お得意の迷子にもならず南相馬市の道の駅で昼食を摂り土産物屋や福島県産の米を購入する。道の駅には賑わいと

はいかないがお客さんもあり、お土産コーナーを物色する姿を見ることができた。私たちが少々の物を購入しても

屁のツッパリにもならない。気は心、私たちは福島の惨劇を忘れないし見捨てたりはしないことの証なのだ。


『雨の滝桜』

2014年04月26日 17時08分54秒 | 旅行

 

20日金沢で1泊し会津若松には午後の早い時間に到着する予定だったので、到着具合により三春町に出かけるこ

とが出来れば行こうと決めていた。ところが天気予報は下り坂を示しており朝の金沢も霧雨と小雨の間くらいの雨

模様。雨は西から東へ、南方向から北方向へと移動する予測通り、私たちが北に向かうと空は少し明るくなり雨脚

も緩やかになるが、暫くすると雨脚に追いつかれ再び雨の中、桜を観に行くような気分を削がれながら車を進める。

磐越道に入ると明らかに松江地方と桜の状態が違っている。染井吉野系は恐らく終わっているだろうが淡い色の八

重系の桜は、少し葉はあるものの未だ花見に耐えられる花を付けている。

会津若松に到着したのが2時前だったのでそのまま三春町を目指し滝桜に行ってみる事にした。人気のある桜だか

ら混雑が予想され、その緩和の為に交通規制も敷かれており、町の運動公園に自家用車を駐車し滝桜までは無料シ

ャトルバスで送り迎えしてくれるとあった。

桜の近くに駐車場はあるようだが状況がどのようになっているのか不明、ただ天気が悪いから観光客は少なく難な

く駐車できるのではないかと期待はさせたものの、安全策をとりシャトルバスの利用にした。

運動場に車を止めバスまで僅かな距離なのに雨に加え風もあり傘を差さないと歩けないほどの天気になっていた。

バスには私たち2人を含め7~8人の観光客しか載っていないから、やはりこの悪天候だから客足は伸びていない

のだ。15分ほど丘のような所を走り停車場から桜までは徒歩で10分ほどの距離、観桜料300円を払い進む。観光

客相手の屋台や土産物屋が沢山出ており、疎らながら観光客が店先を覗きこみ物色する姿が目に入った。

これらの店屋は桜が咲いている時期だけが稼ぎ時になる。桜の時期以外には売っていないであろう『桜・・・・』

『三春・・・』などの土産品が臨時の店先に並べられている。店から坂を上がっていくと普段は閑散とした道脇には、

ここに住む人たちの家並みがある。子供の頃から見慣れた桜の期間は日常生活を観光客に奪われて不便な暮らしを強

いられる、私たちの心の中の中にある歓びとは逆になる憂鬱、なんてお気の毒な事だ。

私たちは更に足を進めると左手に写真で見たあの滝桜が鎮座していた。雨は相変わらず降り注いでおり傘を差しながら

寒い中の無粋な花見となる。桜の周りを一周するように通路が設けられていて観光客はそれに従って歩いて

行く。私たちは人を気にしないで写真が撮れる場所に移動し3脚を立ててセルフタイマーで記念写真を撮った。

雨が降るから傘を持ちながら桜をバックに撮った写真、どう贔屓目(ひいき)にみても天下の滝桜を背景にした記念

写真にはそぐわない。こんな天気になったが観光バスで訪れる人たちは元からの日程通りにしか来られないから、

雨を恨みながら坂を上って来る。私たちの本番は明日、今日は近辺の様子を確認に来ただけだから雨の中、頑張る

ことはなく早々に引き揚げ会津若松のホテルに入った。


『三春町から帰還』

2014年04月25日 18時55分47秒 | 日記

念願だった福島県三春町の滝桜とのご対面がやっと叶った。事前に計画しようにも桜の開花時期がはっきりしないと

折角、出掛けても出直すことは出来ないから慎重に見定めていた。例年の開花を参考にしたいが年により大きく変動

しているから今年をどの年に合わせればいいのかはなんてことは分からない。

そして21日頃がベストになりそうと予測して三春町近辺の宿を調べてみると見事に満室で余り影響のなさそうな会津若

松に宿を取った。20日に出発し途中、金沢で1泊して21日、22日と滞在し再び松江に戻る日程をとり、昨日の21時前に

自宅に到着した。昨晩は旅の片つけを終えることもなく早々に就寝。

明けて今朝、木炭作業の連絡があり本日は一日、木炭仕事で暮れた。

三春町の滝桜は丁度、満開での対面となりご満悦なり、小トリップのことは別途アップの予定。


『漏水騒ぎ』

2014年04月19日 17時39分23秒 | 日記

水道検針員のおばさんが『今の季節にしては使用量が少し多いから漏水の可能性がある。調べるので水を使わない

ように』水道を使用していないのに検診メーターが回転していることを調べるためだ。簡単なことだがこれで漏水

しているか否か分かる。水道を使っていないのにメーターが回るという事は、メーターより内側の何処かで漏水し

ている事を示している。以前にも同様の事があった。

その時は、この辺りかと適当に目星をつけて車庫の入口のコンクリートを少し剥してみたら、偶然にもドンピシャ

リで漏水箇所を発見した。丁度、継手の所で本の少しずつ漏水していた。掘り返す前なら土圧がかかっているから

もっと少ない量の漏水だと思うが、たったこれだけの漏水でも塵も積もれば山となるの如く、平月の5割増しくら

いの使用量になっていた。

さて、この度は柳の下作戦はないだろうから正攻法で調べることにした。家の半分で切り分けてみたらメーター~

風呂場までの僅か7~8mくらいの間で漏れていることが分かった。メーターから直ぐの所にトイレ、その先は多

分床下を経由して台所、風呂場と行っている。ここまで分かったものの時期は冬の終盤とはいえ未だ寒い時期だっ

たから、調査を業者にお願いしてみた。余り頼りにならないような対応だったが、結果は案の定『漏水量が少な過

ぎて確認できない。精密機器を持っている業者に頼んでみては』とこんな結果。

友人の家でも漏水があり根性を入れて調査の結果、バスタブの下を通っていたパイプの継手部分から漏れていたの

を見つけることが出来たと言っていた。コンクリートで固められた中でない限りは手掘りすれば必ず原因は目で確

認できるから、対策は根性以外の何物でもないことは明白だ。

急ぐことはないから暖かくなったら、私が少しずつ掘れば分かるので頑張ってやってみようと、やる気半分、再度

別の業者にお願いするのかが半分で、今のところ私のやる気待ち状態。

桜も終わり穴掘りにいいシーズンになりそう・・・・。


『木酢液の除草効果』

2014年04月18日 17時56分48秒 | 日記

炭焼きを開始して窯の中の温度が高くなると木は乾燥し始める。その煙には木から出る水分や木の成分を含んでお

り、煙を受ける所で冷えるとポタポタと水滴が落ち始める。最初は木に含んだタール分の濃いものが出てくる。こ

れは使い道がないので専用の容器に取り入れているが、煙の温度が80℃くらいから良質の木酢液が取れ始める。

窯の中に入れた炭木の乾燥具合により出る量に差はあるが、伐採2か月後のかなり乾燥したものでも1窯焼けば

100㍑くらいは出てくる。ここの窯では200℃を越えたあたりまで採取する。

木酢液はホームセンターなどでも売られていて、効能によるとアトピーから農業用まで用途は広い。以前は500ml

で4~500円と結構高い値段で売られていたが最近の事は分からない。炭窯グループでも販売品目としているがイ

ベント時に出すだけの状態なので、会員がそれぞれ利用している。私たちが販売する場合『除草』に利用できると

の効能は伝えていない。除草の場合、大量に必要でこれを購入して使用するには余りにも値段的に合わないからだ。

しかし、メンバーの私たちは役得で大量の在庫を保有しているから畑の除草剤にも使っているが、随分と贅沢な使

い方だと言える。1回で18㍑の灯油タンクを2~3缶をジョロで草にかける。雑草の種類にもよるが大半の草はそ

の日の内にシンナリとし1~2日で退治することができる。草の名前は分からないが液をかけても全く効果のない

草もある。草刈り機で草を刈る場合、石の多い所では刃に埋め込まれているチップソーが取れてしまうため、こん

な場所での草刈りは余り気が進まないが木酢液だとそんな心配は無用だから重宝する。

独特の臭いはするが木酢液自体に悪性の成分を含んでいないから畑で使うことでの悪影響は全くない。むしろ畑の

虫たちも嫌うとされているので農作物にはいい影響しか与えない。木から出てくる水分にこんな効果があるなんて

思いもしなかった。


『自動車道について』

2014年04月17日 17時54分05秒 | 日記

昨日、不祝儀で鳥取市に出かけて来た。大よそ1年ぶりに米子より東に向かったことになる。松江からの鳥取まで

の自動車道はおかしい形態になっていて松江の東から安来市までの数kmが有料区間となっており料金は650円も

する。それ以外は無料になっている。公共事業見直しの嵐の後、国直轄とか何とかで変な理由づけをして作られた

結果だと思う。これと同様のことが出雲市に向けての一部区間にある。

山陰自動車道の名前が付けられているが米子から出雲の間は有料、無料の斑(まだら)模様になっていて、有り難い

道路なのか否かわからない。私は鳥取に向かう時は米子まで裏道を通り米子の無料区間から自動車道に乗り換えて

いる。自動車道の整備は少しずつではあるが進められており、松江から中国自動車道、三次東まで接続されたのに

続き、来年度中には荘原まで全線が開通する予定になっている。しかしながら山陰全体でみると出雲から西の方面

の整備は遅れており、狭隘区間の多い国道9号線がメインになっている。

自動車道をつくるのにb/c((benefit/cost)という数値をはじき出す。道路を作るのにかけたコストに見合うだけの利

益があるかというもの。これは国土交通省が無駄な道路とか何とか指摘された時の言訳のようなもので、道路がで

きてしまった後にb/cを再計算して、結果がどうだったのかなんて積極的に説明は為されないのではないかと思う。

まあ、そんなに目くじらを立てないで考えれば何かの基準は要ると言われればそんな気がしないでもない。

しかし国土の整備は均一でなくても規模の大小はあっても似たような形態に整備していかなければ、不便な地と便

利な地の格差は広がる一方になる。今、公共工事で作られた道路、橋、トンネル、各設備などが老朽化しており、

その対策をどうするか問題になっている。設計段階から耐用年数は判っていたはずなのに、まともにメンテナンス

をしてこなかった役人どもの怠慢、田舎は未だ整備もされていないのに都会地の老朽化対策が優先されると更に整

備に遅れが生じるとの危惧。多くの人が利用する公共の施設を優先的というのは、合理性はあるが、格差を考慮し

ない不合理さがあることも事実だ。熊や猪しか歩かないような道路を作るのは論外として、バランスのとり計画性

をもった整備、保全に力を入れて欲しい。


『山小屋の巣箱』

2014年04月16日 17時06分13秒 | 日記

何年も前、小屋に取り付けた鳥の巣箱はどなたからもご要望がなく空き家のままになっていた。ぼつぼつ春の支度にか

かる時期、ヤマガラの種類だと思うが巣箱の入口を大きくしようと突く大きな音がしていた。その音からしてそんなに熱心

ではなさそうな感じで、気が向いた時に適当にやっている風にみえた。巣箱の板は乾燥して硬くなっているから嘴で突い

て穴を広げるには、もっと一生懸命にやらないと玉子を生む時期に間に合わないと私の方が気を急っていた。

野生の生き物はそうした時に変に手助けをすると危険を感じて、その場所を放棄してしまう事が多い。このような事情を踏

まえた上で鳥が自宅に帰った後にホールドリルを持ち出し、穴を大きくし易いように周囲を薄くしてやった。穴を大きくして

しまうと自分以外の敵も知れないものがやったと判断するだろうから、手を加えたことが分からないようにする必要がある。

幸い私が加工した事に気付かず穴の工事を続けていた。

何時の頃か音がしなくなり、姿も見えないので巣箱を使っているのか分からなかった。この間、恐らくせっせと巣箱に巣を

作るための枯れ草などを拾い集めていたようで、私が小屋に近づくと巣箱横の木から飛び去る姿を見るようになった。その

内、巣箱から出てくることも確認できた。

私が小屋の周りでウロウロしているとピーピーと警戒シグナルなのか、自分の縄張りを主張しているのか鳴き声がする。野

生の鳥の天敵は猛禽類や蛇などだ。鳥の種類によるだろうが人の傍で安全を確保できると学んでいる燕は人家に巣を作

る。雀にしても昔は瓦屋根の隙間が巣の最適場所だった。山小屋周辺の小鳥は人がいても木の間を飛び回ったり、鳴い

たりして人を敵と認識していないようであるから、巣作りについても人を盾にした安全は考えられなくもない。だから小屋の

巣箱は安全と踏んでいるのか。

さて、この巣箱に出入りしている住民の戸籍調査をせねばならないから、その姿を写真に撮ってやろうと思っているがパ

パラッチのように四六時中カメラを抱えて待つわけにはいかないから、いいタイミングがあれば確認したい。汗ばむほどの

陽の下があれば花冷えの屋内、桜も吹雪となり葉の緑が目立ち始めた。近くの藪の中から研修生の鶯がホーケキョ。


『カラスは賢いⅡ』

2014年04月15日 17時35分46秒 | 日記

木炭作業の途中、休憩のお茶タイムがやって来た。ここのところは天気も良く日中になると小屋の中より外の方が

暖かいし、気分も晴れるからテーブルや椅子を持ち出し、即席の野外喫茶が開店する。平均年齢68~9才の若者が

暖かいお茶を飲みながら茶口のお菓子を食べる。高尚な話題から巷の噂までもお茶の口取りになる。

こうして野外喫茶を開店するとお誘いの声をかけていないのに、カラスが知らぬ間に近くの木に留まり、こちらの

様子を窺っている。この辺りのカラスは過去の学習からお茶の後に何か食べ物があるかもしれないと目論んでいる

のか。私たちのお茶タイムは終わり、残ったお菓子は午後のお茶タイムの為に段ボール箱に入れて、炭小屋の中で

保管した。残りの作業をして昼食のため一時解散、午後2時に再集合となった。

再集合するとカラスが保管していた段ボールの中にある菓子類を全て引っ張り出し食い散らかしていた。私たちが

解散するのを見届けて、小屋に入り込んでの仕業だ。

皆、カラスにブーブー言いながら仕事に取り掛かる。窯に炭木を入れ次の炭焼きを開始する段になり、午後のお茶

タイムとなった。再び野外喫茶でお茶を飲んでいると、カラスが20m位先に行っては何か白いものを咥え飛び立

っては、また現れる。2羽だからどうも番(つがい)らしい。どうもおかしい、何か隠しているようだと立ち上がっ

た人が、カラスが飛び立った辺りを調べた所、お菓子を3個取り戻した。私たちが小屋の段ボールに保管していた

ものに相違なし。小屋から盗み出したお菓子を近くに隠しておいて、後ほどゆっくりと自分の棲家に持ち帰ろうと

したものだ。以前、カラスも食料の備蓄をすると聞いたことがある。

袋のまま持ち帰れないほど重くはないのに小分けにする理由として考えられるのは、小さいものを運べば他のカラ

スや鳥に見られ難い、つまり目立たずに安全に持ち帰られる為ではないかと思う。賢いカラスのことだから、これ

位の知恵はあるだろう。それにしても参りましたの出来事だった。

カラスの習性を調査した実験では男女の区別は出来ていて狙われやすいのは女性、嫌いな色は黄色だとかと言われ

ているが、人の生活の中に溶け込んでいるから人と共に進化する稀有な鳥だ。

町のカラスは巣を作るのに枯れ枝や枯れ草などがないから金属製のハンガーをかき集めて巣作りをする。ゴミ出し

が夜中の歓楽街に住むカラスはそうした人間の生活時間帯に合わせた行動をとるなど、興味を持ち調べると面白い

かもしれない。私は友達にもなりたくないから御免こうむりたい。


『少しばかり戻って来た空腹感』

2014年04月14日 17時47分59秒 | 日記

術前には食欲の有無に関わらず時間になればかなり正確に空腹感を覚えていたから、腹時計は正確に動いていた

とになる。空腹感を覚えるのは俗に言う腹が空くことからもあるが、運動などで肝臓内のグリコーゲンが減ると血

糖値が下がり、脳が空腹を感じる、こんな風らしい。

私は食道下部と胃の入口(吻門)を切除しているから胃の神経はもとより、本来の消化機能はまともに動いていなと

説明を受けている。術後確かに空腹感を感じなくなってしまっている。以前は時間が分からなくても腹の減り具合

で大よその時間を察することができた。朝晩は家にいるから空腹感とは別に食事時間は決まっているから困らないが、

人で外仕事をしていると昼食時間が分からなくて気付けば1時を過ぎていたなんてことはザラだった。

畑に出ている場合、周囲を見渡して人がいなくなっていたら昼時を知る、これが術後の腹時計の代わり。

ところが、最近は少しばかり空腹感を覚えるようになり『腹が減った』と心の中で言葉を吐くようになった。勿論、

術前のような明確な空腹感ではないが、空腹感であることには間違いはない。手術による胃の機能低下が改善され

ることはなかろうが、手術により失っていたものを完全ではないが一つ取り戻したような気分になっている。

私の場合は、たまに軽い逆流症状が起るものの胃液が喉にへばり付き耐え抜かなければならないような事はなく、

咳払いをして水を少量飲めば直ぐに回復する。目に見えている症状はこれだけである。

先生からの注意事項は『嚥下障害から肺炎にならないように』と言われているが、術後は食べ物が喉に詰まるよう

な事からは解放され食べることに何の問題もないので、恐らく嚥下障害による不具合は生じないと思っている。

ただ、胃の消化器官としての役目は殆ど役に立たないから食べたものが身にならない、つまり世の中の人と逆の悩

みを抱えている。太ることが大敵とされる時代に太りたくても太れない、ダイエットなんて言葉、大嫌い。いつも、

冬をやっと越した痩せたキリギリスのような状態でいるのも辛いこと。脂肪が少ないから寒さに弱い、肉がないか

ら硬い椅子に座ると尻が痛い、カルシュームの吸収が不十分だから骨粗鬆症の予備軍になりそうでもあり、諸手を

上げておられる状態ではないが、癌に比べれば文句は言えまい。

また、食道手術でQOLを下げる一因は結果的に縫合不具合が生じた場合、術前には自覚症状はなかったのに縫合

部に食べたものが引っかかり、詰まってしまい食道がんの自覚症状のような目に遭うこともある。手術の方法や処

置は同じであっても個人差で縫合部の治癒は大きな差となって出る場合がある。それぞれが持つ症状と上手く付き

合いながら生きていくのが務めなのだろうから、どうにかして、こちらの味方に手なづけられればと都合のいい方

に考えたい。


『NASDAQ=5000に』

2014年04月13日 18時54分37秒 | 日記

NASDAQはアメリカの株式指数。ITバブルと言われた頃にはコンピュータ関係、ネットワーク、ソフト関連など

の株式は軒並み値を上げてNASDAQは4800を越えたかそれ近くまでいき、イケイケムード満載だった。

当時、こうしたIT関連の社債なども沢山売り出され、為替リスクは覚悟しながらも、元本割れなどあり得ないと

いう強気が支配的だった。栄枯盛衰はいつの世にもあるもの。ましてやバブルは所詮、泡。

日本のバブル経済が弾けたのと同じようにNASDAQのITバブルは弾け、リーマンショックも加わり一時は800

まで落ち込んだ。

私にアメリカ企業のことなど分かるはずはないが、こうした一時的なショックで萎れることはあるかもしれないが、

アメリカ企業の多くは製品の基本的な特許や卓越した技術を持っているから、部門撤退や事業撤退してもそれらに

支えられ立ち直る力が強いのだと思う。成熟した自動車企業にしても潜在的なものがあるから政府援助を受けても

再び日の目を見ることができるのだ。

NASDAQが800の頃は、流石のアメリカも立ち直りには時間がかかるだろうし、日本のようにダラダラと株安の

時代が続くのだろうかと思わせた。だが、注視し続けていたNASDAQは1000から2000になり最近は以前のピ

ーク近い4800を目指すにまで回復しているし、株価もいつの間にか最高を更新し16,000US$になっている。

今の勢いなら4800を越え5000も夢ではない。

日本の株価は本物バブル時、38,000円だったものが7,000円台、今は14,000~15,000円をウロウロするまで回復

してきた。日米の国民の経済に関する考え方が違うから株価変動、推移にも大きな違いが出るのかは知らないが、

日本経済とアメリカ経済の差とは何なのか一言で説明して貰いたい。


『何を売るのか日本の電気メーカー』

2014年04月12日 18時29分08秒 | 日記

かつての日本は家電製品、自動車を主としてそれにまつわる素材、新開発された基本的な部品などを輸出していた。

各分野に於ける技術は他国を寄せ付けない先端技術を持ち、追従を許さないことを謳歌していた。電機メーカーは白

物家電から最先端技術を誇るコンピュータまで扱い、ネットワーク、プロバイダー、携帯電話など更に裾野は広がり、何

に力を入れ、どんな方向に向かおうとしているのか分からなくなった。

時が経つに連れて経済発展した国の白物家電やパソコンなどの普及率は高くなり、やがて頭打ちになると機能を高め

て価格を上げるか、リプレース・マーケットでしかないから大きな魅力はなくなる。ならばと、発展途上国に輸出しようとす

れば発展途上国には高過ぎて普及には至らない。そのままだと白物家電は衰退してしまうことになる。

そこで発展途上国に普及させるため発展途上国に技術移転して精算・販売すれば低価格の製品が出来るから商売と

して成り立つ。白物家電に端を発しパソコンですらIBMがPC部門を中国のレノボに売り渡してしまい、今やPCではかつ

てのIBMになろうとしている。これに関連してPC通信に関する機器、ネットワーク技術、携帯電話など広い分野で世界

進出を果たしている。

一方、日本は白物家電を始めPCでもあのソニーが撤退を決め、他社でもスマホも然り、プロバイダー経営からも撤退

のニュースが流れている。中国は生産して輸出して利益を上げている。日本は撤退を繰り返している。

更に中国はこれから手掛けていないものを生産、販売の沢山の可能性を持っている。

経営のスリム化は必要なものであろう。しかしメインとしてきたものからも撤退することは、売るものがない企業として残る

ことでもある。日本の電気メーカーに共通することだが現時点で、各企業が世界に名だたる製品を幾つ持っているのか、

考えてみても思いつくものがないのは寂しいことだ。それでも日本が強みとしているものはまだ沢山あり、暫くはそれで食

いつなぐことは出来そうである。

少し話が飛躍するが、こんな国力低下とも言える状況が続けば、食料の50%近くを外国から輸入している日本は、ガソリン

が高騰してきたと言っている内に、食料品も途轍もない価格の時代を迎えることになるかもしれない。

基礎技術の研究に国が本気でテコ入れしないと、Japan as No.1はお伽話のような古い昔話になってしまいそうだ。


『ホタルイカの塩辛』

2014年04月11日 18時35分40秒 | 日記

春の到来を告げる富山湾風物詩、ホタルイカの話題を聞いた。先日、スーパーに行って見たらホタルイカが売られ

ていたので何処の産地かラベルを見ると境港産とあった。捕った場所のことを言うのか水揚げしてトレイに詰めた

場所を産地にしているのか不明だが、ホタルイカは日本の大抵の所で捕れるから境港でもおかしくはない。

天橋立に出かけた際に立ち寄った土産物屋でホタルイカの塩辛を売っていたが、其処では買わず後で買おうと思っ

ていたら残念なことに巡り合わず。それから出かける度に探してみるがお目にかかったことはない。それならばと

言う訳で自作を思いついたものの、その機会を逃し続け今回の挑戦とあいなった。

イカの塩辛と同じだろうと軽く考え、念のためにネットで調べて手順の確認をする。すると意外な事が書かれてい

た。ホタルイカの内臓には旋尾線虫幼虫がいるので注意を要する、2時間ほど冷凍庫に入れた後で塩辛にして食べ

たとか、要は自己責任で作成、食すというものだ。イカにも同様のものがいて目視、除去または一度冷凍後に回答

して刺身にする。今まで冷凍しないで刺身を食べても虫にやられたことはないから、かなり高い確率で気にしなく

てもいいだろうと、無理やり思い込ませてホタルイカの塩辛つくりを始め2本の瓶に分け入れた。

ネットのレシピでは控えめの塩加減で本体の7~8%とあるが既製品の塩辛を調べてみると17%とかなり高めだ。

私は間の10%くらいにしてみた。旨くするコツは毎日、入念にかき混ぜる事、3日くらい過ぎたら酒か味醂を入れ

る。最初から入れると熟成が促進されないのだそうだ。

3日経ってみると、色もいい具合になってきたが1本目の瓶は濁りが出たような感じなので、笊で水をこして再度

瓶に戻してみた。どうも、虫のことが気になって仕方がないのでネットで調べてみると、とんでもない通達に行き

ついてしまった。厚生省からホタルイカ生食に関するもので、ホタルイカの生食は駄目だと言うもの。

塩辛にしても幼虫は死なないというものだ。作りかけて、いい具合になりそうだが幼虫の有無を確認しようもない

ことから、勿体ないが捨てるのか、他人は作ったものを食べて平気だと言っている人もいる。

多分大丈夫だと思うが400円ほどのホタルイカに拘り、万が一の方に転げ落ちたらえらいことになるから、桃屋の

いかの塩辛で我慢するか。

 


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