要害山は山吹城のあった所で標は400mあまりの急な山だ。
その日の冷え込みは厳しく、昼間に溶けた雪が夜中に凍り歩くとバリバリと大きな
音がした。Tさんと山頂目指して階段を上がっていく。それは急な道で、築城の際、
石垣用の石や材料をどのようにして運んだのだろうか、鉄砲と僅かな荷物しか持た
ぬ我々でさえ、ハーハーと息を切らしているのに。
山頂に着くと奥に石垣の跡があった。そこに一歩足を踏みいれて見たものは、ブル
ドーザーが泥をひっくり返したような跡で仕業は猪だった。餌をあさる為に堀り返し
ていたのだ。この食み跡を見つけたことでクロの運命を変えた。
ここから降露坂(ごうろざか)に出ていく尾根筋を見切り、犬を入れる段取りが整い全
員配置についた。犬を放してから20分ほどして谷の方から犬の鳴き声がする。どうも
1ヶ所から聞こえてくる。無線で連絡をする、『どうも同じ所から動かないようだ、行っ
て見た方がいいと思うが』そこにはワナに掛かった猪がおり、犬はそれをめがけてワ
ンワンとやっていた。他人のワナにかかったものを盗る訳にはいかない。犬を連れて
再び私たちの猟を開始した。
私は遠くで待ちをしていたので連絡や銃声など何も聞こえなかった。もう大分、経っ
たし様子を聞くため尾根まで行き連絡を取る。『犬がやられた、直ぐこちらに来て』と
殺気立った声がした。要害山の参道を降りる途中でチャコに出会った。捕まえて良く
見ると、チャコも首筋に猪に刺された牙の跡がある。
『チャコもやられているそっちの様子は』
『チャコもか全部だ。特にクロがひどい』
集合場所に行くと、クロはいたる所を裂かれたり、突かれており全身血だらけ、ランは
咽喉の所がひどく、タケは頭の皮がめくれ頭蓋骨が出ており、この中で軽傷なのはチ
ャコだけだ。タケは妊娠しておりあと1ヶ月もすれば出産の予定だった。
少し離れ場所に黒い猪が転んでいたが誰も見向きもしないで犬の心配をしていた。
犬は尾根でこの猪を起こし下に向けて追った。上から下までモウソウ竹がビッシリと茂
り身動きが取れないような、荒れた山の中を猪と犬は絡み合いながら落ちた。
途中、猪に取っては要塞になる場所があり、そこで明暗を分ける結果になった。銀の試
掘坑だろうか、岩が繰りぬかれ後は堅固で敵は来れない、中には水が溜っており猪が
身体を冷すのに十分、前は身動きが取れない竹薮、追われた猪にとってこれ以上ない
条件の場所で戦いが繰り広げられた。
雄の牙は触ってみると手が切れるように鋭利ではないし先も傷がつくようにとがっていな
い。しかし、あの柔らかい犬の皮はかみそりで切ったように切れ、弾力性のある腹や咽喉
はスッポリと穴があく。犬が腹を裂かれて腸がはみ出したりすることはよくある。
リーダーが遅れてそこに着いた時は、竹の 1メータ位の所に吹き出した血がいたるところ
にあり正に地獄絵だったと言う。掻き分けて進むと猪と犬が向かいあい、つっかけていた。
猪は身体半分を穴の水につかり万全の体制でいた。
狙いをつけて仕留めたのはそのすぐ後のことだった。
リーダーが松江の病院に連れていきそれぞれの治療をしてもらった。ク口は自分で歩き比
較的元気だったが数十ケ所の傷を治療するため、全身麻酔を打った。医者もそれを心配
したが、意識を取り戻すことなく遂にそのまま他界してしまった。リーダーは、犬は働きのい
いものが猟犬として価値がありそれ以外は屑だと、よく言っていた。そういう意味からいえ
ばクロはいい犬ではなく、つまらないとも言っていたが家に帰る時、涙が止まらなかったと
後で聞いた。クロは翌日、要害山の麓に墓を作りそこに眠らせた。
他の犬は大怪我をしながらも、翌日になってから病院に連れていき治療したが、命に別状
はなくその後、妊婦のタケは無事に出産した。