私は現在、ここ何年の中でも(記録面からみた)ランニング熱が復活していると感じていますが(館山は…でしたが…(苦笑))、過去23年間のランニング生活の中でもそのような時代が何度かあったかと思います。
いつ、そんな「景気の良い」時代があったかと振り返ってみました。(あ、景気とはあくまで特に記録面で気合いを入れていた、という意味です。それ以外の時期もランニングは続けていましたし大会にも出場していました)
まずは1994~1995年シーズンの「東京シティ景気」(景気名は勝手に命名(笑))かな…? この頃は面白いようにタイムが伸びていた時期で(私もまだまだ若かったですからね…(笑))、当時開催されていた東京シティハーフマラソン(実質的には東京マラソンの前身大会)にも初当選して気合いが入っていた時期でした。事実、タイムもハーフ1時間31分まで伸びていました。(その後、右膝を故障してしまい苦しい時期にもなりましたが…)
次に燃えたのが1997~1998年シーズンの「初マラソン景気」。初(フル)マラソンとしてつくばにエントリーしたため気合いを入れて練習。初マラソンは3時間59分と劇的なサブフォーを達成! またハーフでは初めて1時間半を突破した時期でした。
さらには1999~2000年シーズンの「師匠越え景気」! 当時目標としていた先輩に勝つべく必死に練習。2000年3月の荒川市民マラソン(現板橋Cityマラソン)で先輩越えを達成しタイムでも初サブ3.5を達成してこの記録は現在でも自己ベストとなっています。
その後はしばらくは良くいえば安定した、悪くいえば平凡な時期が続きましたが、改めてフルマラソン自己ベストを目指した2008~2009年シーズン、「長野マラソン景気」が訪れたのです。目標とした長野での自己ベスト達成はなりませんでしたが、館山、荒川で連続サブ3.5を出すことができました。
結果的に「長野マラソン景気」が最後の景気(絶頂期)となり、その後は長く不況が続いた訳ですね…(笑)
そして2015年。果たして横浜、長野で「ヒデノミクス景気」が訪れることはできるか…? 何はともあれがんばることとします!
いつ、そんな「景気の良い」時代があったかと振り返ってみました。(あ、景気とはあくまで特に記録面で気合いを入れていた、という意味です。それ以外の時期もランニングは続けていましたし大会にも出場していました)
まずは1994~1995年シーズンの「東京シティ景気」(景気名は勝手に命名(笑))かな…? この頃は面白いようにタイムが伸びていた時期で(私もまだまだ若かったですからね…(笑))、当時開催されていた東京シティハーフマラソン(実質的には東京マラソンの前身大会)にも初当選して気合いが入っていた時期でした。事実、タイムもハーフ1時間31分まで伸びていました。(その後、右膝を故障してしまい苦しい時期にもなりましたが…)
次に燃えたのが1997~1998年シーズンの「初マラソン景気」。初(フル)マラソンとしてつくばにエントリーしたため気合いを入れて練習。初マラソンは3時間59分と劇的なサブフォーを達成! またハーフでは初めて1時間半を突破した時期でした。
さらには1999~2000年シーズンの「師匠越え景気」! 当時目標としていた先輩に勝つべく必死に練習。2000年3月の荒川市民マラソン(現板橋Cityマラソン)で先輩越えを達成しタイムでも初サブ3.5を達成してこの記録は現在でも自己ベストとなっています。
その後はしばらくは良くいえば安定した、悪くいえば平凡な時期が続きましたが、改めてフルマラソン自己ベストを目指した2008~2009年シーズン、「長野マラソン景気」が訪れたのです。目標とした長野での自己ベスト達成はなりませんでしたが、館山、荒川で連続サブ3.5を出すことができました。
結果的に「長野マラソン景気」が最後の景気(絶頂期)となり、その後は長く不況が続いた訳ですね…(笑)
そして2015年。果たして横浜、長野で「ヒデノミクス景気」が訪れることはできるか…? 何はともあれがんばることとします!
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