食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『ヨーロッパ3か国の旅、こぼれ話Ⅰ』

2013年04月30日 17時35分26秒 | 旅行

『届けられた落し物』

添乗員つきのツアーであろうが現地合流のガイドにしても、先述のパスポート保管に

関する注意事項と共に『落し物をしたら絶対に帰ってこない。日本のように戻ってくる

ことはあり得ないから、合わせて注意して』これもガイドさんたちが云い飽きるほど言い、

私たちは聞き飽きるほど聞いている。然るに、パスポート同様うっかりなのかボケなのか

は別にして、落し物は続発しているようだ。

私たちも移動の途中に何度も言われた。バスや運転手さんは労働規約上の問題で,

たちから見れば、しょっちゅう変わる。また国境を跨いでしまうこともあるから『こうし

たバスの中で落し物をしても、バスはどこかに移動してしまっていて別のお客さんを

乗せているから、絶対に出てきません』

日本の感覚だと利用したバスが分かるから運転手に言えば直ぐに探してくれる、と

思ってしまうのだが。同じグループの人が買ったばかりのデジカメを紛失してしまっ

た。私たちは、そんなことがあったなんて知らなかったが、翌日になって『奇跡的に落

としたカメラが出てきて、親切にも運転手さんが届けてくれました。』とガイドさんの報

告があった。

色々といい条件が重なり落とし主にはラッキーに尽きる結果となり、私たちも心温まる

為に感謝の拍手をした。ガイドさんは幾らかのお金で謝意を表したらとアドバイスし

ておられた。いつぞやテレビで放送していた番組の一場面、外国人がタクシーの中

に落し物をしたのに気づき警察に届けた。自国で落し物が戻って来ることはないのに

日本では戻ると思ったのだろうか。そこは流石、Japanだ。タクシーの運転手さんが警察

に届け、落とし主の外人さんに戻った話をしていた。嬉しいを通り越して、日本人の行

為に感動したと言っていた。だから、落し物に関して日本人の感性は外国諸国とは全

違うということだろう。落し物は時代の転移と共に変わっているだろうが、最近は携帯

話の忘れ物、落し物が非常に多くなっている。

便利で重宝な携帯電話は私の自由を著しく束縛するから大嫌いで、退職してからその

自由を謳歌しているのだ。そんな私とは対照的に携帯命の人たちは、ゆっくりのんびり

するために海外に来ているのだろうに、何の為に携帯電話が必要なんだろうと思うほど

だ。上海で欠航になり予約していた宿のキャンセルで電話が必要、家に連絡しなけれ

ば、などの為なら昼間に持ち歩くこともなかろうにと要らぬお節介。ガイドさんの話ではホ

テルに携帯を忘れる人が多く、後から日本に返送してもらう手続きやコストは馬鹿になら

ないとの説明があった。以前の旅行中に韓国では帰国のため空港に向かっている時、

ホテルに忘れたことを気付き後戻りの時間がない人、トルコではホテルをチェックアウト

してバスで2~3分移動した所で気づき事なきを得た人がいた。だから海外で携帯の忘

れはかなり高い確率で起きているのではなかろうかと思う。

落し物、忘れ物、注意しているはずなんだがなー。

『どこで落としたんですか?』

『そんなこと聞くな、分かってりゃ拾いに行く』


『筍のシーズン』

2013年04月29日 17時59分41秒 | 旅行

春爛漫になり、山では筍のシーズンが幕開けをした。筍にも裏年があるそうで、昨

年はそれに当たっていたから、例年よりは貴重品扱いされていた。筍に限らず作

物なるものの成長は一時に集中する。だから貰い物をするようになると、あちこちか

ら頂くことになり、時にはお断りすることもある。メニューは煮物、和え物、汁の具と

ポピュラーなものから少し凝ったものとして、刺身、ホイル包み焼きなども楽しめる。

美味しく食べるためには筍を掘ってから15分以内とか30分以内に茹でること、と凝

り性の人は口説く説明する。これは本当らしく料理に詳しい人からもこのような事を

教えられたことがある。筍は竹林にゴロゴロと生えているが、本当は未だ頭の出て

いないものがベストで名人にならない簡単には探せない。足の裏に筍の頭が当た

る感覚で分かるらしい。筍掘りの名人より上手なのがイノシシだ。

彼らの臭覚は凄いもので土の表面を嗅いだだけで土中の小さな筍を見つけ出す。

そして器用に鼻と足を使い目的の筍をゲットする。未だ土中で皮も白く人間が食

べたら本当に美味なのか否かは分からない。私が狩猟をしていた頃、1月の半ば

くらいになると竹林ではイノシシが掘り起し食べたのを何度も見たことがある。

だから、ウカウカしているとイノシシに先を越されて、イノシシのおこぼれを頂く本

末転倒になってしまうこともあるだから今の時期は竹林に行って見ればイノシシ

の動向を知ることが出来る。

山仕事を終えて帰ろうとしたら工事中で回り道を余儀なくされ、う回路に入ったら声

を掛けられ止まってみると、筍を始末しているから要らないかということだった。

筍が生え過ぎると竹が密集してしまうから、大きくならない内に始末しなければなら

ず、うっかりすると雨後の筍の言葉の意味通りの結末になってしまう。

今日の夕食は掘ったばかりの筍を頂くプチ贅沢をさせて貰う。


『海外のトイレ事情』

2013年04月27日 21時18分10秒 | 旅行

旅行する際、一番気になるのは治安状況だとか経済状況などは別として、その国

のトイレ事情を知りたい。日本のことを基準にしていると余りの違いに戸惑い、受け

入れ難いとトイレに行くこと自体が憂鬱になるからだ。

それは韓国旅行で初めて受けた洗礼、トイレに紙を流さない。使用済みのトイレット

ペーパーすら流すのはご法度で、便座の横に置かれているごみ箱の中に捨てるの

だと、ガイドさんからくどいように注意を受けた。ホテル以外の公衆トイレでも同様、

ごみ箱設置のトイレは紙を流してはならないと。

最初に泊まったホテルはソウル市郊外にあるスタンダードクラスだったから、昔風の

水洗設備で下水管の径が細いから詰まり易く、場合によっては損害賠償の対象に

なりうる等と脅かされた。しかし同じ韓国であっても明洞地区のスーペリアクラス以

になると日本のトイレのように流すことができる。

私は使用後のトイレットペーパーを折りたたみゴミ箱に捨てる、この作業に抵抗感

あり出来れば勘弁して欲しい。誰でもそうだろうが・・・

そして分かったことは海外でもスタンダードクラスのホテルだと、紙を流すことはご法

度がある。クラスが上になるほど辛い義務から解放される。

日本のトイレは世界一といってもいいのではないかと思う。家庭ではもちろんのこと

共施設内はもとより場所によっては公衆トイレでもウォシュレットを備えているもの

もある。海外でも最近建てられたお高いホテルには設置されているが、ないホテル

の方が一般的だ。今回、回ったドイツとスイスのホテルはスタンダードでも、まさかご

み箱設置ではあるまいなと思っていたらガイドさんのご説明あり。いずれのホテルも観

光地近くとはいえ田舎町のものだから下水施設などは古いものだと思われる。日本

では有料のトイレは非常に稀だが海外では水と同様に有料が多い。大きな収入に

はならないかもしれないが、それぞれ管理人がいるから小さな雇用に貢献している

のも事実だ。

変わり種はバンコクの有名な商用施設内のトイレに有料のものがある。どこの国で

もこした場所にはトイレは当たり前に設置されているが、特化させて作られたとは

思えないのに数バーツ必要だった(無料トイレが別にあるのかは不明)。最も印象の

強いトイレは妻のレポート。中国ではトイレをしながら隣の人と大きな声

で喋りながら用を足しているとのこと。ガイドさんの説明では『日本では個室になっ

ているが仕切りの壁だけのところもある。値段の高いトイレは顔が見えないような壁

で下は丸見え、値段の安いトイレは逆に顔は見えるが下は見えない』そんなトイレ

もある。外国人は身長が高いから男子トイレでは便器の高さが、私から見れば以上

に高い。足の長さ・・・・・こればかりは如何せん・・・・子供用にスライドせざるを得な

い。手術をして食道、胃の一部を失ったことによる消化機能の欠如はトイレ事情に

も影響を与えているからと、以前より気にしているが、幸い自分でコントロールでき

る状態だから実態としての不便さはない。

体調という点から考えれば健常な人であっても、不調であればいつトイレを催すか

は分からないからあまり神経質になる必要はないと言い聞かせるようにしている。

いずれにしても、トイレは重要なことだ。身体から排出命令が出されれば、場所や

時をかまわず催促の嵐を受け、我慢にもいずれ限界がやってくることは明白なの

だ。『あの時は危機一髪だったなー』と笑い話で終わらせたいものだ。


『ヨーロッパ3か国の旅、焼きそばUFO上海版』

2013年04月26日 18時31分50秒 | 旅行

仕方なしに泊まることになった上海、夜にひもじい思いをするかもしれないとUFO

とカップ麺を買っていた。ホテルで食事は出たが、夜遅くなってから少しだけの味

見を思いつき湯を沸かしてUFOを作ってみた。日清食品のものだから味に大きな

違いは無かろうと思っていたら、日本の味と全く別物だ。

日本だとソース味なのに、甘口の甜麺醤風の味がして焼きそばとして認識できない

のである。目は焼きそば、脳は別物として認識。

郷に入れば郷に従え、中国で売るには中国の人の舌に合う味付けが必要になる。

考えてみれば当たり前のことだった。余りの違いと、そんなに腹が減っていたのでは

なかったから大半は廃棄処分という結末になった。

これは経験できない事と妻に食べてみるかと聞くも『そんなに不味いなら要らない』と

言うから『2度とお目にかかれない味だ』に対しても心動かず。

今度シンガポールかどこかに行った時、日本のカップ麺があったら是非とも試食して、

どんな味か調査してみたい。上海のコンビニで売られていたカップ麺は中国産か韓国

産か見なかったが、全て『辛』『大辛』の文字が飛び交い、中国でも激辛ブームらしい。

こちらの味は『辛』がベースだろうから味に大きな変化はないのではないかと思われる。

東南アジアのコンビニでASAHIビールは現地ビールの3~4倍の値段で大きな顔をして

売られている。ビールは国によって味の変化は不要らしく、ベトナムであろうがタイであろ

うが同じ味だった。


『路端の花を求めて』

2013年04月26日 18時27分33秒 | 旅行

昨日のことになるが、いい天気に恵まれ朝から軽い草取りをしていた。以前に抜い

て片付けた場所に見慣れない花が咲いていた。ブロッコリーのような茎に見えるが

葉が違う、何かと引っ張り出して見たら『赤大根』の花だった。

普通の大根は白い可愛らしい花が咲くから大根の類ではないし、茎や葉は大根の

ようではない。どうも赤大根なるものは品種改良されたものではなかろうか思う。

これはと、パチリ。ついでに当たりを見回すと以前より少し季節に色が付いてきてい

たので、天気もいいことだし自然に咲いているものを探してみようと、俄か写真家が

立ち上がった。今更、弁明することはないが花の種類や名前が分からないから、写

真にしても説明は不可能。

また、誰かのプランターから飛んできて道端で咲いた花なのか、自生のものかの区別

もつかない。兎に角、路端で見つけたものを撮りまくった花の写真。

こうして見ると沢山の種類があるもんだと感心させらる。もし名前や種類が分かってい

れば写真を撮るにも、もっと興が湧くと思う。ついでには、ついでがある。木にも花がつ

いているからと木に咲く花も、足を延ばして我が家の山に登り尾根筋の木にも花を求め

た。尾根の直ぐ下に良質の蕨(わらび)が生える。そこを覗いてみたら時遅く半分くらい

のものに穂がついて食には適さない状態だった。やはり、今年の季節の移ろいは例年

よりも早いようだ。

ぶらり路端の小花集

野木に咲く花探し


『ヨーロッパ3か国の旅、お土産の一部』

2013年04月24日 21時22分53秒 | 旅行

『お土産やブランド品を買うために来たのではない』これが旅先での台詞、しかし

折角来たのだから、何か記念になるものでも買っておこうということになる。

名物に旨い物なしという風に、いずれの名物も言われるほど大したものはない。

いつもそうだが、これと紹介するようなものはなく、バラマキの類のものを沢山お持

ち帰りした。既に配ってしまっていた為、我が家の残っていたものだけだが、それ

でも今までにない程の数だ。値段は3個で10€程度のもので、高い方のエスカルゴ

が18€だから土産としては相対的に安いものばかり。

 

           オーストリアのモーツアルト・チョコレート

           ハイデルベルグの磁石物

           merciなのに何故かドイツのチョコ

             ローテンブルクのスノーボール

            ローテンブルクの回り灯籠

         スイスのチョコ、これは美味しかった

                 ルーブルの爪研ぎ

              モンサンミッシェルノクッキー

                       飾り物

                       磁石物

 ハーブ入りとパプリカ入りの塩

 

                    Maximのチョコ

                        エスカルゴ

 


『ヨーロッパ3か国の旅、上海でまさかの欠航Ⅱ』

2013年04月24日 17時46分43秒 | 旅行

欠航騒ぎをよく考えてみると、どうも話が出来過ぎている。欠航になる前、何故あん

なに早く全員に弁当が準備できたのだろうか。あの便の客数は3~400人はいたと

思うが弁当は外国の人だけだったのか不明だが、『遅延』になって僅か30分ほどで

弁当が配られるのはおかしい。『遅延』と知らせる以前に欠航は決まっており、弁当、

バス、ホテルの手配は完了していたのではないかと思われる。余りにも手際が良す

ぎるからだ。

もし本当の遅延なら未だ30分ほどしか経っていないのに弁当など配るはずはない。

以前、この空港で同じように岡山に帰る際『岡山の天候チェックのため遅延』となり、

1時間以上待たされことがある。その時は朝8時くらいだったが、弁当のベの字出て

こなかった。国内でも何処でも30分ほどの遅延で弁当は絶対ありえない。

旅先であろうが、家であろうが朝起きるのに目覚ましがなくても絶対に大丈夫とは言

い切れないが、今までに失態をしでかしたことはない。つまり間違いなく起きることが

できていたから、高い確率で『目覚ましがなくてもOK』明日は午前4時に起きれば4

時30分の朝食も食べられる・・・・でも朝4時30分から中華の朝食なんて要らないなと

言いつつおやすみ。朝の驚きは時計の示す5時10分という恐怖の時間、集合時刻5

時を過ぎている。あり得ないことが起こったと妻を起こし、慌てて着替えを始めようとし

た私に『4時だよ』・・・・・・

時計を日本時間に戻していた為、1時間遅れた時刻を示していたのだ。ビックリ仰天

だったが、それでもゆっくりできる時間ではなく、急いで準備を終え朝食会場に行っ

て見た。早い人はもう食べ始めており私たちも遅ればせながら、中華の朝食を頂いた。

可粥なんかも用意されており品数は豊富だが、お味は可もなく不可もなく。大慌ての

起床だったが、やはり目覚ましがなくても大きな失態ではなかった。

昨晩、通ってきたところを空港方面に戻る。ホテルを出て暫く走ると畑やら農家らしき

ものがあり、遠くに空港が見えやはりホテルから20~30分だった。今度こそは岡山に向

けて飛び立ってくれよとお願いする。チェックインカウンターに未だ係員が来ておらず

昨日、欠航で岡山行きに乗れなかった人が長い列を作っていた。こうしてみるとこの便

のお客で3~400人くらいだろう。

ここでは昨日まで有効のeチケットを示し新しいチケットを貰うことができる。荷物を預

け手荷物検査を通過し再び搭乗ゲートに足を進める。今度こそは間違いなく飛び立っ

たと思ったら、朝の機内食の配膳が始まった。食べて、寝不足を解消の人もあっという

間の飛行で岡山に無事、帰国。

同じグループだった人もばらけて、荷物を受け取る頃には別れの挨拶をする人もいな

くなってしまっていた。先を急ぐこともないからコーヒーでも飲んでと2階の食堂で寛い

でから『キャンセルした宿に寄って清算しておこう』となり急遽、苫田温泉、泉水に向か

うことにした。こうした時にもグーグル地図のアース、場所によってはストリートビューで

事前確認しているから、初めてなのに前来たことがあるような感覚になる。空港から旅

館まで30分弱だったと思う。フロントに入り、昨日の欠航で予約を当日キャンセル、その

清算に来たと説明すると、責任者の人と相談しに奥の方に行って暫くすると『事情が事

情なのでキャンセル料は結構です』と思いもしない返答に『当日のキャンセルなんで・・』

と言うが返答は同じだった。

こういう関係は『三方一両損』で痛み分けするとすっきりするのが日本人的な考えだが、

今回は航空会社の負担で宿泊、泉水は一泊朝食付きのキャンセルから私が泉水に

キャンセル料を支払えば『三方一両損』が成り立つではないか。

私たちは上海のホテルに泊まったが料金負担はなかったから、ここの旅館のキャンセル

料が要らないとなれば、やはり欠航騒ぎで『キャンセル料は結構』と言われ一番儲けた

のは私たちということになる。

『今回はこうなりましたが、次回は必ず利用させて頂きます』と丁重な物言いをして、約1

週間ぶりの自宅へとハンドルを切り帰る道すがらは桜の花で飾られており、春は桜、桜

は日本、やはり一番いい国は日本だ。


『増え続ける福島原発の汚染水』

2013年04月24日 17時29分10秒 | 日記

 あの忌まわしい原発事故から2年経っても今だ深刻な状態が続いているのに被害

を受けた人たちを除けば、一体どのくらいの人が福島の惨状を注視し続けているの

だろうか。それなのに政治家も原発関連の利害者は何事もなかったかのように、安

全対策だの安全宣言だのと再稼働のムード作りに熱心だ。

事故の根本原因が分からないのに『新安全基準』なるものを作る、熟慮の末の想作

(想像して作り出すこと)により目くらまし作戦をとろうとしているから庶民の監視、注視

を怠ると直ぐに、その作戦が実行されてしまう。

2年経って、余計に深刻になってきたのが原子炉建屋に地下水が流れ込み、1日

400トンもの汚染水を増産している。こうした地下水の流入がなければ汚染物質を除

去し、再び冷却に使用することができ、この騒動は起こらないはずだった。これも地

震により建屋のどこかに異常が出たものなのか、原因は不明である。毎日、溜まり続

ける汚染水の置き場として地上タンクに加え地下タンクを作って運用したら1か月も

しない内に水漏れ騒ぎとなった。7か所中3か所から漏れているというから明らかに欠

陥である。東電はどこかのプラント屋と設計し作ったのだろうが、別の専門家は明確

な設計不良だと断言している。急いだこともあろう、検討不十分だったかもしれない、

と言いたいが『カエルの面にションベン』の東電だから今までの失敗や思慮不足の反

省をしていない、失敗は許されないと今まで以上に気を使うことができない体質

だから何回失敗しても恥じることもできないのだ。

汚染水は溜まり続けているから、地下であろうが地上であろうが東電敷地内で保管

しなければならない。地下水の流入が完全に食い止められるまでは1日400トンの水

が溜まり続けるから保管場所の確保が問題になってくる。うまくいけば地下タンクは

地上タンクより保管効率がいいから採用されたのであろうに、この方式を止めるから

保管方法を再検討しなければならなくなった。

このままだと必ず満杯になることは確実で原発敷地外での保管は免れない。原発の

再起動を望んでいる自治体があれば今、困っている原発を助ける意味からも積極的

に受け入れを検討して欲しいものだ。将来、同じ道を歩むかもしれないのだから。


『ヨーロッパ3か国の旅、上海でまさかの欠航』

2013年04月23日 18時28分51秒 | 旅行

しかし暫くしてから『香港から到着便が遅れていて、その機長が私たちの便に乗る

ことになっている。詳しいことは分からないが遅れている』と添乗員さん。

搭乗口の受付に行って見ると立札に『xx便航空制御』こんなようなことが書かれた

紙が貼られていた。それから30分もしない内に航空会社から弁当が配られたので、

頂くことにして開けてみると、炒めたセロリ、肉団子、ゆで卵に未だ少し温かいご飯

だった。味はお世辞にも美味しいと言えるものではなく、卵は塩ゆでされたものらし

く異常に塩辛く、ちびりちびりしか食べられないし、妙に固い代物だった。話では鶏

の卵ではなくアヒルらしかった。

それにしても一寸遅れるだけでこんな弁当が直ぐ出されるなんて、素晴らしいサー

ビスではなかろうか(本当はおかしいと思いつつ)。添乗員さんはこんな経験を沢山し

ているから『責任問題になるのを恐れて、原因を聞いても、きっと正しいことを言わな

い』と言っていた。人間は空腹になると些細な事でも腹を立てたり、納得しなかった

りするから、不味い弁当でも食べさせておけば、騒ぎは大きくならないだろうと、読ん

でこの差し入れなのか。私は大半を、他の人も多くを残した弁当を始末すると、いき

なり『欠航』の情報が飛び込んできた。寝耳に水、まさかの展開だ。

私たちは添乗員さんの指示に従うだけで何とかなるから、ここで欠航になっても痛くも

痒くもない。明日は日曜日だし皆さんもきっと休息日に当てているだろうから、欠航に

よる影響は小さいだろう勝手に想像していた。

私たちは今夜、岡山に宿を予約していたのでキャンセルしなければならないが、国際

電話できる携帯など持っていないし・・・・・これを聞いていたグループの人が携帯を貸

してくれたので岡山の宿に電話を入れ『上海で欠航になり今晩は帰れなくなった。キ

ャンセル料などの事はメールで知らせて欲しい』その旨を一方的に伝えた。先ほどの

弁当は殆ど食べていないから夜に腹が減るかもしれないと、コンビニに行き上海版U

FOとカップ麺を買い込んだ。そうこうする内に宿泊先が決まったのでと、空港会社職

員の案内でバス乗り場まで連れていかれた。形式上は入国になるのに入国手続きは

何もなし。いつもは訳の分からな基準でややこしい手続きがあったりするのに、この

国にスタンダードなるものは存在するのだろうか。何人が何台のバスでホテルに向かう

のかなんて何も分からず、ただ・只、添乗員さんについて行くだけ。空港の敷地は広

大だからそれに沿った道路を走っても未だ空港の敷地と思わせるほど広い。やがて農

地の中にポツンと農家らしい建屋があり薄暗い灯りがついているように見えるが周辺も

暗いのではっきりとした様子は分からない。空港を離れると暫くそうした場所を走り、少

し町らしい所に移動してきたから商店らしいものが未だ店を開けていた。

信号機のある通りに来ると、先ほどよりはもう少し町らしくなりビルのようなものも見える。

バズが止まった所は明るい照明のついたホテルのような建物だった。荷物を受け取り中

に入ると受付カウンターがあり、ホテルのようだが一見しただけでは普通のホテルのロビ

ーの雰囲気はない。中国で泊まるのは初めてのことだから、こうした感じが中国風なのか

どうかも不明だ。夕食が準備されているので2階に集合の案内があり各自、部屋に荷物

置いてから2階に行ってみるが食堂らしい場所は見当たらないから,1階まで降りてみ

ると他の人も迷っておりウロウロ、聞いてみるともっと奥の方の2階だと教えられ、歩くこと

3~4分、棟続きの別のビルのようだった。

レストランなのだろう、中華式の食卓があり料理が運ばれてきた。いつものパターンで次

々に料理が出され各自の取り皿に取って頂くものだ。格別に美味しい訳でもなく不味い

と言うものでもなく中国で食べる本場の中華は明らかに日本人の口には不満が残る味付

けだ。同じグループの人が『ビールは私がおごります』の言葉に甘えてゴチになる。

欠航騒ぎになり一番喜んでいるのは私だと言われてしまう。それもそのはず、仮に欠航

なければ岡山の宿で泊まるだけのこと、岡山で寝るか上海で寝るかの違いだから、そ

れなら今後も泊まる予定はない上海の方がいいと思っていたから。しかし明日の出発便

が8時になった為、このホテルの出発は午前5時と聞き、それならやはり岡山の宿の方が

良かったと心変わりする。

食事を早々に終え久々に肩までつかれる風呂に入ることが出来た。今回の旅行中で不

にして泊まることになった上海のホテルは一番設備の整ったものだった。風呂もトイレ

も綺麗で広くアメニティーも一応のものが揃えらていたし、TVは薄型、湯沸し、ドライヤ

ー、蔵庫なども完備していた。

 

                    黙々と弁当を食べる乗客

                           突然に配られた弁当

                            強制収容されたホテル

 


『間一髪だった鳥インフルエンザ騒ぎ』

2013年04月23日 18時26分48秒 | 日記

私たちが上海を出入りしたのは3/23と3/30~3/31の都合3日間。鳥インフルエンザ

H7N9は約3週間前から騒ぎになったから、私たちの帰国直前からのタイミングで、こ

の頃は未だPM2.5が主役だった。今や中国帰りはH7N9の疑いを掛けられる運命に

ある。どうも私たちは鶏インフルと縁があるらしく、前々回の上海でも騒ぎの時でサー

モカメラの下を通らされた。『オイオイ、逆じゃないか。日本から鶏インフルを運んで来

たのではなく、中国国内で流行っているのだぞ』と思いながら。

死者や患者数が変化していく内にあれほど騒いでいた日本の阿呆なマスコミはPM2.5

のことを忘れてしまい、一言も口にしなくなってしまった。全く日本のマスコミは鶏と同じ

だ。鶏は右を見て左を見る間に先ほどまで考えていたことを忘れる。これは今に始まっ

たことではないから驚かなくてもいいことだが。

前回は効果のある薬がなくパンデミックに発展したら世界的な発症となっても打つ手が

いと心配された。今回の症状にはタミフルが有効ということだから、怖いことには違い

いが、まだすがる藁がありそうだから少しは気が休まる。

PM2.5にしろこうしたウィルス、はたまた日本発の放射線汚染には国境はない。気象状

や自然界の普通の営みの中で拡散されてしまうから、国境がどうだの、領有権がど

うだのと騒ぐより、こうしたことへの協力した取り組みを論ずるべきだと思うが・・・・・歴史

が示すり人は進化しない生き物のようだ。


『ヨーロッパ3か国の旅、ドゴール空港出発』

2013年04月22日 18時47分15秒 | 旅行

ここが最後の観光地でだらだら坂を麓まで下りバスに乗り込む。ホテルに到着後、

横のカフェでコーヒーを飲みながらリラックスしていると疲れが出たのか、ソファー

で居眠りがついた。最後の昼食ということで同席の人とワインのお代わりをしたの

が、きつかったのかも知れない。これからドゴール空港に向けて出発、空港の免

税店で土産の仕上げとして、エスカルゴと煙草を買うことがパリ最後のタスクだ。

先述したようにエスカルゴは缶詰をゲットでき、更に土産用の手提げ袋に空きがあ

るからと有名なMaximのチョコも衝動買いの結果、この袋は随分と重い手荷物にな

ってしまった。ドゴール空港の警備は大変厳しく怪しい荷物と判断された場合、コ

ールされることがあり、それに応じないと小型爆弾で爆破されることもあり、ガイドさ

んも何度か聞いたことがあると脅かされた。また、時には麻薬犬の出動もあるらし

い。私たちはロスで経験したが、いくら身に覚えはないと言っても、犬が間違って

ワンでも泣こうものなら大変な迷惑だ。泣くなと祈りつつ早く通り過ぎてと懇願した

ことを思い出した。買い物をしていると直ぐに時間が過ぎ、搭乗時間となりあとは

寝るなりビデオを観るなりお好きなように、の体制になる。

この日一日の行動に特筆すべきことはなく夜の出発時刻8時40分になっても同様、

飛行機に乗ってからはワインを2つ貰って私が頂く作戦にも変わりなし。

搭乗後すぐに機内食の配膳などなどで時間はあっという間に過ぎ、気が付けばも

う周囲の人たちの中には熟睡モードの人もいた。相変わらず夜更かしの不良爺は

録画しておいたTV番組をエンジョイしながら、時には綾小路きみまろの喋りにクス

クス笑いしたりして・・・・

こうして観た番組の中でNHKの特番『原発』で分かった真実。もし、国や東電が当

たり前の原発政策を進め外国並み体制を採っていたらメルトダウンは防ぐことがで

きたかも知れないことだ。

イソコン(緊急冷却装置)は電気がなくても原子炉を冷却できる装置で、今回のよう

な事故では最も重要な意味を持つ。福島原発は津波で全交流電源喪失してしま

っていたから、電気を必要とする制御装置は何の役にも立たない。

イソコンが稼働していれば原子炉は電気も要らない原始的な方法で冷却で

きていたのだ。作業員の確認では『白い蒸気がモヤモヤと出ている』との報告があ

った。それを聞いた制御室では『イソコンは稼働している』と思ってしまった。

実は日本ではイソコンの点検は実施されていないし過去40年近く稼働させて一度

も動作確認すらされていなかったことが判明した。原発大国のアメリカでは4年に1

度の点検が実施されているから運転員はイソコンの稼働時の状態、停止時の状態

を知っているのだ。東電職員が『モヤモヤした蒸気』と言っていたのは『イソコンが停

止してから1時間後』の状態だったのだ。アメリカ原発の運転員は『イソコンが稼働

中は轟音がして蒸気は吹き上げるほど出て建屋の上を覆い尽くすほどになる』と証

言している。

もし東電がイソコンの事を知っていたらメルトダウンという悲劇を回避できた可能が

ある。国、原発メーカー、東電、いずれもが稼働に当たって必要な措置を講じなか

ったつけで、今でも15万人もの人が故郷を追われ続けていることを思えば、お粗末

だけでは済まされない。原発大国フランスを後にしながら、それでも、何を言われて

も何をしでかしても、へこたれない、それが天下の東電だなーと思いつつ、放射線

に汚れた日本に帰る、変な廻り合わせ。

こんな番組を観ながらのフライトは全く退屈を感じさせないものだが、その内ウトウト

したのだと思う。。

寝たような寝なかったような機内で迎える朝は食べたくない機内食の準備で目が覚め

る。パリを夜に出発し上海へは午後4時頃に到着だから、体内時間は朝を迎えるが窓

のシェードを開ければ太陽が煌々と輝いていた。

はっきりと覚えていないが朝食で出されたのは中華料理で、餃子とシューマイがあっ

たから、やっと中国まで帰って来たと実感できた。3/23発のツアーだけは上海に夕方

着で2時間ほどして岡山に向けて飛ぶが、他の日程は朝方に到着し再び上海市内観

光だから、もしそうだったら非常に苦痛を感じながらの観光だったろうと推察される。

到着ゲートから出発ゲートに移動し、ここで最後のお土産として婿殿たちに煙草を買

う。ドゴール空港で買おうとしたら40/80と表示されておりどうも1パック40€、2パック80€

を示しているようだった。上海は日本円で2000円くらいであることを知っていたし、荷物

も嵩張っていたので、値段を確認したりするのも面倒だったから、敢えて聞きもしなかっ

た。だから本当に40/80は€だったのか分からない。

買い物を済ませ椅子に座って出発を待っていると、添乗員さんが『到着後は各自で荷

物を引き取り暫時解散とします。岡山で改めて挨拶をすることもないでしょうから、ここで

皆さんのご協力によりスムースな旅が・・・』と話され、いよいよ旅のフィナーレがやって来

たと誰もが思った。

 

                        ドゴール空港


『ヨーロッパ3か国の旅、オルセー美術館、モンマルトルの丘』

2013年04月21日 18時15分37秒 | 旅行

私の美術知識なんぞは何の役にも立たない程度のものだからオルセー美術館と

聞いて『ああ、落穂拾いの絵のある所』なんて出るはずはない。その頃の印象派

だとか何とか派の絵で時代的にはルーブル美術館のものより後で、近代美術物

より前、つまりそれらの間の作品が展示されている。

まあ、何でもいいと思って調べてみたら知っている画家の絵がゾロゾロ出てきた。

いくら薄学とはいえマネ、ドガ、セザールなんて名前や多少の絵は覚えているか

ら、知っている絵や画家が出て来ると、いっぱしの絵画通みたいになったりして・・・

この美術館の入館も予約と当日とでは扱いが異なり私たちは横の方から、失礼遊

ばせと入館、おまけに現地ガイドさんはここで顔らしく、日本語のガイドフォンを当

然のように借りてきた。添乗員さんの話によれば、ここでガイドフォンを借りる予定

ではなかったのに、流石と言っていた。

この美術館は撮影禁止のため、ここまでOKの所で記念撮影している人が多かった。

浮世絵に影響を受けたゴッホ、西洋画の中に日本的な庭園風景があり菖蒲か杜若

か紫の花が浮かんでいる。踊り子を描いたドガなどなど、結構なじみの絵に巡り会え

収穫ゼロかと思っていたのに、美術音痴の私にとっては星2つ。

薄学だったのにガイドさんの分かり易い説明を受けて、絵を観賞して少しだけ博学

になった。人混みはあったもののルーブル美術館のような喧騒はなく、静かに絵を観

賞できる環境にあり柄になく素敵な絵画に心なごむ。美術館を出てモンマルトルの

丘近くまで移動し昼食を頂く。当然のグラスワインをお供にすれば料理は何でも結構

になり出されたものに舌鼓を打つ。

モンマルトルの丘は教会、その周辺で似顔絵を描いたり自作の絵画を売ったりする

画家の卵が集まっていることで有名な観光スポット。謳い文句はパリ市内が一望でき

る小高い丘となっているが、実際には教会正面の一角から街並みが見える程度だっ

た。ここから見ても下から見てもパリの街並みが綺麗だと思ったのは、上海や東京を

始めとする高層ビルのような凸凹都市ではないからだ。

高いビルはあるが天まで届けとばかりの『馬鹿と煙は・・ビル』はないから、すっきりと

した街並みで大都会としては抜群の容姿だと思う。丘の麓までバスで乗り付け普段

は階段を昇って上まで登るのだがガイドさん曰く『階段より楽に上れる方法がありま

す。1.8€要りますが上までロープウェイがあります』ロープウェイではなくロープウェ

のような電車のような、急坂をぐいぐい登って行くが、動き始めると直ぐに頂上に

ついてしまった。

尤も、この日はイースター祭関係の行事があるらしく階段は全世界から集まった信

者が占拠しており、階段を昇る選択肢はなかった。上の教会の周囲にも信者たちが、

これから執り行われるであろう神事を待ちわびていた。私たちは単なる観光者、よさ

そうなアングルから教会の写真を撮ろうとするが、建物に近過ぎてフレームに収まり

切れない。モンマルトルの丘は頂上に教会があり、その周辺に観光客相手の土産

物屋やレストランなどが軒を連ねている。暫く下ると一角に自分の描いた作品を売っ

たり、似顔絵を描いたり画家たちが小さな店を出していた。『こうした画家たちの中

には質の悪い者もいる。日本人を見つけると「社長々」と声をかけ、断ると「ケチ」な

どと罵る者もいるから気を悪くしないで』とガイドさんのアドバイス。

『社長』の声がけはバンコクの街角、マッサージ店の前を通ると必ず、この台詞を聞

かされたが、まさか花のパリで、モンマルトルの丘で?

似顔絵を描いて貰っている人の画を覗き見してみると、本当によく似ており、これな

らお金を払う価値はあると思わせた。

オルセー美術館

モンマルトルの丘

 


『ヨーロッパ3か国の旅、モンサンミッシェル修道院Ⅱ』

2013年04月20日 17時35分15秒 | 旅行

 食後、修道院までのシャトルバス乗り込み移動すると、島まで道が整備され陸続き

になっている様子が目に入ってきた。それは島に行くための一本の道ではなく完全

に陸続きになっていた。かつては海上に浮かぶ島だったから、干潮のある日だけは

歩いて渡れるという神秘的な場所だった。

人は自然破壊の名手だ。観光客を多く受け入れ・・・・なんて考えた結果だろうか、

一本の道をつけたら潮の満ち引きを繰り返す内、砂を運び込み島と陸とは繋がって

しまった。

それではあんまりだと、砂を取り除き新たに橋を架けることで景観を取り戻す試みが

進められている。無粋な建設重機がガラガラと大きな音をたてて、工事中だ。私たち

が見た時、沖合に海水が見えたから干潮だったようだが、素人目にみても大工事で

数年、十数年はかかるのではないか思わせた。人が壊した自然を元に戻す時間は、

壊し方に指数関数を掛けた長い々ものを必要とする。

私たち観光客のためにやったことで、もしそれがなかったら私たちは、ここを見学す

ることはできなかったのではあるが。

島の入口までシャトルバスで行きここから10分くらいは徒歩で島にたどり着く。風は

強く吹いているがドピーカンの天気、歩きながら眺めるモンサンミッシェル修道院の

姿は、この辺りがベストシーンのようだ。

修道院の中は観光用として残されており建屋の見物が主体となるので、ドイツのビ

ース教会のようなものではないから、視点を変えて見物して欲しいとガイドの説明。だ

から内部構造に興味のない人は外観をたっぷりと堪能しないと、修道院内のお土産

や散策が目的になってしまう。内部を歩きながら説明を受けたが、空中庭園と上から

眺める周囲の海の景色の方が印象に残っている。つまり修道院そのものに興味を魅

かれるのではなく、島に浮かぶあの修道院の姿そのものを観るのが主目的なのだ。

解散後、沢山ある土産物屋をうろついてみたが、主な土産物は買ってしまっているし、

ゆっくりと買い物をするほどの時間はなかったから50セントのトイレに行き集合場所の

大砲に向かう。帰り道も名残惜しげに何度も何度も後ろを振り返りながらモンサンミッ

シェルに別れを告げた16時40分。美しい青空に浮かぶ修道院は本当にきれいなシ

ルエットを描いていた。帰る道すがら夕食のレストランに寄る。造りがユニークで大き

なワイン樽を部屋に仕立そこで食事を頂く。そうした趣向が珍しいのと特産のリンゴジ

ュースに美味しいワインが名物らしいが、名物でなくても結構、グラスワイン・プリーズ。

私たちはあちこちと出掛けている方だったので、よく質問されたのが『今までで何処

の国が一番よかった?』と聞かれる。何時も『日本』と答えるからそっ気ない。

『帰国して最初に食べるご飯、沢庵だけでも美味しく食べられるし、綺麗な所も沢山あ

り、しかも安全だから日本が一番だと思う。だけど海外の方が割安感がするから出掛

けるの海外の方が多い』この回答で皆さんも納得。

行った国々の夫々いい所は沢山あるし、風景、文化、食、人等々、比較する対象も様

々だから、どこが一番とは言えない。好き嫌いは勿論あるが二度と行きたくない国はな

い。食後は満腹状態でパリまで、ゆるり・ゆるりの旅、ホテルには21時30分に到着、明

日はOPツアー後にドゴール空港から上海までのフライト、いよいよ最終章を迎える。

 モンサンミッシェル修道院写真

 


『お金持ちシフト Chinese ?』

2013年04月20日 17時31分08秒 | 旅行

中国の富裕層が海外旅行に出かけることが増え、いずれの観光地でも中国から

の観光客誘致に余念がない。かつてはJapan as No.1として世界からもてはやされ

ていた我がジャパンは、いつしかその場を追われ今や中国の後塵を拝する?。

これが一般的な見方だが、私の経験では東南アジアでは中国系の観光客とよく

出会ったが、前回のトルコも今回の旅も、一組も出会っていない。

ホテルで一緒になり同一フロアで宿泊の際は、夜中でも大声、頻繁に部屋を行き

かい安眠は保障されないからご注意を。添乗員さんの説明によると日本のニュー

スで流されるように、大金を持ち歩き買物を楽しむ豪快さは海外でもお馴染みに

なっている。中には高級品を大量に買い込み中国で再販し利益を得る輩もいる

から、カードだろうが現金だろうが桁外れの買物もあるという訳だ。

思い出すのは秋葉原で炊飯器を数台買い込む中国の観光客、日本製の炊飯器

は中国でも人気商品、親戚への土産、再販用?炊飯器を複数台購入する姿は

私たちの感覚とは少し違う場面だ。

外国の人から見れば日本人と中国人の区別はつけにくいそうだ。そうなればスリ

や詐欺師まがいの泥棒とて見分けはできないから、カモになりそうな中国人を探

す場合『Excuse me….Are you Chinese ?』と聞くそうだ。昔は日本人かと? 聞い

ていたのに。時代の移り変わり、中国人のグループ全員が泥棒集団の餌食にな

ったこともあり、恐らく旅行会社の方からは、こうした注意が為されているだろうが、

大金を持ち歩く習性は治らないようだ。(本当の大金持ちはカードだろうけど・・)

こうした時に人間違いされるから質問されても無視するに限る。こんな声掛けし

てくる人の大半は下心があると思い対処すべしとの教えだった


『ヨーロッパ3か国の旅、モンサンミッシェル修道院Ⅰ』

2013年04月19日 18時38分57秒 | 旅行

今回の旅行で最も長丁場、往復720Km、帰着は夜11時30分予定の旅だ。他のツ

アーだとパリから行く場合はTGVを利用してレンヌへ、それからバスで移動するか

らゆったりとしている。恐らくツアー料金の違いでこうなっているのだと思われる。

しかし結論からいうと、長丁場で大変と思われたが、バスの旅は快適で帰着も21時

30分頃だったから殆ど疲れを感じなかった。この移動にも道路地図を準備してい

た。予想としては西に西に向かいレンヌ経由だったが、実際は北に行きそれから西

へのルート。北回りだから小都市も中都市もないのか、西ルートだとして同じようも

のだったのか分からないが昨日、訪れたベルサイユ辺りを通り過ぎると田舎ばかり。

なだらかな牧草地帯や農村らしきところの風景を除くと、ここで紹介する風景はない。

昨日までの疲れを癒すのに丁度いい具合の揺れ具合、バスはいつものように大型

で60人乗り、たった11人の乗客だからご自由に。私は地図と道路標識の睨めっこで

忙しいから時間はサッサと過ぎ退屈な長旅とは感じさせなかった。地図に残されて

いる記録をみると、7時30分出発、ブーズヴィル10時着トイレ休憩。今日パリからモ

ンサンミッシェルに向かうグループは山ほどいるはずだ。今までの有名地における

日本人は、これまたa lot of沢山だから、今日もパリから沢山のグループが似たよう

な時間に出発しているだろうから、途中のトイレ休憩もバッティングする可能性は高

いとガイドさんの予想。

それは的中した。私たちは最初のトイレ休憩ポイントにトップクラスで着き、ゆっくりと

名物のモンサンミッシェル・クッキーを物色していた。同じものがモンサンミッシェルの

土産物屋では少し高く売られているらしいから、この店で買うことにした。そうこうして

いる内に後発部隊が到着しトイレに長い列が出来上がっていた。

この辺り唯一の町らしいカーンを通過し、昼前にはモンサンミッシェルの姿を見ること

ができた。レストランは修道院近くで予約は13時、それまで近くにあるスーパーで再び

お土産を物色。これといったもの見当たらなかったが、味がまろやかなマスタード、塩

製品をゲットした。私たちは一寸した塩マニアで出掛けた国で特産物風に売られてい

るのを見つけると必ず買うようにしている。それらの味に大きな違いを感じることはない

が、内陸部で採られた岩塩のようなもの、海辺のもの、ハーブなどを入れた加工塩な

ど、塩にも沢山の種類がある。

ガイドさんお勧めの歯磨きをお土産に買い込む人、有名なワインを買う人、暇そうにし

ていたレジの叔母さんは俄かに忙しくなり『もう、昼なのに・・・』と言いそうな顔をしてい

た。時間が来たのでレストランに向かうとガランとしており、一角に陣取りまずは『グラス

ワイン』から、ここの名物は卵の白味だけを使ったオムレツ。お土産で有名なクッキー

は卵の黄身を使うため白味が大量に残る、それはもったいないとオムレツを作ったら、

これがヒットしたということだ。ふわふわしたメレンゲのようなオムレツ、味もそっけもない

ないようなもので、美食の国と言われるフランスで、こんな不味いものが珍重されるなん

て馬鹿みたい。ここで日本人の得意技、料理写真のはずが不味さを話すうちに撮り忘

れてしまった。メインは鶏の何とか料理だったが余り得意ではないから、付け合わせを

メインにしてワイン・ワイン。

田舎の風景

 

 


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