食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『びらん/潰瘍の治療』

2016年02月20日 17時00分00秒 | 日記

今回の騒動の起点は胃・食道のびらん/潰瘍が悪性の癌ではないかとの疑念を持たれたことある。悪性の場合、

再手術を検討しても条件は厳しいものばかりで執刀するまでの具体案が立てられる見込みは非常に少ない。食道、

胃癌の元々の手術計画では胃の吻門部と食道下部を切除し小腸を代用するはずだったが、血流の関係から切除

後に胃を持ち上げて食道の再建をしている。仮に再手術をするとした場合、新たな癌患部を切除した部位の代用

をどうするのか、前回の手術で特に肺は癒着しているだろうから、その対応などなどハードルの高いリスクがオンパ

レードだった。

だが『悪性』から解放された今は最初に発見されたびらん/潰瘍の治療をどうするのかということになるが、逆流に

よる胃酸の影響を減らして自然治癒させていくことになるそうだ。医者からの指示は胃酸抑止剤の服用である。

服用後逆流に対する効果は大きく週に1~2回はあった軽度の逆流はほぼ0になり、頑固なレム睡眠も大きく改善さ

れた。以前、病院の待合室に貼られていたチラシのことを思い出した。『胃酸過多は睡眠障害と関係する。悩みの

ある人は是非、消化器内科に相談して下さい』確か鳥大医学部と協力の期間限定募集だったと思う。

私の睡眠の質と胃酸抑制剤に関係があるのかどうかは知らないが結果として関係している。

逆流は軽度のものだった事もあり術後の宿命として受け入れていたから主治医にも相談した事はない。術後、暫く

してから逆流の洗礼を受けていたが頭を高くすれば防げること、徐々に慣れて起こっても比較的軽度と感じていた。

恐らく逆流性食道炎と同じような過程を辿り、胃酸と何かの関係で縫合部辺りに悪戯をしていたようだ。逆流にもっ

と神経質になり先生に相談していたら結果は異なったかもしれない。


びらん:  皮膚や粘膜の上層の細胞がはがれ落ち、内層が露出している状態になること。 ただれ】


『2月8日、最終章 無罪』

2016年02月19日 17時23分22秒 | 日記

一連の騒動の時間を巻き戻せば12月8日の定期健診から始まり今日で丁度2か月を越え、もうこれ以上の苦しみ

や悩みは無いぞ・・・・是非ともそう願いたいと強く強く念じていた。もし『癌細胞があった』との説明を受けた場合、

有効な治療方法は残されているのだろうか、どのような生活になっていくのだろうか、こうしたことを考え始めると間

違いなく向かう方向は奈落になっていく。不真面目、不謹慎、何と言われてもいいから『無理やり考えないように

する』そして尻を叩き『癌に負けてたまるか、前を向け』と洗脳する。

だが、そんなことの繰り返しは所詮悪あがきに過ぎない。たった一言の『悪性』だけで負と思う方向に向かうしかな

いのだ。実際のところ振り子は時折、揺れていた。

朝、目が覚めると朝日が出ており空は青く穏やかではないか。

『天気のように晴れ晴れとした結果でありますよう』

人は太古の昔から困りに困った時は朝日に願い事をする。私個人は数えるくらいしかなかろうがお天道様は沢山

の人から今までに何回くらい頼まれたのであろうか。

病院に出向き受付を済ませると予約の時間より20分あまり早かった。待合所の椅子に座った途端に名前を呼ばれ、

出来るだけ平静を装って診察室に入る。

運命の一言は『いい結果でした』

 

 検査結果  ① びらん再生幽門腺粘膜

         ② 滲出懐死組織(びらん/潰瘍)をみる幽門腺粘膜

           悪性所見はみられない

呪縛から解き放たれた。それは12月8日の診察以前に戻っただけのことなのに新たに大きな何かを得たような気持

になっていた。病気をして健康の有難さは忘れたことはなかったはずではないのか。確かに安穏として病気のことを

忘れ去っていたのではないが、何もない事に慣れてきたのは事実であろう。

だが、不節制をして健康を損ねるようなことをしてきたのではないから、慣れることが悪い事でもない。

癌を患った者の宿命はこうした問題に当たった時、その圧力と闘い続ける気力を持ち続けることがNK細胞を味方に

つけ、そして癌に負けないと信じていくことだろう。


 


『1月25日、内視鏡再検査』

2016年02月18日 17時30分18秒 | 日記

粉瘤手術で傷口は未だ抜糸が済まない状態で内視鏡検査の日がやって来た。この冬一番の寒気に見舞われ

昨晩に積もった10cmほどの雪は車の轍痕がついても溶ける様子はなく逆にツルツルの状態を作っていた。こん

な日は普段通りに家を出ると、とんでもない事になるのは間違いないこと。いつもより30分以上早く出かけると町

の出口辺りからノロノロ運転になるが停車することなくスリップによる渋滞だけは避けられている。

最近の車の装着するスタッドレスタイヤは性能がよくなり少々の雪でもスリップしたりすることなく、結果として渋滞

で三竦みなんてことは少なくなった。

30分ほど早く出発、ツルツルの道をゆっくり走りやっと到着したのは8時15分、45分以上もかかっていた。普段の

倍以上だ。いつもだと通院客が診察受付機周りに沢山いるのに、こんな日だから出足は悪く比較的閑散としてい

た。いつも通う反対側にある消化器内科の待合室に行くと私が1番目。スマホを見乍ら待っていると、こんな悪天

候なのに内視鏡の受付に次々と受診する人がやってきた。前回の検査で胃カメラに対する恐怖は全く無くなった

ので、何一つとして心配することはない。心配そうに問診票や同意書に記入している人を横目に、完全に先輩面

をかました私。診察に呼ばれ喉を痺れさせる薬、注射を準備していると別室の患者さんがゲーゲーと声を出してい

るのが漏れてきた。『肩の力を抜いて』と要らぬお節介。

カメラを呑む時、先生が『えーえー』と声を出してみてと言われたので『えーえー』と言っている間にカメラが通った

ようだ。あとは力を抜いて楽に、楽に。

途中で『体に力が入っていないかチェック』随分と余裕のある心構えで検査は楽に終わった。検査結果の説明では

開口一番『癌細胞ではないと思う』

この一言で胸の閊(つか)えがとれ、ぐぐーっと『嬉』が近づいてきた。

その後、主治医の先生から説明があったが慎重な姿勢には変わりなく生検結果を見て判断したいような感じだった。

こうして疑いがあれば徹底的に疑って貰えるから有難い事なのだが、疑いがあることは私自身の不安につながるも

のだから疑いが強ければ不安を通り越えストレスになる。だからおかしい話だが先生が疑うことを手抜きすると患者

のストレスは薄れる・・・・だが、先生は容赦しないで疑って欲しい。

こうしたことの中にある本質を知れば医者と患者の信頼関係はより強固なものになっていくと思う。患者にとって一番

の幸運は信頼できる先生に巡り合えるかどうかだ。私はその幸運を手に入れている。

 

    検査目的 H21胸部下部食道癌、噴門部胃癌にて食道切除、胃体上部切除、胸部上部食

           道、胃管吻合術施行のPT

           12/21 EGDにて噴門部口側の潰瘍病変指摘

           生検は悪性(-)Follow精査

    所  見  噴門部潰瘍H2

           萎縮性胃炎、腸上皮化生

    コメント  噴門部潰瘍は前回同様、悪性所見見ないも生検2回

 

全ての不安を払拭できるのは今回も採取された組織の生検結果だけだ。

結果が出る2月8日は最大の決戦だ。


『粉瘤の破裂』

2016年02月17日 17時04分56秒 | 日記

今回の騒動を『ジェットコースターのよう』と称したが昨日は癌の疑いもあるかもしれないとした中で一転して魅惑

的なオーロラの話、今日は一捻り加わり別の病気に話が飛ぶ。


粉瘤(ふんりゅう)・・・皮膚の中に生じた老廃物が入った袋状のもので、袋自体が角質を

            作る細胞で出来ているために徐々に老廃物は増えていく。

            原因は不明とされるが毛穴の炎症、外相により発症することがある。

 

旅行に出かける前から背中の粉瘤(触った感じ2~3cm)が痒くなり時々、さすったりしていたが、この時点で手術を

すると抜糸もしないまま出かけることになり処置が難儀、状況からして何とか持ち堪えるのではないかと思っていた。

ところがカナダに着いた2日目、バンフで破裂してしまい膿のような臭い汁に血が混じって出てきた。

昔々、粉瘤が破裂した事で手術を受けたことがあり、こうしたことを経験していたので破裂したとしても慌てることなく、

膿などが下着に着かないようガーゼなどで押さえておけばいい。イエローナイフに移動する前日だったので向こうに

行ってから事前調査で分かっていた、ホテルの直ぐ傍にあるドラッグストアでガーゼや消毒液などの調達をすること

にした。イエローナイフのホテルに到着後、防寒対策をして恐る恐るホテルの外に出て通りを歩いてみる。道は以前

に降った雪が溶けることなくツルツルになっており時折、ゆっくりとした風が吹くと顔の露出したところが痛い。転ばな

いよう、自動車に轢かれないように通り1つ行ったところのドラッグストアで消毒液(オキシフル)を探してみるが英語表

記はどうなのか知らなかったので絵を見乍ら・・・すると分かるもんだ。

ガーゼ、消毒液をゲットしたから妻が医師となり、患部を押して中の膿を軽く押し出す。

日常生活をする上で困ることはないが患部に強く接触すると少し痛いこと、寝返りが不自由くらいで動作上の制限も

必要なかった。患部に大きな変化が起こらない程度の治療を続けたおかげで粉瘤が悪化することはなく帰国後の休

み明け1月18日に近くの外科医へ出向く。最近は掛かりつけの病院に行けと五月蠅く言っているので、いつもの市立

病院に行きたかったが仕方なく町医者に。

『粉瘤が破裂したようで治療をお願いします』

『うちでは治療できません。皮膚科の病院言って下さい』と断られてしまった。

病院の選定が悪かったのかどうか知らないが、こんな風に盥回しにされるから小さな病院には行きたくないのだ。大き

な病院はしょうもない病気で患者が溢れるのは迷惑な事だろうが・・・・私のように車で動ける人はそれでもいいが、そう

で無い人がこんな風にされたら別の病院に行くのも大変だ。

仕方なく市立病院に出かけ事情を説明したら形成外科に行くよう指示され優しそうな女医さんの診察を受ける。以前に

も別の病院で受診、手術を受けたことを説明する。

今日、手術をすることに問題はないかと問われ『そのつもりで来ました』

手術室の空きの関係から午後2時から手術と決まり時間があるのでいったん帰宅し軽食を摂り再び病院に向かう。

癌の手術を受けた時と同じ2階にある手術室に入る。大きな扉をくぐると幾つかの部屋に分かれている。前に見た時の

様子が思い出せず何処かの違う所に連れてこられたように思えた。一角の部屋に入ると小さな手術室で手術台は大勢

の医師が取り囲むような規模ではなかった。小さな手術専用なのかも。先生と看護師さん2人が私の粉瘤の始末をして

くれた。麻酔を打たれた後は背中の方で突っ張られたり、押されたり、30分ほどの手術で切除されたのは小指第2関節

までくらいの大きさの肉片、見た目はそこらで売っている安物の肉のようだった。後日の組織生検結果は良性。

1月27日に抜糸をして貰い約2週間ぶりの全身浴は最高だった。


それにして年末から次から次へと色々な事が起きるもんだと厭きれざるを得なかった。


『1月8日から15日、カナダ、イエローナイフにオーロラ観賞の旅』

2016年02月16日 17時00分00秒 | 日記

正月行事を終えるとあっという間にカナダへの旅立ちとなる。

ど素人の私がオーロラを写真に撮ってやろうという無謀な計画、-20℃~-30℃の極寒の地ではカメラの防寒対策

は元より星空を撮影するための技術をも要求される。そもそも一眼レフの知識はないがひょっとしてきれいな写真

が撮れるのではと、使い始めただけなのに、ハードルの高いオーロラ撮影は0からの勉強が必要だった。レンズは

ズームと望遠を持っているがオーロラ撮影では広角で明るいレンズ(F1./2.8など)がいいとか、露出を開放するレリ

ース云々など準備する物も多い。三脚にしても金属製のものを素手で触ると肌が金属に貼り付くこと、場合によっ

ては凍り付き使用不能になるなど想像もつかないことが注意すべきこととして列記されている。

シャッターを開放モードにして露出時間を変えるとどうなるのか寒い夜空で実験を繰り返す。夜空に今まで見向きも

しなかったISOの役割は大きく、これも変えてどうなるのか体験教育を繰り返し現場の環境と合う設定ができるように

ならないと写真には撮れない。調べてみると1回のシャッターでISOを3段階に変えて撮影してくれる便利な機能があ

ったりするが・・・・カメラのことで知恵熱が出そうだ。

最も大切なことは焦点を無限大に合わせておかないとオーロラがぼけてしまうことらしい。

星に焦点を合わせて星が1点になったらMF(手動フォーカス)にして焦点が変わらないようにテープを貼り付けておく

こと。また極寒の地ではバッテリーが直ぐに消耗するので予備を持ち、肌身離さず保温をしておくことも重要な事だ。

見よう、見真似の防寒対策と必要品の調達をして旅立った。

カルガリーからバンフに移動してカナディアンロッキーの冬景色を観光した後、カルガリーからイエローナイフまで

1,700kmを飛行機で2時間半の旅。この間は白い大地と凍った湖ばかりの見える景色、カナダは国民1人に1つの湖

あると言われるほど湖だらけの国だ。

イエローナイフは北緯62度の極寒の地、着陸しタラップを降り空港施設まで徒歩で向かうが、タラップを降りた途端、

氷点下20℃くらいの気温は寒いを通り過ぎ『痛い』と感じる。防寒のため飛行機を降りる前に防寒ズボンをもう1枚は

き、ダウンジャケットの上にはフード付きのオーバーコートにマフラー、毛糸の帽子と完全防寒のつもりだが肌が出て

いる所は寒さの洗礼を受ける。

到着したその夜がオーロラ見物初日。

ホテルから30分くらい離れた灯りのない施設で暖を取りながらオーロラの出没を待つ。

現地の係員が『弱いけどオーロラが出始めています』の声に心ときめかして外に出て見る。

空を見渡すがそれらしきものは見えない。『ほら、あの辺り』と言われてもオーロラはおろか霧状のものさえ見えないの

である。それでもと思いレクチャーを受けたシャッター速度20秒くらいで撮影してみるが空全体が薄緑色に映るだけで、

グラビアなどで見るオーロラは何にもない。何枚か写真を撮ってみたがうっすらとオーロラらしきものが写っているもの

を凝視しても『This is Aurora』とは言えない。

この日はこんな状態でオーロラを観たという気分にはなれなかった。もし、明日も明後日もこんな状態だったら遥か遠

方の日本からここに来た意味はなくなる、しかしそれを承知で来たのだから文句は言うまい。だが私は旅の運はいいか

ら必ずオーロラに出会うことは出来るはずだと勝手に思い込んでいた。

このツアーは変わっている。22時頃にホテルを出てオーロラ施設に行き2時ごろ帰路に着く。ホテルに帰り風呂に入り寝

るのは3時から4時くらいになり起床は10時から11時だから朝食は無い。もし早起きしたならば自分で勝手に朝食を摂る。

朝食兼昼食を食べて夜のオーロラ観賞まで自由時間でこの間にOPツアーとして、市内観光、犬ぞりツアー、スノーモー

ビルツアーなどに参加して楽しむ。

2日目のオーロラツアーは前日と異なる施設に向かう。施設に着いてカメラの準備をする。施設では暖房用のストーブが

ガンガン焚かれているから外で冷えたらここに戻り暖を取ってから再び外に出ていく。『オーロラが見え始めましたよー』の

声に、期待を込めて外に出る。遠くの方にオーロラらしきものが確認できる。写真を撮ろうと色々、手を尽くすが思うように

行かない。防寒用具はレンタルで上下の防寒服、防寒手袋、防寒靴。私自身はヒートテックのシャツ・2枚重ね、ヒートテッ

クのパッチ、カジュアルシャツ、セーター、ライトダウンを着た上に防寒服を着用する。総重量は約15Kg。

重い装備を抱えてオーロラの活発な活動を待っていると、遠くからユラユラと明るい光が移動してくる。それを皮切りにオ

ーロラのワンマンショーが始まった。大爆発というものではないらしいが最高時は昼間のように明るくなり、カーテン状の縁

にはピンク色や薄い赤が混じっていた。

オーロラは目でみると白っぽい霧や雲のように見える。だが明らかに霧や雲とは異なる。

これをカメラに通してみると緑色や白が混じったオーロラとして見える。運がいいと赤やピンクを見る事ができる。

百聞は一見に如かず、オーロラの魅力や神秘は拙い文字では説明しきれない。

手袋は2枚重ねでも凍傷になるくらい冷たくなり何度か小屋に戻りストーブで暖を取りながら撮影をした。準備したタイマー

付きレリースは防寒対策をしていたのに動作不能になり、簡単な手動レリースが活躍した。悪戦苦闘で写真は駄作ながら

200枚くらいは摂ることができた。カメラの防寒対策として安物のカメラケースを改造したものにフリースでカバーをかけ2重

構造のものを作ったが、設定を変えるなどの操作の際、手袋では非常に困難を極めた。結局、レンズを残してサランラップ

を何重にも巻くと外気と遮断されること、カメラの設定も容易にできる、またバッテリーの持ちもよかったので、これがベストの

寒だったと思っている。この夜は全員が大満足で疲れなど感じずにホテルに戻る。

3日目は昨晩ほどではなかったが十分堪能することができ、このツアーは大成功に終わり、おまけまでついた。カルガリー

に戻る飛行機の中でCAの方が『Northern light….right side』と教えてくれ、活発ではないオーロラをチョロッと観ることが

できた。 

その何枚かを披露します。



『12月28日、内視鏡検査結果』

2016年02月15日 17時45分19秒 | 日記

検査から結果の出る1週間は思ったほど落ち込むことはなく『癌だったとしても・・・決して諦めない。検査結果は願

いである良性の結果に間違いない』を念仏のように唱え洗脳していた。寝つきが極端に悪くなったとか夜中に目が

覚めて『癌だったら・・・』と禅問答をすることもなかった。

かと言って全てが順調に行っている時のような爽快な気分で過ごしていた訳ではなかった。

世間は仕事納めの日、病院に向かう道も完全に年末モードに入り車の通りも少ない。病院につくと、ここも日頃とは

異なり通院する人の数も極めて少ない。診察室の前にある椅子に座り呼ばれるのを待つ。

俎板の鯉、ジタバタしても仕方がない。

診察室に入り椅子に座るや否や『結果は悪性ではないようです。黒であることは直ぐに分かるけど白であることの証

明は難しい。だからこの結果でも手放しで喜べずグレーと考えられる。最悪の悪性結果はなかったので取り敢えず

は良かったことになります』

大きな条件付きとはいえ、これまで何度も『結果は良性でした』との先生の説明を唯一の希望にして耐えてきたことが

現実となり飛び上がらんばかりの嬉しさだった。


  臨床診断 胃癌再発の疑い

  所  見   組織2片。いずれも幽門腺型の胃型粘膜で、びらん再生変化がみられる。

         粘膜固有荘は浮腫状で軽度の好酸球の浸潤も伴っている。1片はびらん

         面も採取されており、びらん面の肉片組織には異型な細胞が散在性に認め

         られるが反応性の間葉系細胞の可能性もあり、明らかな腫瘍細胞の浸潤と

         は判定できない。以上、標本上はびらん・びらん再生変化が基本であり、

         腫瘍細胞の浸潤は明らかではないように思えるが、臨床的に悪性が疑われ

         るのであれば再検を要する。

 

詳細はディスプレーに表示された報告書に沿って説明された。私の場合、鳩尾辺りまで胃を持ち上げて食道としてい

るので異常があれば食道ではなく胃に症状が出ていることになる。報告書では胃癌の疑いとあるから残存する食道で

はなく食道としている胃に症状があるとしている。

びらん再生変化・・・いつ頃からか時期ははっきりしないが治癒、再発の繰り返しをしていたことが考えられる。先生の

慎重姿勢には変わりなく限りなく0に近い確証を得るためには再度、内視鏡検査をすべきと説明があった。

内視鏡検査はもはや苦ではなく必要とあらば何度でもOKであるから軽口を叩くが如く『いつでもOKです。胃カメラは

上手になりましたから・・・』

胸のつかえがとれ久しぶりに平穏な日常を取り返したような気分になったが最終試験となる内視鏡の再検査は約1か月

後の1月25日となった。普段は電源の入っていないスマホの電源をいれ妻に『無罪』の報告をして喜びを分かち合う。

取り敢えず、世間の一員に復帰して正月準備に取り掛かる気分が満ち満ちてきた。


『12月21日、内視鏡検査(1回目)、食道に潰瘍』

2016年02月14日 18時10分02秒 | 日記

この日に辿りつくまでの日々は『SCC検査でも大きな異常はなかったし、体調の変化もなかったことだから癌の再発

はあり得ない』『SCCなどは傾向をみるものだから直接の判断材料にはなりえない』

都合のいい方向に誘導しようとすると振り子が何かの拍子で逆の方に振られてしまう。行ったり来たりの繰り返し、

その間に決心していた楽にカメラを呑むとの方針にも不安がのしかかり、頭の中は羊が駆け巡る。するといつもの

『何があっても、這い上がり、プラス思考で行くぞ』と隊長の号令がかかり『前向きSW』がオンになる。

内視鏡検査の受付はいつも通っている消化器外科のすぐ横の方にある。内視鏡検査に対するリスク受け入れの承諾

書を提出はいつもの通り。名前を呼ばれゼリー状の喉痺れ薬、造影剤のような注射を打ち準備は『整いました』

暫くしてから診察台に行き、横向きになり膝を曲げて『思い切り力を抜く』を励行。

『始めます』の掛け声がありカメラが喉の方に入れられる。『力を抜く』

すると、カメラはスルスルと入って行ったようだ。ここから大事なことは時間と共に抜いたはずの力が後戻りしてくること

に注意しなければならない。気を抜くと肩にその兆候が表れてくるから『力を抜いて』

暫くすると専門用語の中に『ルゴール』が聞き取れた。食道がんを診断する薬で癌があると反応するものらしいが、詳

しくは知らないし調べていない。『何か悪いものでも見つかったのか、単なる検査なのか』

また暫くすると『組織採取らしき言葉』があり、それらしき操作があったように感じた。『どうやら、何か見つかり生体検査

されるようだ』くらいの察しはついた。

喉の方が多少、きつく感じるようになったが『力抜き作戦』は功を奏し苦しくて我慢できない状態にはなく、以前の事を

思えば楽勝ものといってもいい。

『終わりましたよー』と同時にカメラが抜かれ本当に安堵した。

診察台から降り先生の『こちらに』の声につられてディスプレー前の椅子に座る。

『食道に潰瘍があります。検体採取しましたので悪性かどうか検査します。』とあっさりとした説明。やはり何かあったの

だ。『潰瘍』という言葉だったから『腫瘍』とは異なり癌ではないと理解したいし、無理やりにそう思いながら主治医の先

生の判断を仰ぐことにした。

先生にとっても青天霹靂、まさか食道にこんな異変があるとは予測もしていなかったのだから、いい方向に考えることよ

り最悪の道を辿らないような手段を探り出すことが最優先。だから、私の悩みの『潰瘍』『腫瘍』なんてことはどうでもよく、

癌の再発であった場合に思いが行っていた。一度手術をしているから肺や食道などが癒着しており再手術は困難を極

める。もし実施するとしても大学病院のような大きな所であらゆる状況変化に対応できるチームを組む必要がある。そう

した場合でも落命のリスクも伴うかもしれない。

先ほどの内視鏡検査の結果だけで直ぐに今後の対応があるはずはないが先生としては万が一に備える、つまり臨戦モ

ードに入るような雰囲気があり、私もそこに飲み込まれそうになっていた。空元気もどこかに失せて『悪いことは考えない

ようにしよう』と細々とした思考がひっそりといた。

 昨日は後輩の不慮の事故死による告別式、今日は今日で『食道に癌かもしれない』の検査結果は正にクラシックな不

幸の連鎖、天中殺だ。今のところ、振り子は大きく『不安』の方に振り出されている。

『潰瘍』の原因の一つとして胃液の逆流がある。近年は大きな逆流はないものの軽度のものは術後から続いている。胃液

による炎症を防ぐため胃酸抑制の薬を服用することになった。しかし、この薬は潰瘍が治癒するものではなくあくまでも予

防の補助である。

【ここでは食道に腫瘍・潰瘍の表現をしているが癌治療の手術で食道切除、胃との縫合をしている。症状が出ているのは

縫合部のため癌の疑いは胃癌になるのか食道癌になるのか聞いていなかった】


『後輩の交通事故死』

2016年02月13日 16時46分40秒 | 日記

内視鏡検査を受ける日が近くなり強気、空元気の私も少しナーバスになっていた。交通事故死などという知らせは、

どんな立場にいる人であろうが容赦なく届けられる。私が仲人した将来を嘱望される後輩がバイクで転倒事故、対

向車と衝突して落命したとの訃報が元の職場の仲間からあった。いつものように年に一度の挨拶としてやって来る

彼の家庭からの年賀状にはよく子供の写真が載せられていた。この時すでに私は行先のなくなった彼への年賀状

も書き終えていた。子供は大きくなって奥さん共々、平和に暮らしている姿しか浮かび上がらないのに、はっきりし

ているのはお通夜と告別式の日程だけだ。

自分の運命も他人の運命も一寸先は闇で見ることは出来ない。

お通夜の日、久しぶりの再会は無言の再会、『馬鹿たれ』と亡骸に向って叫んだ。普段と変わらない穏やかな顔は

私の怒りに応えることなく穏やかさを保ったままだった。

親よりも先に葬儀を出すほど親不孝なことはないなどと声を掛けても何の慰みにもならないのに、それを言うしかな

かった。

『人は生まれてきた時に1人1本のロウソクを与えられます。その火がいつまで燃え続けるのかはその人の定めによ

って決まるものです』と和尚さんの説教。

優秀で将来のある後輩が突然に逝き、老兵は癌ではないかと不安と闘う。

運命、この一言の意味するもの何だろうか・・・・・・


『CT検査、食道がやや肥大』

2016年02月12日 18時23分45秒 | 日記

12/8 妻が『今日は健診の日』と慌ただしく私に起床を促す。幸い食事前、CT撮影の絶食には抵触しないから慌

てて病院に行く準備をする。病院では血液検査、CT検査を受けた後に診察がある。然したる混雑もなく順調に診

察となり結果について説明があった。

『血液検査SCCは1.4ですから基準ギリギリですがクリアしています。CTは肺気腫の治癒の跡が残っていること・・・

それに食道が前回より少し肥大しているとの結果です。手術痕は平坦に見えるとのことですから念のために内視鏡

査をしておきますか?』

とまず『青天の霹靂』の第1弾。その時、画面に映し出されたCT検査の結果報告書に基づいてのものだったが、予

想外の出来事で頭の中は未整理の状態、目から入って来る活字の情報と先生の説明を理解する回路が遮蔽され

てしまっていた。

 

    ****** CT検査結果  ******

   検査目的 H21.10.9胸部下部食道がん、吻門部胃がんにて開胸開腹食道切除、胃体上部切除、胸部上部食

          道、胃管吻合術施行

   所   見 2015.7.25 胸腹部CTと比較

          胸部上部食道はやや肥大している。吻門部は平坦に見えるが内視鏡検査所見と対比のこと。縦隔リ

          ンパ節腫大なし。両肺に気腫性変化在り前回同様。肺野に明らかな腫瘤影,浸潤の出現はなし。

          胸水なし、胆のう摘出後、肝、脾、腎、副腎変化なし。

    コメント 明らかな再発、転移の所見は指摘できないが胸部上部食道の拡張が前回よりやや目立つので念のた

          め食道術後吻門部の内視鏡での確認が望まれる。

 

そもそも、あるべきこれからのスケジュールは、年末に向けての行事を終え、気分新たに新年を迎え、1月8日から8日間

カナダのイエローナイフでオーロラ見物する。我が家の年末年始の行事として餅つき、忘年会、新年会を行う準備には

かなりの力を入れているから暫くはこちらにパワーを振り向ける必要がある。

また、オーロラ見物では氷点下数十度の中で写真を撮るための準備も大きなテーマで人間の防寒対策に加えカメラの防

寒にも工夫を要する。これらの事に『ああして・・・こうして・・・』と、答えの出ないパズルのようにネットで調べては必要機材の

購入、加工しながらベストを尽くせるよう準備をしていた。

誰しも胃カメラ検査を好んで受ける人はいない。往生際の悪い私も同様に出来れば避けたい強い意志が幾つもの煩悩と

共にへばり付いているが、事が事だけに拒否して押し通すことは出来そうにないと観念する。

最初はこのまま正月を終え、一連の予定を終えてから検査という説得性のない代案を提示してみた。すると先生は『検査

は早い方がいいから・・・・』とパソコンに向かい内視鏡検査の日程を調べ

『来週の月曜日にしましょう』

元より抵抗する理由はないし渋々ながら了承した。

H21年10月9日に食道・胃の多重がん手術を受けて丸6年経過、これまでの定説では5年生存率で定めが右左に分かれる

とされてきたが、最新のニュースでは10年生存率で判断するとしたデータが示された。ただ、データの採取期間が古いこと

もあり現状はもっと改善されているはずで落胆することはないとのエールを送る論評もある。

しかし、がんを患った者にとって何年たっても安全領域に逃げ込むなんてことは夢物語、何かの拍子に癌の再発が頭を過

ることもある。今回のような状況だと寝ていた子を起こすように一抹の不安が湧き上がるのは当然の事だが、直ぐには『癌の

再発』と心配するまでには至らなかった。

胃カメラは食道がんの手術を受ける前日に呑んだことはあるから、それ以来のことになる。それはあまりいい結果が脳裏に擦

込まれていなかったから心中は『苦しいから耐える』このことに尽きた。すると先生は『全身の力を抜いて楽にしていることで

すよ』と極、当たり前のことをさらりと言い放った。思い返せば自分なりの成功体験として『カメラを飲み込むように息を吸い込

むと楽に入る』としていたが、その後は体に力が入り金縛りのような状態を覚えている。

そこで、今回は先生のアドバイスのように『全ておまかせ定食』、私は楽にして成り行きに任せ、途中々で『楽にして』と力を抜

くことを言い聞かせる。


ハッピーエンドの2015 to 2016

2016年02月11日 22時00分52秒 | 日記

2015年12月8日の定期健診は年末年始の2か月間を負のスパイラルに落とし込むジェットコースターのようだった。

いつもの流れでCT検査は異常なし、血液検査はSCCが若干の上下が見られるとの結果を貰って、世間と同じく年の

瀬を迎えるはずだった。 ところが実際の流れは

 ① 12/8 CT画像で食道が若干肥大、内視鏡カメラ検査で確認要

 ② 12/21 内視鏡検査、食道に潰瘍あり、組織採取し生検

 ③ 12/28 生検結果、悪性は認められないが臨床的に悪性を疑う場合は再検査

 ④ 1/25  2度目の内視鏡検査、所見として悪性はみえない、組織採取

 ⑤ 2/8 生検結果、悪性所見はみられない

と、希望に満ちたとは言えない重苦しい、逃げ道のない道を叱咤激励しながら通り抜けた。 いつ塀の内側に落ちても

不思議ない状況の中にありながら常に『何があっても必ず這い上がる』と自分に言い聞か せていた。この2か月の間

には後輩の交通事故死、年始明けには予てから計画していたオーロラ見物ツアー、背中の 粉瘤が破裂し切除手術と

様々な事が綾取りのように絡み合っていた。 この間にあったことを後追いながら綴ることにした。


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