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「成人」ランナー“フル完走113回”ひで会長の日記

フルマラソン完走113回まで到達! ランナー生活32年、ランナーズマイスターのシン・ランニングクラブ会長マラソン日記

私のランニング生活20年DNF史

2012年09月18日 | マラソン(ミニシリーズ、過去の記事)
先日、クラブの仲間が完走率50%と非常に難易度の高いレースに出場し、激闘むなしくリタイアとなってしまいました。
このように最近、クラブのメンバーが盛んにレースに挑戦している反面、今後もDNFとなってしまう場面が出てくることが予想されます。

私からしたら積極的に難易度の高い大会に挑戦するだけでもすごく立派なことだと思いますし、その結果としてのDNFも全く恥じる必要はないと思いますが、当の本人からしたら(特に人生初のリタイアは)悔しい気持ちで一杯になることは十分理解できます。

さて、私も20年のランナー人生、当然ですがDNFは経験しております。
それが以下の2レースです。

1.1996年11月 横浜マラソン・ハーフ
右膝故障中に当時は制限時間1時間45分のハーフに強硬出場。16kmの関門(制限時間80分)を通過できず。

2.2011年11月 大田原マラソン・フル
両足痙攣のアクシデントにより走行不能となる。なんとか33km関門までたどり着きリタイアする。

両大会とも収容バスにてゴールまで帰ってきた訳ですが、その時の思いは全く正反対でした。

1については14年も前の出来事ですが、当時はそうです、まだまだ面白いように記録が伸びていた頃の若き「成長期」の時代です。この年も初のハーフサブ1.5達成に向けて気合が入っていたわけですが、よりによって秋に右膝故障を再発させてしまったのです。それでも制限時間である1時間45分は突破できるだろうと強硬出場したものの、2~3kmから早くも右膝痛が始まり、16km関門到達直前でまさかの関門制限の80分を過ぎてしまいました。非情にも目の前で関門のゲートが閉められてしまいました。
この時はほんと、悔しくて悲しくて仕方ありませんでした。初めて自己ランニング史に「DNF」という「負の記録」を付けてしまったのです。帰りのバスではもちろん、当時のクラブメンバーとの反省会時、そしてその日の夜もとにかく悔しさが溢れかえっていましたね!! 
だから、クラブメンバーもこんな気持ちになったことは容易に想像できますし、その無念な気持ちは嫌というほどよくわかりますよ!

一方の2。そうです、昨年の出来事です。時は過ぎ、走歴も20年となろうとした中で起きたまさかのアクシデントでした。いや、もはやフルマラソンでの痙攣は毎度毎度「恒例行事」なのですが、大田原も制限時間(4時間)との闘いが余儀なくされる中無理して走ってしまったためそれが最悪の事態となるまで悪化してしまったのですね…。
しかし、バスに乗った時の気持ちは意外や意外、悔しさは全くなく「やっとレースを終えられた」という安堵感。そして「よくここまでがんばったと」いう満足感でした。
さらにこの日はクラブの若手が初マラソンでサブ3を達成! いや~、自分のことのように嬉しかったですね! 帰りも若手と「サブ3祝い」で盛り上がりましたが、自身のDNFによるショックよりも「エース」へと成長してくれた若手の活躍に嬉しさ一杯になれました。
私自身、なんだかこれまでクラブで10年以上背負ってきた「代表選手としての重荷」がやっと取れた気分で、ほんとさわやかな気分になれたのです。結果的に私のDNF、若手のサブ3はこれ以上にない究極の「エース交代の儀式」だったのだと思っております。

うん、こうしてみるとはやり「走歴20年」によってDNFに対する捉え方も大きく変わったんだな、すなわちこの走歴にして「ランナー」としてまた一つ成長できたのかな~、っとつくづく思っております(笑)
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