今日は午後どうも頭が重たく(持病の片頭痛)早めに帰宅して休養。大切なレース前に体調を崩すわけにはいきません!
練習の方は最終調整段階に入っており、バネは一切使わずジョグに徹しています。
さて、本日は昨日に続いて歴代の荒川市民マラソン回想記の後編です。
第7回(2004年) : 前年11月のつくばをインフルエンザのため欠場したため、約1年ぶりのフルとなった。
前年に職場異動となり仕事が忙しくなったこともありこの頃はサブフォーを出すのがやっとの感じでした。
第8回(2005年) : この回は実は大会最高の約2万人が出場。東京マラソン開始前からすでにマラソンブーム到来の予感を感じた頃ですね。
後に大会も定員制(1万5千人)を導入しています。
前年同様サブフォーがやっと。
第9回(2006年) : 荒川市民は季節的のためか河川敷ながら風はあまり影響の受けない大会ですが、いざ風が吹くと半分は向風となりこれは大変です。そしてこの年はその強風「当たり年」となりました。何せ電車が止まったくらいの強風でした。
私も折り返しからの「風の壁」で完全に心が折れましたね。荒川市民で2度目の逃サブフォーでした。
第10回(2007年)は同日開催の湘南国際(第1回。この年は江ノ島発着)へ出場。
第11回(2008年) : 2年ぶりの荒川は3時間30分台まで回復。当時のクラブメンバーが軒並み故障によりランニングから去っていく中(クラブ暗黒時代の始まり)、私は翌年にかけて調子が最高に良い状態が続いた頃でした。
第12回(2009年) : 昨年からの絶好調が続き、1月の館山に続きサブ3.5を達成。
実はこれでも4月の長野(初出場)が本命レースであったため、やや抑えて走ったためここで力を出し切ればこの荒川で自己ベスト、当時のクラブ記録更新も行けたかもしれません。いまとなってはこの荒川がその最大最後のチャンスだったのかもしれなく、ちょっと後悔・・・。
なお、板橋の2週間後には長野への最終調整のための「42km走」の位置付けで連戦で佐倉に初出場。佐倉の方は調整レースとはいえ荒川疲労によりボロボロでした(苦笑)
そして第13回(2010年)は会場テントも吹き飛ばされる暴風により、第14回(第1回板橋シティ、2011年)は震災発生により2年連続で中止になったのでした。
さて、今年は無事開催されそうです。しっかり疲労を抜いて当日を迎えたいですね。
練習の方は最終調整段階に入っており、バネは一切使わずジョグに徹しています。
さて、本日は昨日に続いて歴代の荒川市民マラソン回想記の後編です。
第7回(2004年) : 前年11月のつくばをインフルエンザのため欠場したため、約1年ぶりのフルとなった。
前年に職場異動となり仕事が忙しくなったこともありこの頃はサブフォーを出すのがやっとの感じでした。
第8回(2005年) : この回は実は大会最高の約2万人が出場。東京マラソン開始前からすでにマラソンブーム到来の予感を感じた頃ですね。
後に大会も定員制(1万5千人)を導入しています。
前年同様サブフォーがやっと。
第9回(2006年) : 荒川市民は季節的のためか河川敷ながら風はあまり影響の受けない大会ですが、いざ風が吹くと半分は向風となりこれは大変です。そしてこの年はその強風「当たり年」となりました。何せ電車が止まったくらいの強風でした。
私も折り返しからの「風の壁」で完全に心が折れましたね。荒川市民で2度目の逃サブフォーでした。
第10回(2007年)は同日開催の湘南国際(第1回。この年は江ノ島発着)へ出場。
第11回(2008年) : 2年ぶりの荒川は3時間30分台まで回復。当時のクラブメンバーが軒並み故障によりランニングから去っていく中(クラブ暗黒時代の始まり)、私は翌年にかけて調子が最高に良い状態が続いた頃でした。
第12回(2009年) : 昨年からの絶好調が続き、1月の館山に続きサブ3.5を達成。
実はこれでも4月の長野(初出場)が本命レースであったため、やや抑えて走ったためここで力を出し切ればこの荒川で自己ベスト、当時のクラブ記録更新も行けたかもしれません。いまとなってはこの荒川がその最大最後のチャンスだったのかもしれなく、ちょっと後悔・・・。
なお、板橋の2週間後には長野への最終調整のための「42km走」の位置付けで連戦で佐倉に初出場。佐倉の方は調整レースとはいえ荒川疲労によりボロボロでした(苦笑)
そして第13回(2010年)は会場テントも吹き飛ばされる暴風により、第14回(第1回板橋シティ、2011年)は震災発生により2年連続で中止になったのでした。
さて、今年は無事開催されそうです。しっかり疲労を抜いて当日を迎えたいですね。
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