昨日、夢ナビライブで、「江戸のアイデアを現代に」という講義をしてきました。
参考文献名などはあえて掲載せず、気になった言葉を記憶して検索しなさい、と言ったのだけれど、いくつかの情報をここに出しておきますので、ヒントにしてください。
先日の授業でも、“検索=ググる”みたいなことが一般化していて、論文検索や古典の画像検索など思いもよらない風だったので、それに対する補足の意味もあり。
ちょうど今朝、飯倉さんのブログ記事がツイッターで話題になっていたのもあり。
講義の最初、この画像から始めましたね。
浮世絵は、“ただの美術品”ではありません。版画としての技術も大事だけれど、もっと大事なのは、“何が書かれているか”ということ。
この絵は、「百人一首絵抄」という題があって、有名な田子の浦の歌がついていますが、風景画ではなく、美人画です。
なぜ?
と言う話。
そこから、
こんな写真をいくつか見せて、このひと。
池ヶ谷智宏さんには、授業でお話しいただきました。
いくつかの作品を紹介しながら“見立て”と言うことの現代に於ける可能性みたいな話を。
なお、池ヶ谷さんの個展が11月12日(火)から始まります。
15日にはトークもありますので是非。
関連で紹介したのは、山東京伝の『悟道迷所独案内』『小紋雅話』『手拭合』など。
おっと、ふじ屋さんの手拭い現物も。
それぞれ、探してみてください。
とりあえずグーグルで検索してもいいんですが、たとえば国会図書館や国文学研究資料館、早稲田大学など、特別な情報収集・整理をしているサイトを活用できるようになると、研究、と言うか勉強が格段に進みます。
上の方で触れた日本文学研究の国際化と言う問題は、まさにこうしたサービスの普及とリンクしているのですね。
ここで紹介したのはほんの一例です。
今や、国の機関のほか、県・市・大学等の図書館・博物館には、必ずと言っていいほどそれぞれに特徴のあるコレクションをweb上で公開するサイトが存在します。
そればかりか、海外でも日本文学や美術の大きなコレクションを公開しています。
たとえば、バージニア大学・ピッツバーグ大学とか、ボストン美術館とか。
どこに何があるか、そもそも世の中に、どんな資料が存在しているのか。我々の学生時代は冊子体の目録や先達の情報が頼りでした。いまは、どんな人でもアクセスできる状態で、大量に提供されています。
だからこそ、それを使いこなす力が必要なわけです。
話戻る。
日本文学の話のはずが、ビジュアルの話ばかりでしたが、大学で学ぶ“文学”は、もしかしたら詩歌や小説、戯曲といった、高校生までのイメージとは初分違うものかもしれません。
どっちが上、とか言う問題ではなく、昔の人たちが表現してきたものから、今の私たちが学ぶことはまだまだ沢山あるよね、と言う話でした。
なお、当日私が持っていた鞄はうさ樹さんの作品です。
参考文献名などはあえて掲載せず、気になった言葉を記憶して検索しなさい、と言ったのだけれど、いくつかの情報をここに出しておきますので、ヒントにしてください。
先日の授業でも、“検索=ググる”みたいなことが一般化していて、論文検索や古典の画像検索など思いもよらない風だったので、それに対する補足の意味もあり。
ちょうど今朝、飯倉さんのブログ記事がツイッターで話題になっていたのもあり。
講義の最初、この画像から始めましたね。
浮世絵は、“ただの美術品”ではありません。版画としての技術も大事だけれど、もっと大事なのは、“何が書かれているか”ということ。
この絵は、「百人一首絵抄」という題があって、有名な田子の浦の歌がついていますが、風景画ではなく、美人画です。
なぜ?
と言う話。
そこから、
こんな写真をいくつか見せて、このひと。
池ヶ谷智宏さんには、授業でお話しいただきました。
いくつかの作品を紹介しながら“見立て”と言うことの現代に於ける可能性みたいな話を。
なお、池ヶ谷さんの個展が11月12日(火)から始まります。
15日にはトークもありますので是非。
関連で紹介したのは、山東京伝の『悟道迷所独案内』『小紋雅話』『手拭合』など。
おっと、ふじ屋さんの手拭い現物も。
それぞれ、探してみてください。
とりあえずグーグルで検索してもいいんですが、たとえば国会図書館や国文学研究資料館、早稲田大学など、特別な情報収集・整理をしているサイトを活用できるようになると、研究、と言うか勉強が格段に進みます。
上の方で触れた日本文学研究の国際化と言う問題は、まさにこうしたサービスの普及とリンクしているのですね。
ここで紹介したのはほんの一例です。
今や、国の機関のほか、県・市・大学等の図書館・博物館には、必ずと言っていいほどそれぞれに特徴のあるコレクションをweb上で公開するサイトが存在します。
そればかりか、海外でも日本文学や美術の大きなコレクションを公開しています。
たとえば、バージニア大学・ピッツバーグ大学とか、ボストン美術館とか。
どこに何があるか、そもそも世の中に、どんな資料が存在しているのか。我々の学生時代は冊子体の目録や先達の情報が頼りでした。いまは、どんな人でもアクセスできる状態で、大量に提供されています。
だからこそ、それを使いこなす力が必要なわけです。
話戻る。
日本文学の話のはずが、ビジュアルの話ばかりでしたが、大学で学ぶ“文学”は、もしかしたら詩歌や小説、戯曲といった、高校生までのイメージとは初分違うものかもしれません。
どっちが上、とか言う問題ではなく、昔の人たちが表現してきたものから、今の私たちが学ぶことはまだまだ沢山あるよね、と言う話でした。
なお、当日私が持っていた鞄はうさ樹さんの作品です。
おっと、そんなわけで、匿名でかまいませんので、感想や質問をどうぞ。
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