20周年記念試合第一弾、板橋シティまであと5日となりました。大会自体、3年ぶりの「復活」となりますが、私にとっても今回の板橋は「復活」をテーマに挑みたいと思います。
さてさてこの板橋シティ、今更言うまでもないことですが旧大会名は「荒川市民マラソン」であり、過去12回開催されております。そのうち私も11回出場しています。
・・・残り1回はどうしたのかって? ごめんなさい、同日開催となった第1回湘南国際に浮気しました(笑)
そして板橋では自己ベスト、2位、4位を出しております(ちなみに3位は館山にて)。そこで、私にとっての歴代の荒川市民マラソンについて前後編に分けて少し回想してみたいと思います。
今回は第6回大会までです。
第1回(1998年) : 記念すべき第1回大会は1998年5月に開催。初回は5月に開催されたのです。しかし当時はまだ暑さはそれほど気にはなりませんでした。
「東京で初の本格的市民フルマラソン」ということで当時としては驚異の5886名(受付者数)が出場して(いまではこれで中規模ですが・・・(苦笑))開催されました。ちなみに完走者は5514名。制限時間7時間のため完走率は非常に高いですね。
私は自身2度目のフルマラソンとして出場。デビュー戦を14分更新して3時間45分でゴールしました。
タイトルの写真は記念すべき第1回大会のプログラムです。
第2回(1999年) : この回から3月開催に。初めて3時間40分を突破した大会となりました。
なお、先輩エースによる伝説のクラブ記録(3時間19分)はこの大会にて出ており、昨年まで長く更新されませんでした。
第3回(2000年) : 当時のクラブにとって時代が変わるまでの歴史的伝説となった大会。私にとっても自己ベストを出した「自己最高試合」といえる大会です。この回についてはいずれ「思い出のレース記」として詳細に回想してみたいと思います。
第4回(2001年) : 当時、社会人学生だった私は卒論に追われ、さらには結婚準備と目茶苦茶忙しい中で強行出場。完全なる練習不足であり、史上初めてサブフォーを逃す。練習不足でも最低サブフォーは行けるだろうと考えていたが甘かったですね(苦笑)
第5回(2002年) : この回よりコースが変更となり折り返しが2回から1回の単純往復コースに。これまでのゴール地点を一回通過する(いまの湘南国際や大井川のパターン)精神的苦痛から解放されました。
この回はしっかりとサブフォーを復活させました。
第6回(2003年) : この年は荒川の2日前に最終調整として敢えて5kmレースに出場。本番直前にスピード的な刺激を入れたことで3時間32分の当時歴代2位でゴール。まあ、もうちょっとがんばればサブ3.5行けたのですがね・・・(苦笑)
なお、5kmはアップダウンコースを20分でゴールしています。
今回はここまで。
こうしてみるとほんと、荒川市民は毎年私にとってドラマがある大会です。今年はどうなることやら・・・。
さてさてこの板橋シティ、今更言うまでもないことですが旧大会名は「荒川市民マラソン」であり、過去12回開催されております。そのうち私も11回出場しています。
・・・残り1回はどうしたのかって? ごめんなさい、同日開催となった第1回湘南国際に浮気しました(笑)
そして板橋では自己ベスト、2位、4位を出しております(ちなみに3位は館山にて)。そこで、私にとっての歴代の荒川市民マラソンについて前後編に分けて少し回想してみたいと思います。
今回は第6回大会までです。
第1回(1998年) : 記念すべき第1回大会は1998年5月に開催。初回は5月に開催されたのです。しかし当時はまだ暑さはそれほど気にはなりませんでした。
「東京で初の本格的市民フルマラソン」ということで当時としては驚異の5886名(受付者数)が出場して(いまではこれで中規模ですが・・・(苦笑))開催されました。ちなみに完走者は5514名。制限時間7時間のため完走率は非常に高いですね。
私は自身2度目のフルマラソンとして出場。デビュー戦を14分更新して3時間45分でゴールしました。
タイトルの写真は記念すべき第1回大会のプログラムです。
第2回(1999年) : この回から3月開催に。初めて3時間40分を突破した大会となりました。
なお、先輩エースによる伝説のクラブ記録(3時間19分)はこの大会にて出ており、昨年まで長く更新されませんでした。
第3回(2000年) : 当時のクラブにとって時代が変わるまでの歴史的伝説となった大会。私にとっても自己ベストを出した「自己最高試合」といえる大会です。この回についてはいずれ「思い出のレース記」として詳細に回想してみたいと思います。
第4回(2001年) : 当時、社会人学生だった私は卒論に追われ、さらには結婚準備と目茶苦茶忙しい中で強行出場。完全なる練習不足であり、史上初めてサブフォーを逃す。練習不足でも最低サブフォーは行けるだろうと考えていたが甘かったですね(苦笑)
第5回(2002年) : この回よりコースが変更となり折り返しが2回から1回の単純往復コースに。これまでのゴール地点を一回通過する(いまの湘南国際や大井川のパターン)精神的苦痛から解放されました。
この回はしっかりとサブフォーを復活させました。
第6回(2003年) : この年は荒川の2日前に最終調整として敢えて5kmレースに出場。本番直前にスピード的な刺激を入れたことで3時間32分の当時歴代2位でゴール。まあ、もうちょっとがんばればサブ3.5行けたのですがね・・・(苦笑)
なお、5kmはアップダウンコースを20分でゴールしています。
今回はここまで。
こうしてみるとほんと、荒川市民は毎年私にとってドラマがある大会です。今年はどうなることやら・・・。
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