「成人」ランナー“フル完走112回”ひで会長の日記

フルマラソン完走112回まで到達! ランナー生活32年、ランナーズマイスターのシン・ランニングクラブ会長マラソン日記

思い出のレース記 2009年4月 長野マラソン編その3

2012年04月09日 | マラソン(ミニシリーズ、過去の記事)
長野マラソンまで6日となりました。今週は練習もほどほど(ジョグ程度)に、ともかく体調管理に努めていきたいと思います。
さて、本日は2009年の長野マラソン回想記、完結編です。さて、覚悟のレースの結末はいかに…。


強い覚悟を持って挑んだ2009年の長野マラソン。
しかしスタートから5kmにてまさかの吐き気が襲うというアクシデントが…。この吐き気は10kmくらいまでの間続き、早くも目標達成が微妙な情勢となってしまった。

それでも体調はなんとか回復し、気を取り直して前へ進む。とにかく目標を諦めた時点で終わりである。可能性がある限りは頑張ろうと思った。

しかし、である。この頃からかなり暑く思うようになり、汗の量も半端なくなってきた。
それもそうである。この日の長野はこの時期としては異常の20℃を越えたのである。まさしく春を通り越し初夏の気候である。暑さに弱い私にとってはこの暑さは相当に過酷となってしまった。

こうなると次の不安はそう、いつもの痙攣である…。これだけはサブ3.5を出した館山、荒川市民でも防ぐことができなかった宿命である。
そして、その不安は見事に的中となった。30km過ぎからピクピクが始まり間もなく痛烈は痛みが襲ってきた。この時点でクラブ記録はすでに可能性が消え、自己ベストやサブ3.5も絶望的となった。覚悟の闘いが終了した瞬間であった。

それでもとにかくゴールを目指して痙攣が続く足を前へ前へと進めていき、3時間40分台でフィニッシュの長野オリンピックスタジアムへ! 長野を走れた感動から思わず両手を挙げてのゴールとなった。

私にとってこの長野は憧れの大会に初出場できたという意味では感動のレースとなった。これまで数々の大会を走ってきたが、長野は思っていた通りの最高級の大会であった。

しかし、同時にクラブの「エース」という立場に限界を感じ、自らが「第一線で走る」ことに区切りを付けることを決心したレースともなった。それでも悔しいとか無念とかいう思いよりもなんだか重荷が下りたような、重圧から解放されたようなホッとした思いであったことを覚えている。

思えばこの長野まで後継となる有望選手が全く不在だったことで(まさしく暗黒時代となった要因でもあった)、結果的に10年近くもたいして速くもない(歴代最遅)のに「エース」の称号を背負って走っていたのである。もうそろそろ良いだろう、という気持ちになったのは自然であったのだと思っている。

私はこの日以降、クラブの再建のため新たな即戦力、および有望若手の獲得に注力することにした。その結果はいうまでもないであろう…。
2年後、思いを受け継いでくれた歴代最速の新エースにより、見事にクラブ記録更新、サブスリーが達成された。私にとって間接的ながら2年越しの悲願が達成されたのであった…。

終わり


このように私の「ランナー人生」においてこの年の長野は「一区切り」となったレースであると思っています。
それから3年後の今年の長野は「ランナー生活20周年記念試合」ということでまた「一区切り」のレースとなります! さて、今回はどんなドラマが待っていることやら…。
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