食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『回想旅行記、タイ編』

2014年02月28日 18時03分42秒 | 旅行

 

『政情不安』

前年の10月に癌の手術を受け自宅療養していた。冬の盛りになると開胸手術による影響であばら骨が疼き、朝風呂、

温泉施設通いによる養生に精を出しまるで小原庄助さん状態。幸い術後の調子もいいし、どうせなら暖かい東南アジ

ア、それも行ったことのない国に出かけるかと俄か思い付きをした。

今から申し込み3月初めになれば今よりパワーは回復していると予想して、旅行会社に聞いてみた。この頃からタイで

は現職首相と追いやられた前首相派が対立し赤シャツと黄シャツに分かれて騒動を起こし異常事態を報じられ始め

ていた。外務省の海外渡航情報を気にしながら旅行会社の手配を見守っていたら、米子、韓国、タイのルートの内、

韓国~タイの飛行機が取れず希望の日程は困難との返事が来た。

それでは可能な日程を調べて貰うと、韓国・中国の経済好調を受けて旅行客が増え、当面は無理で関空など他の

飛行場からの便を紹介された。米子以外から行くことは考えていなかったからタイ行きは、取り敢えず諦めることにし

た。すると政情不安は段々と悪くなり終いに渡航の中止勧告となり旅行会社もツアーの中止になってしまった。現地

では中心繁華街にある日系のデパートに放火、一部が炎上、二色のシャツが対峙なんてニュースも流され観光気分

はゼロの様相。騒ぎが収まり岡山から出るツアーに参加したのが暖かくなり始めた6月になってからのことだった。

現地の生活は対立の後遺症もなく、赤も黄色もなくなり元の微笑みの国に戻っていたが、一部炎上のデパートは黒

く焦げた跡が残り営業は縮小していたように見えた。その他に騒動の跡らしいものは何もない。

通常のタイ旅行なら5日というのが一般的だろうが、暖かい所で養生することが主目的だから2日延泊した。ガイドに

案内してもらう以外は自分たちで散策するには十分な時間があり、とてもゆっくりとした行動がとれる。

連続5泊する旅だからホテル選びは慎重に調べた。繁華街近くにあるル・メリディアンは便利でゴージャスな割には

値段も手ごろで大分、このホテルに傾いたが口コミの中に気にかかることがあり残念ながら諦め、繁華街から離れた

静かなホテルにした。口コミの大半は無視してもいいもので占められており、賛否の要因となる事柄は殆どないが指

摘されていた事はあり得ると思い、しかも私の嫌いな事だったから意見を参考にさせて貰った。


『カメムシの目覚め』

2014年02月28日 18時02分13秒 | 日記

2月も今日で終わり明日から弥生となれば、いよいよ春遠からじ。段々、冬とお別れしていく様をよく間違えて『三

寒四温』とやってしまう。確かに言葉の並びや感覚からすると徐々に暖かくなっていくように思ってしまうが、冬の

間に起こる寒暖を表現したもの。

朝晩は寒さが残っているもの昼間にストーブを焚くと、暑くて上着、セーターを脱ぎ窓を開けて寒気を取り入れ

丁度良くなる。だからとストーブの火をなくしてしまうと、何となく寒いような、おかしい時期になって来た。

町中に住む人には無縁のことだろうが、こうした時期を迎えると屋根裏や何処かの陰で冬眠していたカメムシが

目を覚まし出始める。特に山小屋のような所は越冬するのに都合がいいらしく、何処かにある隙間から入り込み

暖かくなると部屋にもお出ましになる。何処にいるのか判らないから踏んづけたりすると強烈な臭いを発して、

暫くは消えない。この辺りでは『おじょろうさん』と呼ばれ声を掛けながら触ると臭いを出さないと言われている。

こいつはかなりの演技派でひっくり返っていても死んでいるか、死んだふりをしているのかよく判らないことがあ

る。そうした奴を雪の中に放り込んでもじっとして動かないから、ストーブに投げ込むと大慌て動き出すが直に

昇天してしまう。冬眠場所なら仮死状態で冬眠なら分かるが、先ほどまでいなかったのにひっくり返っていたり

するから、行動パターンも不明の虫だ。

触れたりしなければ何の害もないが畑では立派な害虫で、稲、大豆などの汁を吸って甚大な被害を及ぼす。

らカメムシの多い冬には雪が多いと言われているらしいが信憑性は不明。


『回想旅行記、水上劇』

2014年02月27日 17時44分54秒 | 旅行

クチ・トンネルに行く時、迎えに来た車は何とベンツだった。超一流のグレードではなく、スタンダードクラスだと思

うが、ベンツはベンツ。こんな車でベトコンが暗躍したジャングル地帯もビンビンと走破する。その帰りにガイドが水

上劇の鑑賞を勧めてくれた。

ベトナムに行くと決めてからホーチミン周辺の興味ある場所や観光について調べた時に水上劇もあった。その時、

あまり興味を引くことはなかったから候補としては没にしていた。

ガイドの説明だと言葉が分からなくても十分楽しむことは出来るし、観て帰らないと損をするとまで熱のこもった勧

誘をする。今日、一日共に行動して誠実な人柄だったから嘘を言うことなかろうと、信用して水上劇に行くことにし

た。調べて貰うと帰国の日の夜しか切符は取れないが、ホテルの集合時刻に間に合うということで、詳細を聞くと夕

方に食事と組み合わせるコースが便利というから、それを申し込んだ。

食事はベトナム料理で特別変わったものではなかったが、アオザイを着た美しいお嬢さんが給仕をしてくれた。

アオザイはベトナムの民族衣装ではあるが街中で着ている女性を見ることはなく、レストランや観光施設など限

れた所でしか会えない。

水上劇は竹竿の先に結ばれている糸に人形をつなぎ、それを水上で操る人形劇。水面を滑らせたり、沈め気味

して水しぶきを立たせたりして動きにアクセントをつけている。その動きは実に見事で、竹竿と人形が一体にな

っているようで、間に糸があるとは思えない。

物語の荒筋は貰ったパンフレットに日本語でも簡単に説明されていたが、それを読まなくても何となく筋は分か

りそうだった。時には、わざと激しい動きをして前にいる観客に向けて水しぶきを飛ばし、観客が出す声に呼応

て、また大げさに動き観客の笑いをとる。約2時間の水上劇は本当に面白くガイドのいう事を聞いてよかった。

劇が終わりスタッフが登場、ここでも若い人たちばかりで伝統芸を継承しているようだ。ホテルに帰り荷物を受け取

り迎えに来たガイドと共にメコン川に別れを告げた。

 


『外国との約束』

2014年02月27日 17時43分47秒 | 日記

日本は第二次世界大戦で近隣諸国に多大な迷惑をかけてしまった。とりわけお隣の韓国、中国では長期にわたり事実

上の占領下においた。即ち他国の大地、民、財産を一方的に強奪してしまった。こういう表現をすると必ず、一方的では

なく他国内の別の勢力から依頼されて日本軍が助けに行ったのだから解釈が違うと反論する人がいる。実際のところ歴

史の裏側でどういうやりとりがあったのか検証できるはずはないから口角泡を飛ばす議論をしても正しい結果を得ることは

出来ない。普通に考えれば韓国が深い信頼関係を持っていたはずのない日本に助け舟を頼むなんてなかったろうし、中

国に対しても出かけなければならない理由など、侵略以外にあり得ないのではなかろうか。

しかも、徴用と言う名のもとに強制的な作業に従事させ奴隷のように扱ったことは、どのような言い訳をしても通るものでは

ない。戦後補償は国と国の約束事で決まる。

日本と韓国、中国との間にも戦後補償について取り決められ国家間では精算されていると日本政府は言っている。

しかし韓国も中国も戦後補償は終わっていないかのような姿勢を露わにしている。戦後70年になろうとしているのにこの間

の交渉事、外交上の取り決めごとは何を意味していたのだろうか。韓国、中国は戦後補償が終わっていないとしていたな

らば、何故今頃になって新たな問題のように提起するのか。例え安倍首相が靖国に参拝したから関係悪化があったとして

も外交上の約束事を反故にするようでは、そんな国とは約束しても意味がないことになってしまう。日本政府は両国と戦後

補償は解決済みとする外交文書なり何

なりで確認作業を進めるべきで、私たち国民にも改めて知らしめて欲しいし、不十分なら新たな対応をする必要もあろう。

韓国、中国とも近くて遠い国であることは悲しい事である。


『回想旅行記、漆塗り工房』

2014年02月26日 17時30分59秒 | 旅行

ベトナムは貝殻を貼りつけ花柄や風景の一部に取り入れた図柄に漆を塗り磨き上げた芸術的な作品が、主に観光

客相手に販売されている。工房見学をしてショップに行く例のパターンで販売価格の表示はUS$でしてあり結構

段だからベトナムの一般人ではなく、観光客相手だと直ぐ察しがつく。

工房では若い人が貼りつけた貝殻をサンドペーパーのようなもので磨いていた。貝殻を一枚張るのではなく、貝

構成しているうろこ状の薄いものを貼りつけているようだから、丁寧な仕事が要求される。サザエやアワビなどの貝殻

に見られる独特の色合いを上手く組み合わせて図柄にしてある。

私が買ったものはアオザイ版、見返り美人風で女性の後ろ姿は貝殻で描かれ、周囲の花は描かれたもので全体は

漆塗りになっている。図柄がベトナム女性のしなやかさを後ろ姿で表現している実に落ち着いた作品、私は一目

気に入り購入。東南アジアの女性は全般的にスリムで年配の人も欧米人のような太っちょは殆ど見ない。

南国の蘭、蝶、鳥など派手な動植物を描いたものは華やかで、これはこれで美しいから、一番最初に良いと思っ

ものを買わないと、迷いに迷って決められなくなる。

図柄、大きさによって異なるがA4サイズくらいのものを完成させるのに最低1か月近くかかる。ベトナムも長い間の戦

争で沢山の人が亡くなり、若者たちの数が目立つ。こうした工房でも、若手の技術継承が行われているらしく、作業

しているのは若手が殆んど。先進国はこうした若者たちを安い労働力だけとして使い捨てにしないで、育成していく

ことで社会貢献を果たすべきだと思う。

 漆塗り


『ザーサイの仮漬け』

2014年02月26日 17時24分41秒 | 日記

ネットで知ったザーサイの先人(http://duckbill21.blog75.fc2.com/blog-entry-544.html)のレシピに従い、仮漬

けを執り行った。先人はザーサイを切って干しておられたが、私は切らないで干してみた。というのが、中国から

輸入缶詰はそのままだったから真似をしてみただけのこと。21日から昨日まで干したら小さいものは少しシン

リ加減になり、全体的に乾いてきた感じはする。本場の記事を見るとザーサイの干しは丸のまま天日干し、その

後に絞り機なるもので水分を搾り出すとあった。

ここのレシピは最初に7%の塩水に漬け、徐々に塩分を増やしていくとあるから、浸透圧の関係で水抜きを促進

させるのだろうか。昨年はカビが発生し全滅してしまったが、どうやらザーサイが空気と触れるような形になっ

ていたようだ。先人のコメントにも空気に触れるとカビの原因になることを示唆していた。

妻の言だと『筍の保存と同じ』。筍も保存する時に筍本体が空気に触れるとカビがくるそうだから、前回、作る時

に妻の知恵を拝借していたら案外と上手くいっていたかもしれない。

兎に角、リベンジは始まったばかり。可能な限り空気を抜きザーサイが空気に触れないようにしたビニール袋詰

めのものと、フードセーバーの真空容器の2種類に漬けてみた。冷蔵庫と分散保管も一つの方法だが先人は発

促進の影響を回避するため、最終的には常温保管だった。

私は・・・うーん、どうする。

 

    Ziplockの1袋に塩水は2㍑、真空容器は1㍑


『回想旅行記、ミトーとメコンデルタ』

2014年02月25日 18時02分49秒 | 旅行

市内から車に乗って約2時間でメコン川入口の町ミトーに到着する。ホテルを出る時間が市内のラッシュと重なり、色

々な通勤、通学風景を見ることが出来る。学校の校門付近はバイクに乗せられた子供たちが次々と降ろされ、出て

は入って来るバイクの群れ、中には数人の子供を乗せている人もいる。自分の子供だけなのか、近所の子供も乗せ

ているのか。通勤らしいサラリーマン風の人は男も女も、それらしい姿で乗っているが、会社務めではない女性は例

の竹細工のような帽子を被っているから区別がつきやすい。

ミトーの町からボートに乗って島にある観光施設、ココナツキャンディー工房、蜂蜜農園を見学する。一応、施設と呼

ばれているが家内工業に近くココナツキャンディーを作る所は中くらいの鍋にココナツミルクを入れ煮詰めたものをキ

ャラメルにする。その工程は家庭で作るより少し規模が大きいと言ったもの。ここで作られているキャラメルは現地材料、

現地生産しかも家内工業的だから、勧められると断るわけにはいかず、お土産に買わざるを得なくなる。味はココナツ

とあっさりとした甘みがあり美味しかった。水辺はマングローブ、陸地はジャングルにあるような木々の島ではあるが、観

光地だから土産屋や一寸した食事を摂る店もあり、周辺はきちんと整備されている。

ある店に入ると錦蛇の大物が観光客の首に巻かれ写真を撮っている。妻が呼ばれて、怖々と首に巻いてポーズをとる。

私も呼ばれたが近寄ることも願い下げだから遠くで、嫌々をしていた。蛇を首に掛けるとすごく重いそうだ。

妻は蛇が好きではないと言っているが、シンガポールでは白蛇と一緒に写真を撮っているから、私ほど恐怖を感じては

いないようだ。

次に案内されたのは蜂蜜農園、養蜂場所を見物することもなく、いきなり蜂蜜やローヤルゼリーを売っている店に。お茶

のサービスを受けている間も熱心に商品の説明をして、しきりに試食を勧められ何か買わないと、と思わせる。

店を出て水辺に向かう。私たちを手漕ぎの船で島内のメコン川につづく小さな川を散策する。船頭は観光客に受け狙い

か女性。

最高、何人乗れるのか知らないが今回は全員で4人、それでも力は要るのではないかと思う。マングローブで南国特有の

雰囲気の中をゆっくりと水辺の旅を楽しむが、水は濁っていて汚いから趣としては観光より、学術調査で生き物を探す方

になる。こういう雰囲気はクチの地下トンネルと合わさって、ますますランボー。そして、昼食は名物料理『エレファント・イ

ヤー・フィッシュ』をレストランで頂く。象耳魚は名のごとくで平べったい魚で形が・・・・

本当は象の耳には見えないが、そいつを唐揚げのようにパリパリにしてある。淡水魚特有の臭みはなく淡泊で癖のない魚

だ。ベトナム料理には沢山の香草が使われるので、こうした魚は添える香草によって味が大きく変化する。

香草の好きな人はリクエストすれば別のものをトライできるかもしれない。魚の他にソフトボールのような丸いものが出されて

いる。グレイト・ボールという揚げ餅、物珍しさはあるが特別な味はないから、話のタネにすればいい。

ミトーで水遊びを終え帰路に着くと、夕方ラッシュと重なり今度はバイク洪水の中を漂いながら、ゆっくりとホテルに向かう。

 


『スギ花粉』

2014年02月25日 18時01分32秒 | 日記

ここのところ俄木こりの日々で少々、疲れ気味。椎木、杉を中心に伐採している。椎木は炭木の用途があり、枝、幹と

もに既定のサイズに切って炭窯まで運搬しておくと、次の窯作業が楽になる。細い枝葉と使える部分を分別し枝葉は

焼却処分にする。この山には大きな自生の杉が生えている。そうした木は好き勝手な場所に生え、枝打ちなど管理は

されないから枝はいたる所から伸び放題になり、太陽の光を遮ってしまう。

当然、その下にある場所には陽が射さないことになる。杉の葉は枯れても腐りにくいから落ちた枝葉で大地は埋め尽

くされ、他の植物は育ちにくい環境になる。

太陽の光を一手に受けて自分だけグングンと伸びて行くが、山の栄養分だけでは足りないからであろう先端に比べて、

根元は異様に太い。昨日、倒したものは根元が50cmくらいはありチェーンソーの刃より長いから右左半分ずつ刃を入れ

ていった。苦労しながらやっとこさで倒したら、狙いより少しズレて別の木の上に引っかかってしまい、ニッチもサッチも

いかなくなり、ウィンチで引き倒すことになり、ここでも苦難の仕事だった。

枝を落として、と言っても大きいものは10cm近いものもある。今の時期TVでよくスギ花粉の予測をしているが、こうした木

にも杉の蕾がたっぷりとついている。杉の蕾で枝が撓(しな)っている、そんな重さの量だ。花粉症の人が見たら気絶する

ほどで、実物の写真を撮っておこうと思ったが、見るだけで気分が悪くなりそうな人もおられるかもしれないので、それは

止めにしておいた。

幸い、今のところ私は何ともないから、枝を切ってはそうした葉を火の中に入れて始末している。全国的にスギ花粉の状

態は分からないが、杉花粉が終わると檜とよく聞く。時期が何時ごろかも知らない。今日、倒した檜は先端に沢山の金平

糖のような蕾がついていた。しかし、色は茶色で乾燥したものだから昨年の残りかすのようだった。

こういう情報に疎いもんでネタの提供をできないが、杉だけは確実に沢山ありそう。

花粉症の人はご用心あれ。


『回想旅行記、ディナークルーズ』

2014年02月24日 17時40分56秒 | 旅行

ホテルの窓から外を眺めていたらクルーズらしい船が明々とした照明を輝かしながら、周囲に灯りの少ない川をゆっ

くりと流れるように進んでいた。その速さは今、船出をしたようなスピードだから近くに船着き場があるのかもしれない

と思わせた。予約していたクルーズの予定時刻にガイドが迎えに来て、船着き場に向かう道すがら、明日は添乗員と

して中国に向かうので朝が早いと言っていた。案内された船着き場はホテルから徒歩で5分くらいの場所にあり推察

した通りだった。ガイドは手続きを済ませると、船が帰ってきたらホテルまで送り届けるため再びここにに来ると言った

が、明朝は早いと言っていたし、ホテルへは私たちだけで帰ることは出来るから来なくてもいいと言うと、嬉しそうにお

礼を言い、そうすると言い残し去った。

船内の席に着き辺りを見回すと日本人客は殆ど見られず、欧米人の中にポツンという感じだ。飲み物以外はバイキン

グ形式だから、各自が好きなものを取り歩きテーブルで外を眺めながら、ゆっくりと食事を楽しむ。私の友はビールで、

そいつを飲みながらかき集めてきた料理を食べるのだが、こうした席になると食事というより、ビールのつまみのように

なり所謂、割り勘負けの様相だ。ビールを飲みながら食事を摂ることは私のスタイルではないからだ。

観光客相手だから料理の中身も万国形式、こうしたものの大半は私の口には合わないから、食べるものは限られてく

る。日本食として寿司もどきはあるが食べても不味い、ハム、サラダ、何かの煮込み料理などいつも見慣れたものが並

んでいる。やっと食べられそうな焼きそば風のものと、肉系の料理を少々だから私の料金分を妻が取らないと負けにな

る。海外でも、国内でも外食の場合必ず食前酒はビールになるから直ぐに空腹感から解放され、食事は食事でなくな

り宴席と化す。それは船上においてディナー・クルーズと洒落た名前になっても同様のこと。

メコン川のクルーズといっても特別な風景を見る事はなく、ユラユラしながら食事をするだけなのに何故か魅かれてしま

う。タイに行った際もチャオプラヤ川のクルーズ、イスタンブールでも同様、陸地から離れることに説明できない憧れか

魅力を感じているようだ。

 


『株式の不思議』

2014年02月24日 17時38分49秒 | 日記

株式の真っ当な使命は、投資してその会社を育て、その会社が利益を上げて投資した人に配当する。だから株を購

入して株価が上昇したら売ってその差益を得るなんてのは邪道ではないか。株式会社同士が株を持ち合って、乗っ

取り防止、安定した株の運用をしていて、その残りが市場に出回りマネーゲームのチップのように使われている、これ

が素人目にみた株式の姿。株価の変動は企業の業績によるもの、同業他社、海外企業との関係などにより生じるもの

は分かり易い。日本特有のことではなさそうであるが、最近は日本企業の固有情報で上下するより海外の雇用情勢、

景気情勢によるものが目に付く。

為替の変動に敏感なのは分からないでもないが、短期的なものならば為替変動による業績変化は少ないだろうが、ま

るで明日に影響でもあるかのように株価が連動する。株価は株の値ではなく、経済そのものの値に変質している。勿論、

個別の事情により変動もあるが日々の動きは枝葉末節の噂話のようなネタによるものが主になっているようで、一般の

には分かり難い。私も株に興味を持ち購入した事がある。自分の買った銘柄の値動きに一番注意が行くのは当たり

前だが、市況解説や個別解説などの情報にも触れることになるので、一部とは言え経済の動向には詳しくなる。さとて

て、そで自分の買った株や他の銘柄の動向など予測できるはずはない。

最近の傾向としてTOPICSは1日に500円も上げたかと思えば翌日に『アメリカ雇用情勢・・・・』により200円のダウン、次

日為替の変動予測により200円ダウンなんて日本企業の事ではない要因による荒っぽい変動が多い。証券会社にこ

の商品購入を申し込む際には『自己責任』をきっちりと約束させられる。日本人は自己責任の取れない国民だから

への投資には二の足となろう。


『回想旅行記、部屋替え』

2014年02月23日 17時42分50秒 | 旅行

私たちの部屋はメコン川が眺められる国道沿いの部屋だから、夕陽が落ちる頃、川面の様子を眺められる素敵な景

色と向かい合える。国道に面しているが周辺は意外と静かで、夜になると国道のバイクも静かになり眠るのにもいい環

境のように思えた。ところが夜中から大型車の交通規制が解除されるらしく、荷物を沢山積んだトラックの往来が激しく

なり、寝酒が覚めると騒音は無視できず、羊を何匹数えても睡魔襲ってこない。

2日目の夜は運の悪いことに寝ようとした頃から同一フロアに宿泊した中国人が、大声で部屋を行ったり来たり、ドアを

バッタン・ドッタンの大騒ぎでまたまた睡魔は何処かにトンズラ、それが鳴りやんだ後にはトラックの騒音が待っていた。

このホテルには未だあと3泊するから、これは我慢の限界と朝になってからフロントに行き、部屋を変えて欲しいと申し出

た。過去にこんなことはなかったのか係員は訝しそうに『何故でしょうか?』と聞くから、道路側は五月蠅くて眠れないから

反対側ならどこでもいいと言うと、何やらゴソゴソしていたが出された紙を見てようやく事情が読み取れた。つまり、道路沿

いの部屋は値段が高いのに対し、反対側だと安くなるが自己都合の申し出だから差額は請求しないという文面だった。

よくよく思い返してみたら旅行のパンフレットに『リバーサイドビューのお部屋』なんて素敵なフレーズがあった。確かに、

夜になると飾りを付けたディナー・クルーズの船が行き交い美しい光景を目にすることができる。

だが、こんな風景は1度見ればそれで十分ではないか、例え見えなくても私には静かに寝られる部屋の方がいい。

もう、何でもいいからNo problemと言いつつサインする。夕方に帰ると新しい部屋が準備されておりそこに移り変わっていき、

窓を開けてチェックすると外は隣の建屋の屋根しか見えなかったが、静かならこれでも十分。反対側は静かで国道の喧騒

から解放され、中国人も去り、健康的な羊がやって来た。


『治らない放言壁』

2014年02月23日 17時39分34秒 | 日記

 

昔からどの分野にも放言壁のある人はいる。困ったことにこういう人種は幾ら経験や歳を重ねても人間の資質が少

しも向上しない属だから所謂、『馬鹿は死んでも治らない』ところに落ち着かざるを得ない。近年の政治家で断トツ

は暫く影を潜めていた某氏。東京都前知事がお金を借りたの貰ったのと騒いでいる内に、どさくさ紛れで東京オリ

ンピックの重要な役に就いた。

そもそも、そんなことを任せられるような人ではなかったろうに。どこでどんな力関係が働いたのか知らないが、Sports

の世界のJAPANは明らかに人材不足だろう。日本の総理や大臣なら外国から注目されないから、多少のチョンボも

国内だけで済むから問題はなかった。だから首相を始めとする内閣も誰でもよかったのだ。

ところがオリンピックは世界的なイベントだから、開催国のオリンピック組織委員のチョンボは外国にも流されてしまう

能性がある。折角『お・も・て・な・し』と頑張っている人たちの努力を無にするし、外国からは嘲笑の的になりかね

ない。役に就いてしまった以上、大和の心遣いを以てして無理矢理に剥すことは可愛そうだから、その条件としてご

人には大会終了まで何もしないでお静かにして頂くのがよかろう。ところが、こういう人種はそれも不得意、どこか

でまた要らない事を言うに違いなかろう。

そして必ず『私の心意と違う』と言訳するのも進化しない粗末種のワンパターン。


『回想旅行記、バイク洪水』

2014年02月22日 18時15分56秒 | 旅行

ホテルからドンコイ通りを歩くルートはホコ天に近いからブラブラ歩きでウィンドー・ショッピングも可能だ。しかしホテ

ル前にある国道の向こう側に行こうとしても信号機はないし横断歩道も整備されていない。渡る人は次々やって来る

バイクの群れに恐れることなく、堂々と歩いて渡って行く。私たちは真似をしようとしても怖くて最初の1歩が出て行か

ない。ガイドさんが歩き方を教えてくれた。渡ると決めたら、向こうからやって来るバイクのことは気にしないで、同じ速

度でスムースにわたり切る。途中で止ったり、歩く速度を変えない、特に危ないのは急な変化を作ると必ず事故になる。

相手は今進んでいるスピードに合わせて避けようとしているのに、こちらがそれと違う動きをすることが一番危険という

事だ。何だ簡単な事ではないか、理屈では分かるが洪水のように押し寄せてくるバイクの渦の中に向かう度胸がつか

ないと、とてもじゃないが足は出せない。これさえ守れば相手が避けてくれと信じるしかないと腹が据われば問題なく

渡ることができる。

ガイドについて渡ってみると、少し要領を覚えるが、後ほど自分たちだけで渡ろうとすると、未だ迷いがありぎごちない歩

行。何度か練習する内にコツを掴み、連なるバイクの群れを横目に堂々と歩けるようになった。やっと私たちも市民権を

得たような気分だ。

所が市内のある地域のバイク洪水はホテル前の国道と大違いで、こんなものではなかった。地下トンネルの帰り道、ラッ

シュアワーでもないのに片道1車線の道は両方とも、隙間のないほどバイクに埋め尽くされていた。私たちの乗る車もバ

イクの渦にのみ込まれてノロノロ軍団の一員になった。すると後ろから救急車が渦の中を突き進んできた。ここでも救急

車がくれば優先させるような行動をとるはずと見ていたが、バイクも避けるだけのスペースはないから救急車はピーポー

を鳴らしながら、私たちの前までやって来たものの、足止めを喰い進むことは出来ない。

暫くの間、膠着状態が続き何かの拍子でピーポーは前に進んで行った。

自動車は高根の花だから、タクシーや特別な人以外はすべてがバイクを使っている。1家に1台のようだから1台のバイク

に夫婦、子供2人が乗っていることも珍しくない。雨降りだと運転手の着るポンチョのような雨具の中に子供たちが雨宿り

しながら走り去る。荷物にしても載せられるだけ載せることが日常だから、バイクの何倍もの容量を縛り付けて運ぶ、生き

た豚でも縛り付けて走っている。ナンバープレートはついているがバイクに乗るのに免許は不要だと言っていた。カンボ

アでもここでも自動車は高級な乗り物だから、庶民の足はバイクで昔の日本のマイカー時代到来の如く、ここではバイ

がそれだ。

 

                                                 夜もバイクで一杯


『木こりの日々』

2014年02月22日 18時14分04秒 | 日記

山小屋の奥は狭い谷になっていて両サイドに椎や杉の大木が生えている。長年手入れされていなかったから、自生

の雑木が好き勝手に生えている。少しでも谷間に陽の光が差し込むようにと奮闘しているが、2~3本切っても、様子

は全く変化無いように見える。木は倒したい方向ばかりに重心はないから、ワイヤーをかけてウィンチで引っ張り倒す

方向に導く。木の生え具合によっては2か所から引っ張らないと思う方向に倒れないことが多い。私のような俄木こり

でも木を切る前には、木に感謝しながら切る。

倒す方向に切れ目を入れておき反対から切断していくが、ゆっくりと切り進み倒れる方向に注意する。倒れそうになる

と木がメキメキと小さな音を出すので、こいつが始まったら細心の注意を要する。尤も切り始める前、木が倒れる場合

不測の事態が起ったら、何処を安全場所にするか決めておくこと、また直ぐに動けるよう周りを片つけておくなど危

険回避にしておくべきことは多い。

しかし切り進めて行く過程で思わぬ事態に出くわすことがある。木の重心が逆にかかってしまうとチェーンソーが挟まれ

てしまい抜けなくなることだ。楔を打ち込んだりウィンチで引っ張ったり、上へ下へと一人で大騒ぎをする。今日も大きな

木に挟まれて大変だった。倒した木は枝を切り落とし、葉は焼却する以外は炭焼きの材料に使うから無駄は無いように

なっている。これらを軽トラに積み込み運ぶのも私にとっては大仕事だが、何とかなっているから、元気な爺さんというこ

とにしておこう。


『回想旅行記、ランボーⅡ』

2014年02月21日 18時30分19秒 | 旅行

ベトコンはゲリラ兵士でありながら軍隊の実態は見えないから子供、老人、女性、だれでも兵士であり只の農民なの

だ。対する米軍は戦闘機、爆撃機、戦車、近代兵器何でもあれの装備を使って戦うが劣戦続きは最後まで挽回で

きなかった。私の思う事、ベトコンには自分たちの土地、地域、国を取り戻したい、守りたいと言う強い意志があるの

に、若い米兵たちには祖国から遠く離れた国に来て闘う意義を見い出せない、しかも北ベトナム軍ならまだしも、ジ

ャングルの中で女子供、年寄りを相手に戦うという事に対して。トンネル群の近くにはB52大型爆撃機が落とした爆

弾跡があり、今でも直径10mくらいの穴が開いており水溜りになっていた。

米軍は雨あられのように砲弾を撃ち込む、ベトコンは空薬きょうを拾い加工して自分たちの道具や兵器を作ったりし

ていた。タイヤはスリッパの材料に、ヘリなどの軽合金も加工して日常品にするから、米軍の攻撃は相手に塩を送る

ようなことにもなっていた。多くの人がトンネル内で生活するために必要な設備は全て整えられており、手術のできる

病院には自作のメスを始めとする医療器具まであった。そうした施設があることを地上から分からないようにするため

の工夫も必要で、台所から出る煙はアリ塚のようなもので煙突をカモフラージュしている。

このジャングルの下には司令部、病院、加工工場、ベトコンの暮らしがありながら、上空やジャングルの隙間から、それ

を垣間見ることは出来ないようになっている。ベトコンに破壊された戦車が展示されていた。US ARMYと書かれたもの

の前でアメリカ人と思われる観光客が記念撮影をしていたが、どのような心境だったのだろうか。施設として珍しいの

はジャングルを案内されていると突然、銃声が聞こえてくる。演出のために銃声を流しているのかと思えば、銃の体

ができる施設から聞こえる本物の銃声だ。其処では短銃から機関銃のような連射できる銃まであり、値段によって選

べる銃が異なる。

私は昔のことだが猟銃を扱っていたので、お金まで払って銃を撃つことはないから素通りした。

トンネルの中を体験できると言うから先導の案内人について入ってみることにした。私の細い体がやっと入る幅の穴

に入る、1m位下に横穴がありそこから真っ暗な所を手探りで前に進むが、灯りはないから頭を打ったり顔をぶつけた

りしながら上がったり下がったりする。

時々、横穴がありベトコンはここに侵入してくる米兵を待ち受け、そこから攻撃する。身体の大きい米兵は殆ど身動き

できない状態でここまで侵入して、攻撃があればなす術はなく果てる。

多分、10mくらいの距離だったが10分近くの悪戦苦闘で出口についた。案内人は私を残しさっさと出てしまっていた。

アメリカが近代兵器を操出し戦った相手は超ローテクで翻弄してしまったから、叶わず絨毯爆撃だの枯葉剤によるジ

ェノサイドに走らせたものの、最後は自分たちの土地を守り通そうとする意志の強さが勝利を呼ぶことになった。

                           台所

                             司令部

                             地下病院

                    米軍の砲弾を再利用する様子

                     1970年、遅延型地雷で破壊された米軍戦車


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