食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『震災鎮魂の旅、中越地震Ⅰ』

2013年06月23日 18時48分14秒 | 旅行

ネットで何かを調べていた時、『皆川雄太ちゃん10歳』の記事が目に入った。中越

地震で親子3人が土砂崩れに巻き込まれ、当時2歳だった幼児が奇跡的に救出さ

れる瞬間をTVで観ていたことを思い出した。あれからもう8年も経ってしまっている

のかと時の早さに驚かされた。と同時にあれほど大きな災害だったのに私たちの関

心事の端にも入っていないことに気付いた。

それもそのはず、東日本大震災でさえたったの2年3か月しか経っていないのに、

語られる機会は滅法減り、風化とまではいかないが忘れ去られつつあるのではない

かと、思いついたのが今回の旅の発端だった。

丁度、道中に長岡市があるから中越地震の跡地でも供養してこようということになっ

た。親子3人が被害にあった妙見、自然湖ができ水没した木籠地区、旧山古志村

の3箇所を目的地とした。それを総括できるのが『きおくみらい長岡地震アーカイブ

ス』で、ここに行けば詳しい情報が得られるかもしれないと出向いてみた。駅前の立

派なビルの一角に作られた施設だが、私たちのような個人より団体で研修を受け

ような施設に見受けられた。多数の椅子があり映像室も準備されていた。

係の人に妙見メモリアルパークへの行き方を尋ねたら、震災の各メモリアルパーク

を紹介するパンフレットを呉れた。何処から来たのですか、と問われ『島根県です』

と答えるとビックリして『島根の人は初めてです』

時間はあったので子供が救出された妙見メモリアルパークを目指して、車を走らせ

る。私の記憶では中越地震は小地谷市、旧山古志村この二つの地域で大被害があ

り、長岡市などでの被害はさほどではなかった。

長岡市内でも多少の被害があったとして8年の歳月は、その姿をこれっぽっちも残し

てはいないだろうから、何も見えはしない。

ナビに近隣の情報を入れ、30分ほど走りやってきたが、それらしき献花台やメモリア

ルパークと呼ばれるようなものは見つからず、バックして役所の出先で場所を確認、

先ほどの所をもう少し先に行けば妙見メモリアルパークだという。

こうした場所は画像で見たものを頭で考えて、実物を探すがイメージが強すぎて実際

とは異なっている場合が多い。今回もそのケースで、わたしはもっと広い場所で今で

も献花が絶え間なくあるのではないかと思っていたが、実際には小じんまりとしたので

メモリアルパークと言うには余りにも貧弱に思えた。

しかし、犠牲者のことや被害のことを忘れまいとする施設だから、立派なものである必

要もないのである。私たちはあの災害現場の側面に作られた献花台から現場を見た

が、大きな石があり周囲は草や低木が蔓延り、TVで救出劇の現場を思わせる面影は

何一つとして残されていない。オレンジ色の服を着たハイパーレスキュー隊員が余震

で崩れる合間を縫って、ようやく優太ちゃんを抱き上げた。その姿はおしめを纏い隊

員の手渡した毛布か何かでくるまれた。

その時点で、土中の車の中に生命反応があると報道されていたので、母娘の救出に

期待をしていたが、結果は残念な事だった。

当時は山の尾根から川まで大きな岩で覆いつくされていたが、崩れた山肌は崩落防

止を施され、道を開通させた。道路から下は当時とあまり変わらないが、災害現場は

雑木などで面影はない。線香に火をつけて、残念ながら救出されなかった母娘の霊

に『安らかに、優太ちゃんは10歳になりました』と念じた。

 

             岩の向こうが救出現場、手前は献花台

                    右上から崩落

                     川の対岸


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