第三章 世界を駆けめぐる
アマチュア無線は今も進行形の趣味であり、これは魚釣りや狩猟と異なり家にいて
気経に楽しむことができる。近隣の人と話ができる144メガサイクルが最も簡単だが、
それでなくても狭い世間に暮らす私たちのこと、話が筒抜けになるので144メガでは
殆ど交信しない。私は、外国とのモールス信号を使った交信を楽しんでいる。交信
範囲は時期や条件によって変わるがほぼ全世界と交信できる。距離で日本から一
番遠くにあるのは南米、ウルグゥアイでおよそ200000km。
交信は全て英語を使われる。勿論のことソビエトや東欧諸国と交信する時も英語。
英語と言っても交信する内容が固定している場合が大半で、親しい知人ができると
簡単なやり取りをする程度のものだから、英語が話せないからと構える必要は全くな
い。無線の楽しみ方は色々あるが私は外国との交信(DXと言う)を専門にしている。
以下の原稿は私が所属する無線クラブの会報に投稿したものである。
CW狂いのニューカマー (CW=モールス信号による交信)
この度、OM(Old Man、ベテラン)揃いの無線クラブに入会させて頂くことになり大変
喜んでいます。何分にも不束ながさつ者でして、姑から『出来の悪い嫁』と小言を言
われる嫁さんの心境です。幸いにもクラブの方々とはQSO (交信)、アイボール(出会
うこと)の機会に恵まれ以前から会費免除の会員のような気がしておりました。開局は
昭和61年6月で本格的にQRV(運用)し始めたのは62年3月にHFの設備を整えてから
のことです。私とCWの結びつきは古く今から27年も遡ります。とても純真な高校生の
時に習い資格を取得していましたが卒業以来、衰退の一途をたどり、やがては習った
ことがVSOPのように蒸発してしまいました。在学中ですら電波を出したことは一度た
りともなく、無線は通信手段の一つだったと実感したのは、つい最近の事です。
人には色々な『虫』が潜んでいます。身に覚えのある方はホレ、小指の方とか、また
『きょうは真っ直ぐ家に帰るぞ』と決心していながらついつい暧簾をくぐらせてしまう、
そんな虫です。
資格取得後、26年も放置していながら40の手習いの域に達した時、無線の虫が、
ひょっこりひょうたん島となったのです。さて、世の中には今でも不幸の手紙を出す
けしからん奴と、それを受け取る人がいます。これはアマチュァ無線の世界にもある
んですね。不幸のCQ(更新相手を探す)を拾う人が。人呼んで21メガ带の牢名主、
A OMが何やらいわくのありげなCQを拾つたばかり、この私と関わりができてしまっ
た。しかしそれは私のDXの始まりでもありました。心より合掌。
DXの楽しさを語るなど釈迦に説法ですがバンド(周波数带)や目的の持ち方によっ
て楽しみ方は様々なようです。しかし究極の目標は可能な限り多くの国と交信しQ
SLカード(交信を証明する相手局カード)を手に入れることではないでしょうか。結
局、欲タレが多い?
ある程度、数を得てからは大きな壁があるようで、これをどう破るかという難儀な問題
に直面します。心の狭い私など何回数えても同じなのに、ひょっとして数え間違いし
ているのではないかとまた数えたりして断末魔の状態です。
短い私の経験から得た交信国の増加に必要な条件を纏めてみますと
◎ 情報交換の場を持つのは good
◎ こまめに聴く人とネットをもつのは better
◎ パイルの中でちょこざいにQSOするせこい性格は best
幼少のみぎり、婆やが話してくれた外国航路のこと、異国のマドロスさんのこと、そし
ていつの日か、かの地で異邦人と夢を描いたものです。それは知らぬ間に現実に流
されたのですが今、DXという形で夢を追い始めました。
アフリカの砂漠を越え、戦火うごめく油田地帯を越え受信する、かすかな信号の裏に
いるオペレ—タに想いをはせFB DXと悦にいる今日この頃です。
偉そうなことばかり書きましたがOMさんに一歩でも近づこうと精一杯の背伸びをして
おります。どうかよろしくご指導をお願いします。
(昭和63年6月号)