本日は来客があり準備等々で多忙につき休業。
先日、この10月で5年を経過する同じがん患者の人との話。前回の診察で9月が最後の診察だと言われたが、私
にもそう言われたのかと問われた。この人より私の方が少し早く手術をしているが、これまでの診察でCT撮影を
予定より早めたりしたため、検診サイクルが変わり、私の方が後になってしまった。
私は9月11日の予定だが前回の診察時に『もう5年になりますね』とは言われたものの、次回が最後の診察にな
ると何も言われなかった。
5年経過すれば再発の可能性は低くなるから治療の一応の通過点として、医者の治療は必要ないとみなされる。必
要のない医療行為を継続することになるともみなすことが出来る。しかし患者にすれば完治したとお墨付きが頂け
ないと『たまたま5年間再発しなかっただけでは・・・』と非常に不安になる。
この辺りは保険の仕組みなのか病院の方針なのか知らないが年に1回でも定期健診的なチェックをして貰う事がで
きれば安心できる。私の場合、腫瘍マーカーSCCが誤差の範疇ではないかと言われながら何度も基準値を超えるこ
とがあった。何も加療しなくてもまた正常値に戻るから誤差の範疇は正しいとは思うが、そうした事も含めて現体
制下でのチェックの道が残ればいいと願っている。
完解で目出度いではないか・・・・・それはそうだが・・・・
中国電力島根原発の安全対策として『フィルター付きベント』なるものを取りつける工事が2号機で行われた。稼
働40年を経過する1号機は『廃炉』も視野に入れて今後どうするかということもあり工事をされない。また新設
稼働前に全原発の稼働停止になった3号機は今、設置の工事が行われている。
ニュースがこんな調子で流されると、ついつい『フィルターが付けられ安全になる』と思ってしまうが、本当は
それまでが無茶苦茶に危険な状態にあった、と言える。3.11福島原発で大騒ぎした時にもベントの言葉が何度も出
てきたが、大半の国民は理解しないまま成り行きを注視していたと思う。ベントはさらりと説明されるが『炉内の
圧力が下げられなくなった時、その圧力を外気に逃がす』もので、炉内に核物質があれば外気に出て核物質汚染を
引き起こす。フィルター・ベントは外気に出す前に核物質を取り除くフィルターを通す装置のこと。取り除くと言
っても100%ではないのではないかと思うが・・・・
外国の原発ではこの方式が標準になっていると何かの記事で見たが実際のことはわからない。
福島原発で3.11によるトラブル時、ベントを実施している。ベントを実施することは炉内から放射性物質も放出す
ることだから近くにいた作業員は量の多少にかかわらず被ばくする。という事は近隣住民も同時に被ばくするシス
テムになっている。国や電力会社の『安全』なんてものは最初から大嘘で、万が一ベントを実施することになった
ら『放射線汚染』が始まり近くにいる人は被ばくする事が分かっているのに『フィルター』の設置をケチっていた
のだ。日本の原発のスタンダードは『フィルターなしベント』、嘘がばれたから急にこんな対策をとれば安全になる
など付け加えただけのことに過ぎない。
原発の近くに住んでいて、再稼働後に事故が起こったら文句を言う人は今から言っておいた方がいい。国や電力会
社の言う事を信用していない人は『腹を据えて逃げる覚悟』をしておくべし。
既に原発が存在する以上、稼働しようが停止していようが危険度に差はない。だから私は後者派、稼働したければ
『どうぞ』
例年なら未だ残暑に泣かされている頃なのに、ここの処は天候不順で暑いと言うより涼しいと勘違いさせられるよ
うだ。夏野菜のキュウリは早々と終わってしまった。トマトは雨避けをしているが雨の精で裂果を招きコバエの餌
食になっている。それでもピーマン、茄子、オクラ、モロヘイヤなどは天候不順にも負けず元気を保っている。
後から植えた西瓜は未だ枯れずに大きな実が3つ残っているが、余り暑くないから食べるペースが遅く棚落ちの傾
向にある。畑の半分くらいは片つけているが雨続きで耕運機を入れることが出来ず天気待ち。
早く畑を耕して冬野菜の準備をしなくては、と気が競れるものの天気ばかりはどうしようもない。
今日も朝は雨がぱらついていたが左程のことはなかった。さて、今日の作業は・・・・・と思案していたら知人の
PCが動かなくなったとヘルプの要請。さしあたって急ぐ用もなかったから出かけてみる。
電源を入れると暫くしてからピーと音がして、画面には何も表示しない。DVDのランプが少し点滅してから消え
る。たったこれだけの情報しかない。DVDをejectするがウンともスンとも言わずトレーも開かない。
何かの加減でDVDからboot使用している?
マニュアルを読むと針金を突っ込むと強制ejectできるとあったので、やってみるとトレーが開き中にはディスク
があった。外して電源オン、やっぱり駄目。
セーフティー・モードで立ち上がればと思うが立ち上げ時に出るメーカーのロゴを出す所までも進んでいないから
HDDかマザーボードでも故障しているのではないかと疑う。手の尽くしようが無いので修理にと助言。システム
はvistaを使っている古い機種だから買い替える、と言い出した。問題はデータのバックアップなど何も取ってい
ないが必要なファイルが幾つかあると言う。それならばHDDを外して別のPCに繋いで良否を判定することにし
た。ところが簡単にカバーが外れる代物ではない。HDDを外すために最悪の場合、外の処は壊してもいいとのこ
とになったから我が家に持ち帰りじっくりと料理をする。HDDを外しSATA-USBケーブルで我が家のPCに接
続してみると正常に動作する。こうなればデータの確保は出来たから新しいPCの購入後に回復作業が可能になる。
新しいPC候補は地元の量販店とネット店では最大で20,000円以上の開きがあった。このネタを持って行き幾ら値
切れるか、いざ勝負・・・・・
午後はハウスで冬野菜の種をポットに蒔き苗作りを始めた。やはり暑くはない。
世は消費時代に突入して故障しても高価な一部の物しか修理に出すなどという事はない。昔は月給が少なかったか
ら持ち物も比例していた。高価なものは今で言うローンなんて洒落たものではなく月賦という現金分割払いで1万
円のものでも10ヵ月に分割、月1,000円を店に支払いに行ったものだ。
そういう時代だから買った物が故障したりすると出来る限り自分で修理しようと努力した。私はコンピュータのハ
ードの仕事だから弱電関係のことは得意とまでいかなくても、大抵のことは何とかしようと向かうことは出来た。
故障個所を探し出せたら部品を探し出し交換する。当時は下手の人でも半田付けが出来れば交換することはできた。
今は部品は小型化し半導体が使われているから熱、静電気、半田こての漏電等々の問題があり、素人が簡単に交換
することは出来なくなってきた。
そんな複雑な部品でなくても例えばイヤフォンのピンジャックの付け根の処はよく判断線して音楽を聴くのに不都
合を生じる。買ってそんなに使っていないのに、と愚痴を言いたくなることもある。こうしたものでも1,000円く
らいはする。昔なら当然の事、自分で簡単に修理することができた。しかし、現代は消費時代だからか、人間が不
器用になったのか、そういう知識がないのか理由は別として、修理という概念はなく新しいものの購入となる。
今、この近辺で電子部品を買う店が残っているのか知らないが、私はネットで購入する。部品単価より送料が高い
なんて事にならないよう、日ごろから必要なものをまとめておいて注文する。
イヤフォンの場合、ピンジャックは100円以下で買うことが出来る。線は右左用の細い線が2本、其々の線は中で
+極と-極があり、其々は細いガラス繊維のようなもので保護されているから、それをライターで焼いて綺麗にして
から半田付けをする。少しばかり面倒ではあるが難しい事ではない。
これはほんの一例だが、物事の本質を知らないで使う事ばかりに気を取られがちの時代、創造力低下につながりや
がては物作り日本の土台を揺るがすことになりはしないかと爺は憂いている。
世間では景気回復で給与やボーナスがアップしたからと景気のいい話が聞かれている。年金生活者気は政治
に翻弄されデフレ下でも選挙があるからマクロスライドの適用を先送りし選挙に勝って政党が安定したと思ったら、
寝首を掻くように『払いすぎた分を返せ』という。年金生活者は先送りしてくれなんて一言も頼んでいないのに、政
治屋の都合だけで勝手な振る舞いをしている。自民党は相変わらずで国民が何を望み、を嫌うのかに無関心の
ようだ。
4月、消費税が5%から8%に上げられた。数字的には3%の値上げでこの際とドサクサに紛れて商品本体の値上げ
を『便乗値上げ』という。ここのところ買い物をしていてやはり相当の便乗値上げがある。増税前に980円だったも
のがいつの間にか1180円になったり通販では5500円だったもの6500円、明らかに3%の増税分の値上げを大きく
逸脱している。
だから感覚的に、いままでの感覚では2000円くらいだと思ってレジに行くと、『2700円です』なんて言われるこ
とが当たり前になってきた。普段から物価を気にしない性分だが、ここのところの値上げは酷いと感じるようにな
っている。デフレだったから値段が低めに設定せざるを得なかったものを、それを元に戻しただけなら儲けを従業
員に還元するのも経営者の手腕だが、ここの処はどうも別腹らしく『内部留保』というせこい技を使う。
こうした状態に段々と慣らされて消費税10%の時代に突入していきそうだ。
私は物好きな性分だから時々、人がしないような事に没頭する。今回は4月頃、山陰中央新報に掲載された福島原
発事故の記録を小冊子にすることだった。記事は全4章、各章は13~18号で構成されている。
記事が出た時からスクラップにして残しておいたが4月20日から福島の三春町にある滝桜を観るため旅に出た間、
新聞を止めていたので、この期間が欠落していた。ただその間の1号分は福島の地方紙、福島民友に載っていたも
のを持ち帰っていた。新聞の切り抜きをスキャナーで取り込み、OCRソフトでワード文に変換する。
スキャン時に斜めになったりしたものを無理矢理、変換するものだから変換精度が落ち、誤変換となるものも多か
った。小冊子の作業は誤字を発見することに大半のパワーを裂かれた。
何度も読み返すが『重』『震』『車』のような文字は誤読されることが多いし、『吉』-→『古』、
『日』--→『口』、『11』--→『H』なども常習者のようにある。すべきことは決まっているから根性あるのみの
修正作業を終え、B5版88ページの小冊子が完成した。欠落していた記事は図書館に出かけ、該当のものをコピー
して全号が揃った。問題は中身であることは十分承知している。
私は常々、東京電力の姿勢を批判し続けているが、これは経営陣とか現場を知らず天下を取ったかのような顔して
いる管理部門の連中がターゲットだ。過去に不祥事を起こした日本の大企業の場合と同じ構造だ。この記事は現場
の人たちが命がけ、命を落とすかもしれない危険の中で危機回避に挑んだ。そうした生の証言を時系列にして構成
されている。
記事全般に当然の事として当時の吉田昌郎所長が登場する。現場の代表としてまた技術者として譲ってはいけない
ものを守り通す姿は、現場で苦労を共にする人たちの励みになったと思う。残念ながら食道がん、脳出血と大病を
患い58歳の若さで世を去った。もっと生きて原因究明、将来のために彼の立場から多くのノウハウを伝えて欲し
かった。国は調査で『吉田証言』を纏めているが吉田所長の希望で非公開としている。先日、これが一部マスコミ
に漏れ彼が一番恐れた『調書の一部が独り歩き』することが起きた。こうしたことで誤解が生じることを防ぐ必要
があるとのことで、近く公開されるようだ。
私たちは当時現場で起こったことを忘れてはならないし、何より現場で故郷を守ろうとしていた人たちの存在も忘
れてはならない。吉田調書が公開されればもっと詳しい内容を知ることが出来るかもしれない。
かれこれ4~5年になるのではないかと思うが孫たちが夏休みの間に出かけるのがぶどう狩り。近年は暑い夏のた
め、あの暑苦しいビニールハウスの中でぶどうを食べる気にならず、夏休みが終わって行ったこともある。今年は
思い付きが遅れたことで今日になった。
八雲町から国道432を通りひと山越えた広瀬町、山中鹿之助で有名な月山城跡の近くにあるブドウ園に向かう。車
で走って20分ほどの所で距離は大したことはないが急坂の登り下りの山道ドライブ。曇天で直射日光を受けない
から暑さからは解放される。夏休みはもう終盤だからかどうかは分からないがお客さんの出足は鈍く、子供連れの
グループは私たちだけだから貸切りのような状態。
様子を聞くとデラウェアは終盤、昨年よりも早く収穫を終えつつある、最盛期を迎えているのが安芸クイーン、巨
峰の大型ぶどう。慣れたブドウ園だから氷を用意して収穫したぶどうを洗ってから冷やして食べる寸法だ。
終盤と言われたデラではあるが私たちが食べるのには十分で粒の状態、味共に申し分はなかった。
一番人気は安芸クイーンで種無しで皮は薄く甘い食べ易い品種でお馴染みの巨峰よりも食が進む。
ぶどうを鱈腹食べることは余りないから、ここぞとばかりに食べるがある程度の量になると急に食欲が落ちてくる
が、これはぶどうだけの腹量だから何か別のものなら食べられそうな感じだ。
お爺,お婆から孫まで揃って食べても、ぶどう園のどの辺りを食べたの?と言う量にしかならない。私たちを楽し
ませてくれるぶどう園の管理は大変なものだろうと思う。聞けば今年は最初の花の時期に霜でやられ、長雨と余り
恵まれたコンディションではなかった。毎年、天候との睨めっこで何年やっても毎年が違うと言っておられた。
お腹いっぱい、美味しいぶどうを有難うございました・・・・・帰りの足でスーパーにより昼食を買い込み家に戻
ったら別腹の昼食となる。
安芸クイーン
巨峰
マスカットと間違えた熟れていない安芸クイーン、少し酸味がする
近年の災害に付き物は自治体の避難勧告、指示などのタイミングに関することだ。広島のケースでも、たった1時
間ほどで激変した状況の中で、避難所の準備が間に合うのか、どのタイミングで避難指示を出せばいいのか、出す
ことが有効なのか等々、自治体にだけ答えを求めるのは酷ではないかと思う。
昨年だったと思うが町長が出張中に災害が発生した時でも後ほど、喧々諤々の騒ぎになった。そもそも、マスコミ
が火をつけることになるのだが、こいつらは自分が検察官や裁判官になったかのような調子で犯人捜しのような真
似をする。町長が不在で災害を防げなかった特別の理由があれば別のことだが、連絡は携帯で直ぐに取れ下知を仰
ぐことは可能である。どのような状況であっても実務は現場の職員が実施するのであり、力持ちの町長が一人です
るのではない。怠慢であったり不誠実な行為の結果であれば当然の如く責め苦を負う。
それでは国や自治体は災害に対して民にどのような義務を負うのか。基本的には公共インフラで可能な限り安全を
確保することになろう。また台風のようにある程度、予測可能なものについては管轄省庁からその情報を迅速に発
することであり、衆知も大事なことになる。
それでは情報の受け手は自治体が避難勧告、指示したら大半が避難しているのか。現実には殆どが従っていない。
いつもの例だと数%なんてのはザラだ。避難しない民は何の非難も浴びなくて遅れた自治体だけが非難を受けるの
はどうかと私は思う。
多くの日本人は自己責任という言葉を忘れつつある。何かあると自分に非がないか見つめ直す前に、自分には責任
はなく自分以外のどこかにそれを求める傾向にある。
今後も災害はやってくる。そのパターンは千差万別で過去の例が役に立たない事が多くなってきた。被災者の言葉
の多くに共通する『この地に何十年住んでいるが、こんなこと初めて・・・』
自治体も、住民自身も判断するのに難しい状況になっている。だからこそ、知り得たの情報を最終判断するのはあ
くまでも自分自身であるいう気概なくして、自分の身は守れない。
その後も、そこらにあるPC周辺機器の接続テストをやってみた。HDDはデスクトップのHDDをハイブリッド
HDDに換装したものをUSB接続できるようにしてあるので、それを接続してみる。最初はUSBから電源を貰う
つもりでUSBケーブルのみを接続するが認識はして貰えなかった。当然だろうと電源を追加してみても知らん顔
をしている。雑誌でHDDの認識について2TBが境目で云々・・・・をチラッと思い出した。その詳しい訳は縷々
と説明されていたがよく覚えていない。ならば2TB以下ならいいだろうと250GBのものを接続する、bingo
きっちりと認識してR/Wも可能、どうも雑誌にあるようにこのタブレットには2TBの壁がある?
そして次にテストしたのがハンディースキャナー、スキャナー側はミニUSB、タブレットはマイクロUSBだから
例の変換ケーブルが活躍する。
スキャナーは電池内蔵だからUSB電源は不要、接続すると大容量記憶装置として難なく認識してくれた。勿論、
データのやり取りも問題なし。このタブレットでラップトップの代わりになるような事の目的はないから、繋がら
なくても不便さが増す訳ではない。興味津々の範疇の事。
山小屋で簡単資料の作成、旅先に持ち歩き出来事の備忘録程度また、ビデオやカメラ画像の一時保存が必要
になった時に使える・・・と思ったが、SDカードは容量増、安価になり32GBを数枚持っていれば事足りる。
準備したもの、流用品の活用などにより利用目的を越える機能を持っていることが分かり、これからボチボチと使
っていこうと思っている。
日本は自然災害の宝庫、即ち災害列島である。先日は台風で警戒していたと思ったら長雨あり、遂には広島安佐北
区、南区にゲリラ豪雨の牙が向けられた。災害と言えば私たち日本人にとって3.11の傷跡が未だ癒えない。その後
も大島の水害、京都などなど災害報道のない年などありえない。
ただ個人がそうした災害を何度も経験することは少ないから『ここに住んで何十年・・・はじめての・・・・』の
声ばかりを被災者は放つ。島根県では昭和48年(だった?)豪雨で松江市を中心に被害がでた。この頃、私は広島に
住んでいて米子に帰省していた。その帰り松江市経由で国道54号線を利用して三次市を目指した。松江市内を走
ったのではないが宍道湖岸の低い所では浸水の様子が見てとれた。三次市の入口に来て初めてこの雨の被害で一番
ひどい状況にあるのは三次市内であることだった。
市内は被害に遭って直ぐだから交通規制がかかり何時間待たされるか分からない。取り敢えず並んでみたものの子
供は未だ小さかったから一刻も早く三次市を迂回して・・・・と思い列を離れ地図を頼りに支線に入って見た。
山が流れ出した小岩や砂とともに水が流れる道を走ってみるが、陥没したところを避けながら進むと、そこは行き
止まり。山の斜面に立っている家の1階を土砂崩れが通り抜け柱だけが2階を支えている家が何軒か見えた。
色々と手を尽くしてみたがこういう時は幹線を通るのが王道、の結論に至り再び列の最後尾に並んだ。どれくらい
待ったのか記憶にないが、やっと市内に入ると家の2階まで水が行き電線に沢山のゴミが引っかかっていた。
雨が止み強烈な暑さが戻ってきたら濁流と汚泥にまみれている町は『強烈な悪臭』になってしまった。畳が泥まみ
れになり乾燥し始めるから藁の腐ったような臭いを放つ。通り抜けるのにクーラーのない車の窓を閉めて走らざる
を得なかった。私が直接被害に遭ってはいないが最初の水害被害の記憶。
次いで昭和58年島根県西部を襲った集中豪雨は島根県の人にとっては記憶に新しい部類に入ると思う。以後、県
西部は昨年にも水害はあったが幸いなことに前回のようなことはなかった。
あれから30年ほどになる。これまで習得してきたことに広島で検証されるであろう防災のために不足していたも
のを加え、一人ひとりが身に付け実践していくことが『我が身を守る』。
テストは出しにやっているからネタも同様になる。トラブル時に回復するリカバリーディスクはない。自分で回
復ツールをUSBに作成しておくとあるが容量については玉虫色で『パーティションのサイズ』とあるだけ。
全体で容量は65KB、使用容量は半分もいっていないので、ドンブリ勘定32GBのUSBメモリーを準備して『回復
ツール』を作ってみた。何てことはない9GBほどしか使わずに10分くらいで完成。
残りのエリアはバックアップファイル用に使えばいい。一応、用意はしておくが使わないで済むことを願う。
次に2,000円もしないで買うことが出来るDVDドライブを入手して接続テストをしてみた。問題はタブレットの
USBはマイクロB、DVDはミニBでこんなUSBケーブルは見たことない。本当?
ごちゃごちゃの箪笥、似たようなものは出てくるが見当たらない。ところが、マイクロBオスとAタイプメスとい
う世にも不思議なものが現れた。これを使ってDVDはミニB-àUSB Aメス-àUSB Aオス--->USBハブ--->USB A
メス--->てなことで色々と組み合わせタブレットに接続してみた。認識をしているようだがエクスプローラ画面に
DVDは出てこない。デバイスマネージャーでドライバーをチェックすると大容量記憶装置しか認識せず動いては
いないようだ。USBバスから電流不足だろうとUSBハブに充電器からのケーブルを接続してみたら、動作可能に
なった。よくあるケースだ。この分だとHDDも同様の接続をしてやれば使えるようになると思われる。
その後、USB変換ケーブルを探してみたらサンワサプライからmicroUSB Bコネクタ オスーUSB Aコネクタ メ
スという便利なものがあるのを突き止めた。これがあれば簡単にどんな機器でも接続が可能になりそうだ。
明治後半生まれ私の父は文章や絵を書くのが好きで自分の文章が活字化されることに大きな喜びを感じていた。自
分の文章を何らかの形で活字化できる時代が来れば、どんなに素晴らしい事だろうと、現代のグーテンベルクが現
れるのを待ち望んでいたに違いない。アルファベットならタイプライターがあり、少し高いが手に入らない事はなくても
漢字となれば個人が持つことなど不可能。
下半身不随になり寝たきりになってからも思い出話、川柳、俳句、投稿記事など文字との付合いが人生となった。
新聞投稿が時折採用され記事になると喜び、再び投稿への活力としていた。その頃、時代は進化しワープロが普及
し始めていた。父は小冊子を自費出版すると言い出し、その原稿作りに精を出していた。原稿作り、印刷、製本の
3段階ある作業のうち、原稿をワープロで作るだけでもコストダウンできると聞き、私が手助けした。
簡単に活字化できるから、それだけでも父は大層喜んでいた。未だ画像と文字を自由自在に混在編集できるもので
はなかった。以後、ワープロは進化していったが、やがてPCに取って代わられてしまった。
PCがいくら進化したと言っても文章の編集はワープロのものだと今でも思う。
PCが普及してワープロ機能は描画ソフトとの融合そして画像ともドッキング、何でも組み合わせることが可能に
なった。あれほどまで文章や絵などを自分で自由自在に編集を願っていた父に今のPCを見せたら腰を抜かすので
はないかと思う。文章に自分の描いた絵を入れたり写真を組み入れたりまた文字の大きさ色も変えられるなんて事
を知れば子供のように目を輝かすことは間違いなし。また、印刷にしても本を作るための工夫もあり、自作本も簡
単に叶う。寝たきりの人でもPCを操作をして作品を作り上げることが不可能ではない時代、父が存命ならどのよ
うな取り組み方をしていたのだろうか。
父が鉛筆1本で描いたジョン・レノン
実物はもっと繊細な線で描かれている。
タブレットはwindows8.1を搭載しているからデスクトップで出来ることはほぼ可能ではないかと、色々挑戦して
みた。マイクロSDスロットがあるのでデスクトップの使用SDカードをセットして中身をチェック、これは問題なく
参照できる。音楽をピックするとちゃんと演奏をする。しかし音源はダウンロードしたMPファイル。Windows
Media Playerへの登録なしの関係かどうか分からないがX-BOX とかがしゃしゃり出てこいつが仕切っている。
タブレットで音楽を聴くことはないから次へ。
簡単にshutdownできるようにショートカットを作ってやろうと頑張ってみたがコマンド”shutdown/s/to”のファイ
ルが見つからないと連れない返事で前に進めず。Windowsのverを調べてみるとどちらも同じverだがタブレット
では軽量なシステムに換えられているのかしれない。Shutdownの簡易化は有効なので期待していたのにがっかり。
MicrosoftはWindows版タブレットの普及を狙ってタブレットメーカーにWindows BingというOSの無料提供を
始め、東芝など一部のメーカーが発売を始めている。デスクトップ版と違いメモリー容量に制限があるからこうし
たものも含めてタブレットの機能少し縮小されているのだろうか?
私のようにただの興味本位でしか使わない者にはメーカーの動向などのニュースも見落としてしまいがちになっい
るから、いつも疑問に思う事ばかりだ。
普通、PCを買うとDVDやHDDの中にリカバリーディスクが準備されており、トラブル時はそれを伝手にとして
回復を試みる。ところがタブレットにはそうしたものが何もない。Windowsの機能を使った回復が唯一のようだか
ら、USBメモリーを準備して回復ツールなどを作っておかないと、酷い目に遭いそうだ。
昨日テストして故障が判明したUSB接続のBD/DVDがあればフリーソフトでwinがダメでもDVDから立ち上げ
られるツールを用意してテスト出来たのだが・・・これも少し考えてみる必要がある。
説明に脈略はないが、外付けでワンセグが観られるチューナーのテスト、Winのストアから無料ソフトをダウンロ
ードし室内でチャンネルスキャンをさせたら、教育TV以外は受信でき登録された。これもまた機能として使う事
は0に近い確率だと思う。未だテストしていないのがUSB接続でHDDが動作するのか、startコマンドが使える
のかなど残っているが、いずれも必須ではないから、それよりももっと慣れることの方が大切のようだ。
Androidは中途半端な理解しかしなかったから孫たちのゲーム機に成り下がってしまったが、こちらはWindows
であることから使い勝手はいい。しかし世の中はAndroidが幅を効かしているから全く無視して避けては通れない
ことがあるかもしれないと多少の心配はしている。
遂に決心してWindows版のタブレット端末を購入した。初回限定版というバージョンにはワンセグを観ることが
出来るチューナー付きのもの。電源を入れ設定を始めていくが8インチの大きさは本格的に使おうとすると小さく
タッチ画面で操作しようとすると、とても面倒でイライラしてくる。
設定自体は悩むことはなく無線LANの設定は何もしなくても直ぐにネットは接続出来た。そしてoffice2013のイ
ンストールをしてみるとWord/Excel/Power Point/One noteなどがAPPのタイルに連ねていた。どんなものかと
開いてみると私が使っている2010と少し違いはあるようだが根本的には変わっていないだろうからと先を急ぐ。
このPCにはスタイラスペンがついており手書き入力に対応している。パワポを開いてペン書きをしてみる。
普通のスピードで書くと少し遅れた感じになるが、汚い字は汚いなりに美しく書けば美しい字が書ける。もし、私
に絵心があれば何処かに出かけた時、これでスケッチでも描けばどんなに楽しい事か。残念ながら父のように絵を
描くことは出来ないからメモでも・・・・
ソフトキーボードを使い日本語入力してみようとするとローマ字入力が設定されていた。若い人たちを中心にロー
マ字の入力が主流のようだから致し方ないこと、しょぼしょぼと変更。
文字入力、カーソルの位置づけをタッチでやるとやはり面倒、これは敵わんと以前Android端末の為に購入してい
たbluetoothのキーボードをペアリングさせてみると難なく接続完了、これで入力の手間は大幅に改善。次はどう
してもマウスを使えるようにしたいと電気店に足を運ぶ。Bluetoothのマウスはネットより少し高いが直に手に入
るから2,000円を奮発する。何がどう動いているのか実感できないままにマウスのペアリングもあっけなく終わる。
キーボードとマウスがあればラップより少し不便くらいで十分に用を為す。
タブレットで作ったドキュメントをプリンターに出力する事はないが、それでも接続しておこうとトライするがウ
ンともスンとも言わない。これはどうでもいいことと別の事をしていたらチャームの、設定、PC設定の変更、デ
バイスとコンテンツの検索を調べよ、とのことだった。
ご指摘のようにこの項目がオフになっていた。オンに変更してプリンターの追加作業も滞りなく終え、細かい所を
残して設定を終えた。これから使うことに慣れていけば快適になるに違いないと思っている。
これとは別に以前、購入していた小型の外付けBD/DVDが動くのかテストしてみると、電源オンして1分くらい
で電源がオフになってしまう。何度やっても同じこと、つまり故障していたのだ。数回しか使っていないのに何と
運の悪い事と・・・これは本格的に諦め。
大きなトラブルもなく何となく使えるようになったから、まず慣れること。旅先などでは最低の機能があればいい
からキーボードやマウスは諦めて、ゆっくりモードで使えばいいと思っている。
仕様では400gくらいの重さ、性能は全くと言っていいほど違うのsurface pro3を持った時の感じでは圧倒的に重
く、手に持って操作するタブレットとは言えないものだったから住み分けと思えばいい。と言い聞かせつつ未だ
surfaceへの未練は残っている。